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異世界のかけら -断片集-  作者: 滝底
本編的断片
4/48

◇糧召喚? 前編  (召喚)


【キーワード】


異世界・トリップ・召喚・女主人公・魔族・食糧

召喚と言いつつ、召喚描写が出てきませんorz

でも一応、召喚です。





 「ナユ、歌え」

 (……)

 「ナユ」

 (嫌)

 「ナユ」

 (だから今それどころじゃな――)

 「歌え」


 反論を遮られ、那由は口をへの字にひん曲げた。


 那由は今、本を読んでいたのだ。

 しかもその物語はちょうど山場を迎えていて、ささやかな興奮とともに流れに乗って一気に読み切ってしまおうと思っていた。特別に読書が好きなわけではないが、身体に巻き付く鬱陶しい腕と背後の気配を忘れるくらいには集中していた。

 テレビもパソコンも存在しない場所では本が数少ない貴重な娯楽だという所為もあるが、著者の構成が上手いのが一番の理由だろう。那由は珍しく物語の世界に魅せられ、ほとんど入り込んでしまっていた。

 だというのにそこから引きずり出され一番いいところを邪魔されて、那由の機嫌はすこぶる悪くなった。

 那由が本に夢中になっていることは、背後にぴたりとくっついている男――ローディハイには一目瞭然だろうに、いきなり歌えだなんて随分と勝手な物言いだ。

 こちらの都合などお構いなしで、一方的に要求を押し付けるなんて。

 そうは思ったが、那由はむっつりと押し黙り、渋々手にしていた本を閉じた。

 無言と反論での拒否が通用しない場合、それ以上抵抗しても那由の思い通りには決してならないことを経験上思い知っている。

 自分のしたいことを、したいときに、したいようにする。それがローディハイという男だ。

 だから不遜な物言いも仕方なく受け入れ、立ち上がろうとしたのに。

 身体を囲う腕が解かれない。

 那由はさらにむっとした。


 ローディハイは「歌え」と言った。その要求に応えるには、彼と物理的にある程度の距離を取る必要がある。

 歌自体は場所が何処であろうと歌えるし、質を重視しないのであればどんな体勢でもそれが歌であることに変わりはない。

 しかしそれは此処が那由の生まれ育った元来の世界であり、聴衆がローディハイのような特殊な人物でなければ、の話だ。加えて那由の歌に、那由自身には何の利益もない特殊な力が備わっていなければ、の話。

 此処は那由が生まれ育った日本でもなければ、地球でもない。ローディハイは“人”ではなく、那由の歌には此処でしか通用しない不思議な力がある。

 つまり。

 此処で歌うのならば、やはり那由はローディハイから離れなければならない、ということだ。

 そのことをローディハイとてきちんと理解しているだろうに、那由を抱えたまま離さないでいるというのはどういうことだ、と那由は憤慨した。


 (離してよ)

 「断る」


 先ほどの仕返しか、今度は那由が拒否される。だがこればかりは『はいそうですか』と受け入れるわけにはいかなかった。

 那由は僅かに逡巡した後、徐に腹の上にある逞しい腕に手を這わせた。

 白いシャツの袖は捲くられていて、拘束具よろしく胴に巻き付く褐色の腕は剥き出しだ。触れると思いの外、滑らかな感触が伝わる。

 だがもちろん、ただ撫でるために手を添えたわけでは無い。

 那由は日ごろの鬱憤の腹癒せも兼ねて、褐色の肌に思い切り爪を立ててやった。それはもう遠慮なく、ギリギリと。

 皮膚を傷つける一歩手前まで力を込めれば、強靭に見える腕にも流石に痛みは走ったようで、ローディハイは小さく眉を顰めて那由の凶暴な指を引き剥がそうとした。

 しかし那由は拘束が一瞬緩んだ隙を逃さず、伸びてきた大きな手をするりとかわす。

 脱出成功、とばかりに那由は勢い良く立ち上がり、手にしたままだった本をテーブルの上の水の入ったコップと持ち替え、ローディハイの元を離れた。

 素早い一連の動きに、那由は我ながら慣れたものだと思った。


 「歌えと言ったのはロードでしょ」


 十分に距離を取ってから振り向き、不機嫌さを存分に込めて言い放つ。

 それが本日初めて実際に声に出した言葉だったことに、那由は気づいた。

 これも、那由の歌――というよりも、声自体に備わる歓迎できない能力の所為だ。そして、そんな要らない能力の存在を知らしめてくれたのは、目の前で愉快げに笑う男、ローディハイである。


