◆おまけ 後編の後編
◇から◆までは、作中作、本の物語です。
今回、5,000字弱あるので前話に比べ長めです。
◇◇◇◇◇◇
とある小さな村に、明るく心の優しい少女がいた。
彼女には不思議な力があって、森に入れば草木は彼女のために道を開け、キノコがそっと顔を出し、樹は甘く熟した実を落とした。
それでも森には危険が溢れているから、少女は森に入るとき、いつも隣の家に住む少年と一緒に行動していた。
野犬や狼が出たときは少年が弓を使い見事な腕前で追い払ったし、少年が下草や小枝で怪我をしたときは少女がハンカチとも言えない粗末な、けれど清潔な布で手当てをした。
二人はとても仲が良く、森に入らないときもそのほとんどの時間を一緒に過ごしていた。
だがあるとき、少女の不思議な力は王都から来た巡回騎士に見つかり、精霊の加護を受けた乙女として王都へ連れて行かれてしまうことになる。
少女に抵抗の余地はなく、自分がいない間に少年が怪我をしないよう祈りを込めて、いつも髪を結うのに使っていたリボンを渡し、村を離れた。
しばらくすると、少女が王都の外れに棲みついた竜の討伐に駆り出されるとの噂が小さな村まで届いた。
それを知った少年は憤怒した。少女に竜を討伐するような力はない。あるのは森に愛される力で、実りをほんの少し分けてもらう程度の恩恵だけだ。
だから少年は急いで自分を鍛えることにした。少女を守るのは自分の役目だと思った。
期限は今から半年後。王子の成人の儀が終わったら少女は王子と精鋭騎士たちと王都を出発するらしい。たった半年で何ができるだろう。少女の力はささやながら特別なものだが、少年に特別な力はない。
それでも少年は自分を信じ身体を鍛え、村の大人に教えを請い、森に入って狼と戦った。ときには熊さえ相手にした。
挫けそうなときは少女から貰ったリボンを握りしめ、上手と褒められた弓の手入れをして心を落ち着ける。半年はあっという間だった。
少年は、少女を含めた王子一行と無事合流することができた。王都から竜の棲み処までの道中のことだった。
もちろん直ぐに快く仲間に入れてもらえたわけもないが、丁度よく襲ってきた賊をほぼ一人で一掃したこと、何より少女の懇願で王子が少年の同行を了承したのだ。
それから、王子や騎士と協力し、少年は無事に竜の討伐に成功した。
止めを刺したのは、少年の弓矢だった。最後の一本となった矢に少女から貰ったリボンを結び、当たれと祈って放った矢は見事、竜の心の臓を貫いた。
止めを刺した少年は、その功績を王子のものとする代わりに、少女の開放を願った。
王子は願いを受け入れ、少女は亡くなったものとして王都へ帰還した。
少女と少年は育った村へは帰らず、国を出て、また別の村に辿り着く。育った村と同じくらい小さな村だったが、村人は優しく大らかな良い村だった。
そうして少年と少女は晴れて夫婦となり、二人はその後も幸せに暮らした。
◆◆◆◆◆◆
「う~ん、蟲はどこを食べたんだろう?」
来夏とニヴルは物語の結末まで辿りついていた。
目の前には、新たな村で暮らす主人公の二人が微笑み合い、家から出てきたところだ。少年が狩りに出かけるのを少女が見送り、物語は終わりとなる。
「キーアイテムはきっと、『リボン』と『弓矢』だよね?」
「えぇ。然程複雑な物語でもないので、他に重要なものはないでしょう」
「うん。登場人物でキーになる人が欠けているとかは?」
「ないでしょう。村人がほとんど出てきませんが、主軸に影響が出ているようには思えませんから元からだと考えられます」
「うーん、そだよね。男の子が女の子を助けに行こうって決意するところも別に不自然じゃないし……」
「はい。……まあ、いつもながらこの手の物語には矛盾や荒唐無稽な部分が多いすぎると思いますがね」
創作物である以上、整合性が取れない部分やご都合主義な展開とはよくあるものである。逆にそういった部分を全て排除した場合、物語というものは面白味が半減することも多いだろう。
