◆異世界人の危険な特技? 前編 (召喚)
【キーワード】
異世界・召喚(失敗)・騎士・危険(?)な特技・至って真面目な変人・隠された美形
それは全くもって可哀相な話。
ある日、うちの変わり者魔術師長が、召喚魔法の実験に失敗した。
ただ、同じ失敗にしても、何も喚び出すことが出来ないだけならよかった。
が、現実は違ったのだ。
よりにもよって、喚び寄せたのは――。
さっと目の前を横切って行った影に、俺は思わず視線を投げる。
一つに纏められた艶やかな黒髪を靡かせて、細っこい足をちょこまかと動かしながら掛けていく後姿が見えた。小さな身体の両端からは、籠の淵と、その上からこんもりとはみ出た布の端が覗いていた。これから洗濯場へ向かうようだ。
彼女こそ、変わり者魔術師長が喚び出してしまった召喚獣、もとい召喚人の少女だ。
黒い髪に濃い焦げ茶の瞳。象牙の肌は珍しいが、それ以外はこれと言って特徴の無い、と言っては失礼なんだろうが、大体において平均的な少女だ。
ああ、目はくりりと大きくて愛嬌がある。……ちょっと可愛い。いや、結構可愛い。……俺の好みはどうでもいいか。
とにかく、彼女は普通の少女だ。
変人魔術師長にこちらの世界へ喚び寄せられた彼女は、召喚の条件となるはずの“力”は皆無だった。物理的な力も然ることながら、魔力も持たない、どこまでも普通の少女。
召喚魔法とは、得てして召喚主の助力となってくれるモノを喚び出すものだったはずで、それが何の力も無いか弱い少女を喚んでしまったのだから、これを失敗と言わざるして何と言うのか。変わり者の魔術師長は失敗などと認めていないようだが。
突然、今まで暮らしていた世界から切り離された少女は、今はこちらの世界で元気に特別認可の侍女として、城で働いている。
本来であれば身元のはっきりしない者を城の侍女として雇うことなどないのだが、彼女はその名の通り、特別に認められて侍女職に就いている。
何せ彼女は、絶対的な被害者だった。
彼女の身に降りかかったことを考えれば、身元の保証がなく城の侍女職に就いたとしても、誰が責められるだろう。
いや、むしろ俺からすれば、彼女は働く必要もないと思う。
諸悪の根源である魔術師長が全ての面倒を見るべきだ。
しかし、働くことは彼女の希望でもあったらしく、双方の妥協点が城の侍女、だったんだろう。
もちろん、身元の保証が無いとは言っても、変人とは言え国王お抱えの魔術師長が後見についているので成し得たことではある。万が一、彼女がとんでもないことを仕出かしても、全ては魔術師長の責任、というわけだ。当然だな。
まあとにかく、彼女は希望通りに侍女として働き、元気に走り回っている。
時折、侍女長に品が無いとどやされているが、一生懸命な様子は可愛らしいからそのままで居てほしいと思う。
いや、むしろ元気に走り回っていてもらわないと、困る。
彼女が廊下や庭に一人佇んでいる姿を見ると、胸が潰れそうな思いに駆られる。これは別に俺だけが感じる気持ちじゃなく、城に居る者はほとんどが抱く気持ちだと思う。彼女をどやす侍女長であってすら。魔術師長は別だが。あいつは人の皮を被った悪魔だろうと思う。
ある日の夕方、橙色の日が差し込む外廊下で一人立つ彼女を見た。
外庭を歩いていた俺は普通に彼女に声を掛けようとしたんだが、俯き加減の横顔を見た瞬間、息を呑んだ。
儚いとか悲しげだとか、そんな類のものだったら或いはいくらかましだったかもしれない。実際には、彼女の横顔に浮かんでいたのはもっとひどいものだった。
完全に無表情だった。
何の寄る辺もなく、ただ、“独り”だと思わせる雰囲気が濃く漂い、彼女の周りだけ切り取られたように空気さえも静止したかのような。
そこには完全なる“孤独”があった。
到底、まだ二十にも満たない少女が浮かべたとは信じられない表情だった。
その様子を見て、声を掛けることなどできなかった。気持ち的にも、物理的にも。喉元から胸の真ん中までをぎゅうと鷲掴まれているような、苦しさが込み上げていた。
きっと、彼女の孤独は、この世界にいる限り完全には拭い去れないんだろう。
還してやりたい。
だが、肝心の魔術師長が帰還魔法を完成させられないのだから、俺ごときがどうしてみようもない。実にもどかしい限りだ。彼女の佇む姿を見た者は誰もがこのもどかしさを抱えているかと思うと……。
魔術師長、本気で闇討ちしてやろうか。
と、思わなくも無い。実際には無理だから尚更腹立たしいことだ。
彼女が走り去った先をぼんやりと眺めていると、耳元で小さく甲高い音が鳴り響く。耳飾から流れてくるそれは、見張りの交代時間を知らせるものだ。これも変人魔術師長が開発したかと思うと耳が腐りそうだが、便利なので我慢しているのだ。
どの辺りが便利かと言えば……いや、やめておこう。今は必要のない説明だろうしな。
とにかく、交代の時間だ。
持ち場へと向かおうと踵を返した俺は、不意に視界に映ったド派手な姿の何かに一歩後ずさる。
これはまた、随分と……。
目の前を横切っていくのは、極彩色の気違……いや、理解し難い衣装を纏った男だ。
顔はこれまたド派手な仮面で隠されてはいるが、男なのは間違いない。何せ、ヤツは俺の同僚だから。認めたくないような気がするのはその格好を見れば仕方がないことだろう。
頭には紫色の鮮やかなつば広の帽子。その帽子には何の鳥の羽なのやら、桃色や黄色、果ては真っ青なものまで、配色を完全に無視した色とりどりの羽が揺れ、帽子の下から覗く髪は本来の髪質や色を隠すように、ごわごわとした鬘が垂れ下がっている。こちらの色は真っ赤だ。まさに気違い。……いや、独創的。
さらに、顔を完全に覆っている仮面の地色は黒で、目元などの淵には金色の蔓模様と人を小馬鹿にしたような模様が白と赤で彩色されている。
もちろん、服装だって頭の螺子が百本くらい吹き飛んでいそうな……まあ、個性的な装いだ。
幾重にも重ねられた上着は一枚一枚で色が違う。裾や襟元から覗くそれらは頭同様、配色など完全に無視だ。また目に痛い色ばかりを選んでいる辺り、やっぱり奴はどこかに脳みそを捨てて……もしかしたら目の病気なのかもしれない。そうだ。きっとな。そう信じてるぞ、俺は。
頭の先から爪先までそんな調子で、手には手袋を付けている為、一見して体格は分かり難い。というか、正直ぱっと見ただけでは中身が誰なのやら、だ。俺は知っているけどな。同僚だから。とはいえ実際は城中の誰もがその正体を知っているわけだが。
奴は、その精神崩壊を来たしたような……誰にも真似できない個性を追求した格好をほんの一瞬忘れさせるような、静かで硬い足取りで迷い無く一つの方向へ進んで行く。
少女が駆けて行った方向へと。