 「歌えとは言ったが、離れろとは言っていない」


 逞しい腕に爪の痕をくっきりはっきりと残されたローディハイは、けれど那由とは対照的に不機嫌さは無く、むしろ上機嫌な様子で言い返す。

 薄い唇の端はくっと上がり、漆黒の前髪から覗く黄金の瞳は楽しげに細められて那由を眺めている。

 腕を組んでソファにふんぞり返る様は実にふてぶてしく、那由の機嫌を取ろうという気は全く無さそうだった。

 本当に身勝手な男だ。いつかギャフンと言わせてやりたい。そして泣いてひれ伏すがいいのだ。などと三流悪役のようなことを思う。しかし、目の前の誰にでも偉そうな態度を取る男がそんなこと、天地がひっくり返ってもしないだろうし、那由のご機嫌取りなどという殊勝なことをするはずも無いということも、那由は十分理解している。

 だから、豪快に傾いた機嫌も彼女は一人で立て直すしかないのだ。それについては多少諦観し始めてはいるもののやはり憤りは募るもので、那由は片眉を跳ね上げローディハイを睨み付けた。


 「離れなきゃ危ないでしょ!」

 「別に俺は構わないが?」


 むしろ大歓迎だな、とニヤつくローディハイの金の瞳に欲望の赤が揺らめいたのを見止めて、那由の機嫌は立て直す前に更に下降した。

 そりゃあロードは構わないでしょうよ! と、那由は心の内で叫ぶ。声には出さずとも、目の前の男には全て筒抜けなのだが、それを分かった上での心の叫びだ。

 プライバシーも何もあったものではないローディハイのその能力は、彼が“人”では無いからこその力だ。

 頭の中が丸見えであるのは、まだ華も恥らう乙女(自称)である那由は不快極まりなかったが、しかし一方で那由にとって身を守ることにも繋がっているので文句は言えない。


 「私が構うんだってば! ロードじゃなくて、私の身が危ないんだからっ」


 那由は怒っているというのに、那由が叫べば叫ぶほど、ローディハイの機嫌は上向いていくようだ。形のいい唇の端、その角度が始めの頃よりも上がっている。

 満足げなその表情に、那由はもう歌わずともいいんじゃないかと思ったが、思った直後に「歌え」と再び促される。

 やっぱり歌わなきゃいけないのかと大きく嘆息したところへ、三度みたびの催促がかかる。


 「ナユ、早くしろ。腹が減った」


 何だその子供のような台詞は、と思う。まるで母親に御飯を強請る小学生のようじゃないか。いや小学生の方が断然可愛いのだけど。むしろローディハイは欠片も可愛くは無い。

 そんなことを考えたら、思考が伝わったらしいローディハイの片眉がひょいと上がって、僅かに不機嫌さを見せたので、那由は慌てて考えるのを止めた。

 ローディハイの機嫌がいいから、今の距離を保っていられるのだ。居丈高に見える彼も一応は那由のことを尊重してくれている。彼がヘソを曲げ、万が一にもこの僅かな気遣いを放棄されれば、忽ちに那由は必死に守ってきたものを失うことになる。そんなことは御免だ。

 だから那由は、多少の抵抗は見せたとしても、結局はローディハイの要求を受け入れることになる。

 癪だが仕方ない。そう思いながら、ふと視線を壁に掛かる時計に向けると既に昼時を過ぎていることがわかった。本に夢中で、お昼御飯の時間にも気づかなかったらしい。

 なるほど、と一つ頷いた那由は、姿勢を正した。

 手にしていた水で喉を潤し、呼吸を整えてから、伏し目がちに口を開く。

 唇から甘い音が零れだした。


 「――――、―――――」



 那由が歌い始めると同時に、那由の周りの空気が変化し始める。

 ゆらり、と目に見えないはずのそれが、陽炎のように揺らいだ。質量を持っているかのようなその揺らぎは、とろりとした濃密さの中に那由の澄んだ声を溶かして、甘さを含んでいく。