導書師は、違和が許容の範囲内なのか、それとも朧蟲や書魔の影響があるのか、というのを取捨、判断する洞察力が無ければ務まらない仕事だ。
「じゃ、あとは描写か会話か……ん?」
描写も会話も物語の中には山ほど出てくる。それを精査するのは心の底から骨が折れるから、考えただけでも肩が重くなるようである。
だが何気なく、物語の少女が森へ出る少年を見送る場面を眺めて来夏は違和感を感じた。
「んん?」
「どうかしましたか。……ライカ、いくら物語の人物とは言え、そう至近距離から顔を覗き込むのはやめなさい」
ちょうど物語の完結により、目の前の主人公二人はマネキンのように固まっている。それをいいことに、来夏は少女の顔を数センチの距離から眺めまわしていたのだが、半眼になったニヴルに止められて我に返った。危ない、あとちょっとでキスしてしまうところだった。
「ね、何かおかしくない? この女の子の顔」
「私は貴女の顔ほどおかしいとは思いませんが? 優し気な少女で好感が持てます」
「そういうことじゃなくて! もうっ、いちいち失礼だなぁっ」
来夏は憤慨しながら、ほら見て!と少女の目元を指さす。
「眉毛、微妙に下がってない? ね?」
「……。それが? 大人しい少女のようですから眉毛が吊り上がっているわけもないでしょう」
「そうだけど、でも物語の最後は『二人はその後も幸せに暮らした』だよ!?」
「素晴らしく在り来たりな結びだというのはわかります」
「うん、でもそれは様式美で……、じゃなくて! 幸せに暮らしたはずなのに、ちょっとなんか、幸せいっぱい夢いっぱい、には見えないでしょ!?」
ニヴルは来夏の主張に軽く片眉を上げる。
確かにどこか淋し気には見えるが、だから何だという話しである。単に少年を森へ送り出すことへの淋しさや心配の現れではないか。物語の結末にも影響が出ていないのだから。
「とにかくちょっと、戻ってみよう!」
言うが早いか、来夏はニヴルの了承も得ずに本の頁を捲り、物語の時を遡り始めた。
何かを確信しているように頁をぱらぱらと捲り続け、その度に場面が変わるため目の前の景色も飛ぶように流れていく。いよいよ目まぐるしさにニヴルが酔ってきた頃、やっと来夏は頁を捲る手を止めた。
「わたし、わかったかも!」
「……後で覚えていなさい、ライカ」
ギリリと歯ぎしりする音も恨みがましい視線も、朧蟲の痕跡を捉えた来夏には気にならない。いや、少しばかり背筋が冷たくなったが、気にしない。
「ねね、ニヴル、少年の台詞、ちょっと思い出してみて。女の子と合流した辺りからで、女の子に向けての台詞ね!」
「…………」
ニヴルは無言で眼鏡に手を添え、記憶を辿る。諸々の説教は後だ。これも仕事、と言い聞かせることにも慣れてきた。
少年の台詞、だったか。
要約すれば、少女のことを絶対に守るとか、大切だ大事だと言っていたはずた。ずっと一緒にいたい、結婚しようという台詞もあったと記憶している。心なしか胸焼けがしてきた。
「……恥ずかしくないんですか、この男は」
甘い言葉の数々に、物語を強制的にぐるぐる巻き戻されたときの酔いがいや増しそうだ、とニヴルは眉間に皺を寄せる。
苦悶していることがありありと見えるニヴルの表情に来夏は内心笑いながら、ビシッと人差し指を立てて見せた。
「この子、『好き』って言ってないでしょ!」
「は?」
「だから、この男の子さ、『好き』とか『愛してる』とか言ってないんだよ!」
「言っている意味がわかりません」
だから何ですか、と訝し気に眉間を揉むニヴルにも、確信を得ている様子の来夏は胸を張る。ふんすと小さな小鼻を膨らませ、来夏は手元の本をぽんぽんと叩いた。
「好きって言われてなくて、女の子はきっと不安なんだよ」
「はぁ、……その程度で不安になりますか? 少年があれだけ大切だ大事だと言っているではないですか」
わかっていない、と来夏は首を振る。
「直接言葉にするのも大事なんだよ、女の子にとっては。……たぶんだけど!
