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異世界のかけら -断片集-  作者: 滝底
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◆おまけ 中編




 カツカツカツと硬質な靴音が響く。その後ろからは、ぺたぺたと気の抜けたような音が。

 本館から鵺館やかんへと続く渡り廊下を、来夏とニヴルは今連れ立って歩いている。

 会話は無い。お互い特に話すことが無いときはいつもこんな調子だが、今は異様に足音が廊下に響き渡っている気がして、来夏はどことなく居心地の悪さを感じていた。

 ちらりと視線を上げると、少し先にニヴルの背中が見える。元の世界では文官だったと聞いているが、その背中は意外にも広く逞しい。いつもながら背筋はビシッと伸びていて、スーツにしわは無く、隙も無い。

 別に、背中から襲いかかろうと考えているわけではないが、来夏は後ろを歩いていることをいいことにジロジロと遠慮なく彼の後ろ姿を監察した。

 そして、気付かれないように小さく安堵の溜め息を溢す。

 ――不機嫌、というわけではないようだ。恐らく。




 実は今朝、少年館長プルウス・レアルから託された蔵書の件を、パートナーであるニヴルに恐る恐る伝えたのだ。

 どれだけ嫌な顔をされるだろうと身構えていたのだが、思ったような反応ではなかった。

 パラパラとくだんの蔵書を流し見たニヴルは、「わかりました」とあっさりと頷いたのだ。

 肩透かしを食らって逆に動揺した来夏だが、もちろんそれだけで終わるはずもなかった。

 仕事内容に文句を言わない代わりのように、ニヴルは「ところで」と瞳を鋭くして説教を始めた。「報告が遅い!」と。

 これには、仰る通りと来夏は身を竦めるしかなく、神妙に――見えるよう俯いてニヴルの声を頭の天辺で聞いていた。

 確かに、プルウスから仕事の話しをされたのは一昨日だ。その日のうちにニヴルを捕まえてもよかったし、翌日でもよかった。休みだった二日間、ニヴルが導書師寮にいたことも知っていたから、それは容易なことだった。

 ただ、蔵書の種類がアレなので、如何せん躊躇ってしまったのだ。

 結果、休み明けの今朝、仕事当日になってやっと、来夏はニヴルに今日の業務について話しをした。しかも、朝食後、ニヴルから「今日の仕事について何か聞いていませんか」と話の水を向けられてからだ。

 流石に来夏もちょっと温め過ぎたとは思う。

 だが、少しだけ言い訳をさせてもらえるなら、来夏は来夏で彼を気遣った結果だったのだ。

 休み明けに嫌な仕事があると思いながら休日を過ごすよりは、やらざるを得ない当日になって聞かされる方が、いくらもマシではないか、と。

 もちろん来夏の主観だ。だから来夏の気遣いは、ニヴルにとっては所謂、余計なお世話、だったらしい。

 小声で控えめに言い訳をした来夏に対し、ニヴルは迷惑そうに、


「仕事は仕事です。どんな内容であれ、事前に内容を把握しているのとそうでないのとでは、処理の正確さ、迅速さに格段の差が出ます。貴女の無駄な気遣いによって、“少しばかり苦手と思っているだけ”の仕事に、かける時間が増せば増すほど不快感も比例するとは思いませんか。この種の仕事に今以上に忌避感が生まれた場合、貴女に責任を取って頂けるのですか」


 と、長ったらしい返答をくれた。

 「いえ無理です」と素直に頭を下げてはみたが、来夏は内心『うへぇ』と顔を歪めていた。

 もっとこう、「仕事だから気にしないよ、気遣いありがとう。でも事前に準備した方がやり易いから早めに教えてね」とかで済む話ではないのか。文字数の無駄遣いだと思う。

 しかし同時に、このとき来夏は少しだけ、自分はやはりまだ子供だなと反省した。

 導書師としては来夏の方が先輩であるが、年齢はニヴルの方が上だ。導書師になる前から既に文官として働いていたというから、仕事に対する考え方はニヴルの方がずっと大人なのだろう。仕事の種類に苦手意識はあっても、仕事内容を選ぼうとはしない。苦手意識など私情として脇に置けるのがその証拠だと思う。

 ただ、言うほど私情を挟まないか、と言われるとそうでもないのだが。




『ケーーンッ』


 来夏がニヴルの背中を複雑な気持ちで見つめながら歩いていると、いつの間にか鵺館の扉の前まで来ていたらしい。聞こえた甲高い鳴き声に、来夏は慌てて足を止めた。

 危なかった。鳴き声が聞こえなければ、危うくニヴルに追突しているところだ。ぶつかればまた、冷淡な嫌味の針が降り注ぐところだった。

 来夏は鼻先に迫ったニヴルの背中に思わず息を止めつつ、気付かれないようにそっと左斜め後ろに下がった。

 正面を見上げれば、目の前に来夏の身長の倍はありそうな高さの重厚な扉が聳えている。蔵書の中に潜る――潜書せんしょするための専用施設の入口だ。

 その扉は石と木を組み合わせて造られており、固い石の部分にはどうやって彫ったのか、精緻な彫刻が広範囲に渡って施されている。蔓と思われる植物と花、鳥の頭と虎の胴、蝙蝠のような翼を持つ謎の生き物の彫刻だ。

