◇拍手お礼ss 【ホームステイ】 後編
耳朶を食まれて、肩が跳ねる。
同時に一歩引いた足が、何か硬いモノに触れて、私を現実に引き戻した。
――そうだよ、ハロウィン……!
何のためにここへ来たのかと言えば、ハロウィンの悪戯をアシュールに仕掛けるためだったはず!
なのに私は何故に襲われているのか!
お決まりの文句を言ったのは私なはずなのに、悪戯されているのは私の方じゃないか!?
おかしい、どこで間違った!
混乱する私を余所に、アシュールは少しだけ身体を離して私の額に自分のそれを擦り付けてきた。地球外イケメンが近い、です……。
超至近距離に金の睫毛とその奥で深く輝く銀河の瞳が見える。僅かに伏せられた瞼の縁が赤く染まって見えるのは気のせいでしょうか。
無駄だ、無駄!
その色気は無駄だーっ!
そんなものを垂れ流す場面ではなかったはず。
私が甘く揺れる銀河を間近で捉えているのと同じように、アシュールにだって泳ぐ私の目が見えているだろうに、アシュールは私の動揺を読み取ってくれない。それどころかアシュールは熱にうかされたような熱い吐息を零した。
その熱さが伝染したように私の顔にも熱が集まる。
あ、とか、う、とか意味のない呻き声を漏らす私の肩がそっと押され、力の抜けかけていた膝が簡単に崩れた。畳に尻もちをつくような格好になった私の上に、アシュールが間を置かず覆い被さってくる。
身を退く時間はなかった。
「ひぃ……ゃっ!」
なななななな、何かな、今の首にちくりときたものは……!
肘をついて中途半端に上体を起こした私の目には、焦げ茶の天井が見えている。その視界の隅で、絹糸みたいに艶やかな白金が揺れていた。
アシュールの大きな身体に包まれながら、私は必死に思考を働かせた。
から回っていた頭がカチリと答えを導き出す。
うん、わかった、アシュールは実は吸血鬼の仮装をしてたんだな。
全然そうは見えなかったし、今首筋に当たっているものも到底牙とは思えない柔らかい感触だけど、そうに違いない。むしろそうであってくれ。
願う私の耳に、ちぅ、と高い音が響く。
うん、これは血を吸う音ですねわかりま――ちょっとぉおおおおお!
現実逃避している間にアシュールが身を起こし、止める間もなく私の左足を取った。
膝上丈のふんわりキュロットスカートを穿いていたおかげでパンツが見えることはないけど、そういう問題じゃない。
慌てて私も上体を起こしたけど、アシュールに軽く足を引っ張られてずるりと再び倒れてしまった。
「も、何やって――」
何とか声を絞り出す。
でもアシュールの耳にはまったく届いていなかったようで、こちらをちらりとも見ないまま、長い指がレース編み靴下に掛かった。
する、と靴下が簡単に引き下げられる。
脱がされた! と変な衝撃を受けた。
だって、靴下だけど、なんか、身に着けていたものを奪われるとか、とか、うわぁぁあああ!
混乱でもはや声一つ上げられないでいる私の踵を包むように掴んで、アシュールは当然のようにそこへ顔を寄せた。
ハッと短い吐息が掛かる。
異常だ。
異常事態だ。
そう思うのに、声が出ない。
無抵抗のまま、私はアシュールの血色のいい唇が足首へと近づいていく様を見ていた。
アシュールの唇がクローズアップされ、スローモーションで私の足首までの距離を縮めていく。
触れる瞬間、ほんの少し動きを止めて、思い切ったようにアシュールは唇を付けた。
「――っ!」
ちり、とした痛み。
同時に軽い電流のようなものが生まれた。
その電流はすごい速さで私の足を駆け上がり、腰を直撃した。
「や……っ!」
反射的に仰け反りそうになった身体に必死で力を入れて耐えた。
変な声を発しそうになった堪え性のない口は慌てて片手で塞ぐ。
でもそれは自分の声は遮るだけで、当然ながらアシュールの行為を遮る効果なんてない。
白金がゆっくりと、震えるふくらはぎから膝へと移動していく。
秋の冷えた空気にさらされていた足に、アシュールの温かい呼気がいやに鮮明に感じられた。
上へ上へと迫り来る白金を見ないよう固く目を瞑りながら、私は震える手を伸ばした。
――ガツンッ!
結構な音がして、ぐっと呻いたアシュールが頭を押さえながら私の横へ転がった。
気づけば私の手にはさっきまでアシュールが丁寧に手入れをしていた剣が。
……えーっと、正当防衛、ですよね……?