相手の気持ちは信じてるけど、でも言葉も欲しい。大切なのも大事なのも、家族だったら当然でしょ? 結婚しようと言われても小さい頃からの幼馴染だし、家族愛かも、ってちょっとだけ疑っちゃってるんじゃないかな」
「…………」
好きという言葉ひとつないだけで、少年の気持ちを疑うのか。それは信じていないのと同じではないのか。ニヴルには理解できない。逆に好きだと言葉にすればそれはイコール男女の愛だと安心できるのか? 理解に苦しむ……、とニヴルは首を振る。
来夏は返答のないニヴルを無視して薄い和紙を鞄から取り出し、筆で朧蟲に喰われたと思われる文字を書きつけ始めた。『好』と『愛』だ。
「……ライカ」
「んー? 釣れるかな?」
薄い和紙をくるくると紙縒り状にした来夏が、それを左手に持った物語の本へと近づける。鼻歌を歌いながら、まるで釣りのように何度か紙縒りを本の表面に付くか付かないかのところで上下する。すると不思議なことに、開いた本に書かれた文字が波紋のように踊りだした。
ざわざわと揺らめく文字。それが、とぷん、と音を立てるように波打った途端、中心に黒々とした何かが顔を出した。が、それは直ぐにまたするりと文字の海へと消えていった。
「えー! バレた! あれ、なんで!? 今絶対、反応してたのに!」
「……ライカ」
手にした本を開いたまま、上から下から眺めまわしている来夏に、ニヴルは遠慮なく溜息を吐く。朧蟲が喰らった文字が『好』や『愛』だと証明はされたが、爪が甘い。
「あっ」
来夏の握りしめている紙縒りを奪い取り、ニヴルは若干乱雑に捩じれを解し出した。破れそうだがかまわない。コレは正しく塵だ。
「見なさい。確か、これは貴女の世界の『愛』という字ですね? でも明らかに間違っています」
「えっ、……あー! 本当だ!」
指摘されて見れば、来夏が書いた『愛』は心の下が“又”になっていた。“ノ”が足りない。
うわぁ、恥ずかしい! と真っ赤になった顔を覆い身悶える来夏を放置して、ニヴルは懐から羽根ペンを取り出した。自分のパートナーは阿保だ阿保だと思っていたが、確信的にバカだった、と思いながら眼鏡を外して胸ポケットへ仕舞う。風がふわりとニヴルの白金の髪をさらっていく。
ニヴルは、羽根ペンを手にした腕を大きく振るように動かした。空中に濃紺のインクでニヴルの世界の『好』と『愛』を流れるように書き出す。書かれた文字の周りが煌めいて、間を置かず、来夏が放り出していた本からざわりと黒い塊が踊り出してきた。
「あ、お魚ー!」
羞恥で身悶えていたはずの来夏が声をあげる。
小さな虫が集まった塊のような朧蟲は、決まった形といものはない。しかし今回は来夏が紙縒りで釣りのような真似をしたからか、黒い塊はまるで魚のような形をしていた。
活きの良い黒い魚は、飛び出した勢いのままニヴルが書いた文字をパクンッと呑み込み、ビチリと地面に着地……いや、落下した。ビチビチと本物の魚のように身体をくねらせている。
「ぃよーし、魚拓っ」
「…………」
ニヴルが白い目を向けているのも気付かず、来夏は開いた本を魚に力の限り押し付けた。もちろん魚拓のように朧蟲の形が本に残るわけではない。大事なのは、朧蟲の浄化のために作られた特殊なインクを取り込んだそれが、本の中へと還ることだ。だが、来夏は魚の形をした朧蟲を見ると、どうしてもコレがやりたくなってしまう。
「完了!」
来夏が朧蟲に押し付けていた本を掲げる。パッと本から煌めきが立ち上る。ニヴルが書いた『好』と『愛』の文字から零れた煌めきと同じものだ。朧蟲に喰われた文字が無事に本の中へと還った証だ。
「迅速な仕事の完遂、ご苦労様です」
「えっ」
「それでは速やかにこの世界からお暇しましょう」
「ん!?」
「パートナーとして、色々と話し合わねばならないことがあるようです」
「んんんん!??」
仕事の報告をしなかったことでまだ言い足りないことがあるのだろうか。それとも、物語の巻き戻しを許可なく高速で行ったこと? いや、漢字を間違えた上に最期の浄化を横取りしたことかもしれない。
たぶん、全部だろうな。
来夏は肩と眉尻を下げ、本の世界を後にした。