 周りを囲む木枠の部分は下品にならない程度に金の装飾がついており、こちらにもよく見ないと分からないほど細かな細工が入っている。

 相変わらず、すごい扉だ。

 来夏は鵺館の扉を仰ぎ見ながら感嘆の溜め息を溢した。

 モルレニクス巨大図書館にある施設はどこも扉に柱、壁、灯籠に至るまで本当に芸術的である。


「…………」


 見慣れているはずの扉に目を奪われていると、斜め前から無言の圧力を感じて、来夏はハッと我に返った。チラッと見上げれば、ノンフレームの眼鏡の奥からひんやりとしたスカイブルーが見下ろしてきている。


「あ、ご、ごめんね!」


 来夏はあたふたと無駄に慌てながらニヴルの左に縮こまるようにして立ち、扉の木枠中央部にあるつるりとした出っ張りに手を触れた。

 来夏が触れた瞬間、動きそうもない重厚な扉がズズッと重い音を響かせながらゆっくりと開き始めた。

 鵺館の扉は特殊で、パートナーを組む導書師が二人同時に扉に触れない限り、中に招き入れてはくれない。そのため、ニヴルはぼうっと突っ立って扉を見上げていた来夏に冷たい目を向けていたというわけだ。


(でもこの体勢はどうなんだろう)


 毎回思う。

 導書師の手を当てる二ヶ所の間隔が狭すぎる。左右の扉にそれぞれ一つずつあるそれは、これだけ大きな扉だというのに、おおよそ5センチほどしか離れていない。

 必然的に認証の際、導書師同士の距離は近くなるのだが……。

 ニヴルが右、来夏が左に立ってそれぞれ右手を扉に当てるといつも、なんとなく、そこはかとなく、ニヴルの懐にすっぽりとおさまるような形になってしまうのだ。

 別に立ち位置は逆でも良いのだが、腕の長さの違いから来夏が右に立つとニヴルの肩に顔がぶつかるし、それを避けようとするとまるでニヴルを汚いもの扱いしているような不自然な体勢になるので、ニヴルのスカイブルーの冷ややかさが増す。自分は散々、来夏を汚ないと罵るくせに。理不尽だ。

 だから仕方なく、この立ち位置に落ち着いているが、来夏はあまり落ち着いてはいられない。

 ニヴルが少し左肩を引いてくれれば、あるいはもう少し密着度が下がるのだが、ニヴルは何故かそうしてくれない。おそらく、来夏の為にスペースを空けることが嫌なのだろう。本当に性格が悪い。


 勿体つけるようにゆっくりと開く扉に(のろま!亀!なまけもの!ナメクジ!)と先程まで見とれていたことも忘れて苦し紛れの罵声を心の中で浴びせていると、やっと人が一人通れる程の隙間があいて、来夏は鼠のように俊敏に身体を滑り込ませた。いつものことである。

 

「ケンケンッ」

「あ、キジ太さん、こんにちは!」

「ケーンッ」


 鵺館の扉を潜り抜けた途端、バッサバッサと飛んできたものに、来夏は明るく声をかけた。

 来夏の胸元に頭を寄せるその生き物は、先ほど扉の前でニヴルとの衝突回避に貢献してくれた声の主であり、そして実はこの鵺館の“管理者”だったりする。

 頭は鳥、身体は虎、翼は蝙蝠で、尾は……犬? 狼? という謎の生き物である。鵺館の扉に描かれているのは、この生き物だろう。

 館の名前にも使われている“ぬえ”という日本の妖怪に似ているが、あれは確か頭は猿で翼は無いし、尾は蛇が一般的だったはず。

 正確には鵺とは言い難いが、日本の文献にも別の特徴を持つ鵺が載っていることもあるし、目の前の謎の生き物をあらわすのに便宜的に使っているだけなのかもしれない。その辺りのことを、来夏はあまり気にしていなかった。


「ヌエを変な名前で呼ぶのはやめろと言っているでしょう」


 カツカツカツと乱れを知らない規則的な靴音が直ぐ側まで来て、こつんと頭に硬いものが当てられる。


「だって、顔がきじにそっくりだし……」


 頭に当てられた蔵書を受け取りながら、来夏は唇を尖らせる。

 黄金の目と首周りの美しい瑠璃色、虎の胴に繋がる胸元は角度によって見え方が変わる玉虫色。何より、顔に広がる鮮やかな緋色の肉腫が印象的な、どう見ても頭は雉だ。

 あまり可愛いとは言えない顔なのだが、何故か来夏に懐いているので、愛着が湧いて名前をつけてしまった。

 ただ、……。


「ガァァアオゥッ」

「身体は虎ですが?」

「…………」


 そうなのだ。先ほど説明した通り、全体的には雉とは言えない。

 しかも、鳴き声も何故か虎の鳴き声を出せるという。


「ワンワンッ」

「尾は犬ですし」

「ガルルッ」

「…………狼だって」

「うるさいですね」


 ニヴルが犬と言った瞬間、喉の奥で威嚇しつつ、嘴がつんつくとニヴルのアッシュブロンドの頭を突っついた。

 犬ではない、と言いたいらしいので親切に通訳をしてみたが、ニヴルは言葉通りうるさそうにこちらを睨み付け、鵺の大きな頭も遠慮なく手で追い払う仕種をする。……恐れはないのだろうか。


「とにかく、ヌエ、仕事です」


 促されて来夏が差し出した蔵書に鵺は顔を近付け、一度首を傾げる。次にツンツンと嘴で何度か蔵書の表面をつついて、蝙蝠のような翼をバサァッと広げた。


「ケーーンッ」


 空気を裂くような高い声で鳴いた直後、頭上の遠くて扉が開く音がした。






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