咄嗟ながら剣の刃部分じゃなく柄で殴った私は、むしろ偉いと思う。
一応、アシュールはこめかみあたりに大きなタンコブを作っただけだった。
なんとか痛みから復活したアシュールに氷嚢を渡し、膝を突き合わせて互いの大きな行き違いについて話すこと、数十分。
大変なことが判明した。
そもそもアシュールが理解していると思っていた私たちの言葉は、実は完璧に通じているわけではなかったらしい。
私はアシュールが、外国人が日本語を覚えて操るのと同じような感じで日本語を理解しているんだと思っていた。
もっと言えば、「中には意味のわからない単語もあるけど、その他はだいたい翻訳できている状態」だと思っていたんだ。
でもどうやら、アシュールが日本語を理解しているのは自力で覚えたのとは違い、機械的に翻訳されているようなものだったらしい。
で、今回の行き違いについては、その機能が変に有能過ぎるからいけなかったみたいなんだ。
つまりね、完全にイコールじゃなくても、アシュールの世界に似たようなものがあれば、意味をそれに当てはめてしまうことがある、と。
たとえば、ワサビ。
ワサビはアシュールの世界でも似たようなスパイスがあって、ただ、刺激があること以外はまったくの別物。それなのに、アシュールの頭にはアシュールの世界のスパイスのビジョンが流れることがあるんだとか。
こちらの世界のものとしての知識が定着すれば問題ないけど、初期段階では勝手にアシュールの世界の似たものを当ててしまうんだって。
で、最初に言った通り、今回のことでもこの「勝手に変換」機能が発動しちゃったらしい。
つまり、私の発した「トリック・オア・トリート」という問いかけは「お菓子をくれなきゃ、悪戯しちゃうぞ」という意味では変換されなかったということだ。
ご親切にもアシュールには、彼の世界にある似たような問いかけとして変換されて伝わった、と。
そして、その似たような問いかけというのが大問題だった。
――「お花かワインか」
アシュールの耳にはそう変換されて聞こえていたらしい。
意味わかる? わからないよね? 私も最初はわからなかった。
でも、内に秘められた意味を聞いたら結構怖い問いかけだったんだよ。
だってね、もっとわかりやすい表現で言うと、「花を散らすか、ちょん切るか」になるって言うんだよ!
さっきのアシュールの行動と照らし合わせて、それぞれが何を意味しているかは大体想像がつくでしょ?
あえて言うなら、「お花を散らす」というのはキスマークのこと。
――うん、なるほど。私の首筋やらくるぶしやら膝の内側にはくっきりと……。いや見なかったことにしよう私は何も見ていない誰にも見えない何もない。
それで、「ちょん切る」の方だけど。これが恐ろしい。
「ちょん切る」の隠された主語は男性のナニ、らしい。
「ちょん切る」イコール「ワイン」なのは、切れば当然出る血を暗に……。って怖いよ。
大体、キスマーク散らすかナニをちょん切るか、って。何その究極の二者択一。怖いよ怖すぎるってば。
そう思ったけど、こんな台詞にもちゃんと背景があるそうで――。
そもそもこの台詞を最初に使ったのは どこかの国の王女様なんだって。
彼女には当時、愛した男がいた。その相手と気持ちが通じていることは彼女自身にもほとんど確信があったのだけど、相手方の男は何故か煮え切らない。そんなときに、男に対してこの台詞で選択を迫った、ということらしい。
激しい気性の王女様だったらしく、自分を受け入れる覚悟を決めるか、それとも男性の機能を失ってでも離れることを選ぶのか、と迫ったと。
そんなこと言われたら受け入れざるをえない気がしたけど、たぶん、この台詞を投げかけたとき、二人は既に身体の関係があったんじゃないかと思う。それで、別れるなら――っていうね。それにしても過激だけど。
でもこの王女様と男の人はのちに結婚したらしいから、結果的にはよかったのかな?
――で、二人の結婚記念日には城下でもちょっとした祭りのようなものが開かれていて、その祭りのとき、この台詞を使って告白する若者たちが徐々に増え始めたんだとか。
そんな経緯でアシュールの世界では、あの台詞を言うのがお祭りの有名な告白イベントになったらしい。もちろん、言葉の本来の意味は薄れてね。
告白イベントってことは、ハロウィンというよりバレンタイン的なイベントかな。
アシュールの世界でも、このイベントのときは主に女性が男性に告白するらしいし。
簡単に説明すると、イベント中、女性は意中の男性の前で「花」と「ワイン」を差し出す。
男性は「花」を選ぶ――つまり告白を受け入れるなら、自分が身に着けているリボンタイを外して花の茎に結び、女性の耳に花を差し込んであげるんだって。
で、「ワイン」を選ぶなら、女性が男性の髪の一部を少しだけ切る、と。
それじゃなんか一方的に告白される側の男性が可哀想、と言ったら、女性の告白を断るってことは恥をかかせることになるからそれくらいは当然、とアシュールに大真面目に言われてしまった。……ハア、シンシデスネー。
ちなみに、このイベントのため、アシュールの世界(というか国)の若い男性では、髪を伸ばしている人も多いとか。
――というのが、大体のイベント内容なんだけど、まあ、実は裏側もあるというか。
もし、女性が手元に「花」を持っていないのに「花かワインか」と尋ねて来たら……。
大人の世界でそれは夜のお誘いであり、もう少し若い人たちの中では実際にキスマークが欲しい、という意味になる、らしい。
……えーと、何の話だっけ?
ああ、そうそう。
それでね、アシュールの耳には「トリック・オア・トリート」が「お花かワインか」に聞こえていたらしく……。
アシュールは「お花」を選んで、しかも私が花を持ってはいなかったから突然襲いかかってきたということで……。
――え、つまり、どういうこと……?