 呼応するように、ローディハイの金の瞳に濃い赤がちらつき始めた。


 ローディハイは胸の前で組んでいた腕を静かに解き、ソファの背凭れに両腕をゆっくりと広げるようにして預ける。

 瞳に浮かんだ赤が滲み出し、黄金だったそれは橙色へと変化した。

 ローディハイは妖しく光る瞳を眇め、射るように那由を見つめる。

 ぐっと弧を描く薄い唇の奥から今にも真っ赤な舌を覗かせ舌舐めずりでもしそうなほど獰猛な表情を浮かべて、ローディハイは喉を鳴らした。まるで極上の美酒でも飲み下すように。

 空気の甘さが増すほどに、ソファの背凭れに広げた腕に力が篭もり、しなやかな筋肉が隆起する。

 ローディハイは那由へと跳びかかりたい衝動を、ソファに爪を立てることで耐えていた。


 一方で、那由はざわりと動いた空気に、慣れたとはいえ背筋が冷えるのを感じていた。まるで見たら石にされるとでもいうように、不穏な空気をだだ漏らすローディハイから頑なに目を逸らす。射殺されそうなほどの鋭さを含んだ絡みつくような視線を感じるが、気づかぬ振りで歌い続けた。

 ここで歌うのをやめてしまえば、そちらの方が逆に危険なのだ。

 中途半端な充足は時に飢餓感を増大する。


 「―――、――――」


 紡がれ続ける甘い歌声に、ローディハイの黄金の瞳はいつしか完全なる真紅へと染まっていた。

 滴る血のような、深く、鮮やかな赤だ。

 部屋に充満する濃密な空気がローディハイの周りに凝縮されるようにして集中する。

 ゆらりと漆黒の髪が揺れ、恍惚の表情を浮かべたローディハイの視線が、那由から逸れた。僅かに顎を反らして、宙に視線を彷徨わせる。蜜のような甘い香りがローディハイを包み込んでいく。

 暫く彼の周りで揺れていたそれが、ゆるりと身体に吸い込まれ始める。同時にローディハイの身体には強烈な快感にも似た衝撃が走った。指の先まで熱がともり、酩酊感のような快さに頭が眩む。

 ローディハイは熱っぽい吐息を僅かに零し、唇を舐めた。凄絶な色香を撒き散らしながら、浸るようにゆっくりと瞼を閉じる。

 瞼裏には桜色の小さな唇を震わせて歌う那由の姿が浮かび、ローディハイはさらに甘い香りと極上の蜜に満たされていった。





 那由が適当な選曲でいくつか歌い終えた頃、ようやっとローディハイから満足げな吐息が落とさた。力んでいた両腕からは力が抜け、僅かに反らされていた顎が引き戻される。そのまま今度は首をうな垂れるようにしてローディハイはゆっくりと俯いた。


 「――――」


 ローディハイの動きを眼の端で捉えながらも、念のため那由は歌い続ける。

 もう十分かな、と頭の片隅で思ったとき、ローディハイがふっと小さく笑うような気配があった。それに反応して那由が視線を向ける。

 ローディハイは前へ落ちてきた漆黒の髪を気だるげに両手でかき上げながら、同時に俯けていた顔を上げた。ふう、と大きく呼気が吐き出され、ゆっくりと瞼が開く。奥から現れた瞳は、既に元の美しい黄金色に戻っていた。いまや、赤が滲む気配はない。

 それを確認して那由は歌うのをやめると、何処か緊張していた身体の力を抜いた。吐息を零し、ほっと胸を撫で下ろす。なんとか安全に仕事を終えられたようだ。


 (……お腹一杯になった?)


 那由が声に出さずに尋ねると、まだ僅かに余韻に浸っているようだった金の瞳が那由を捉えた。

 那由を見、ローディハイは口端をきゅうと上げ、妖しげな笑みを浮かべる。

 あ、嫌な予感。那由に走った直感は的中した。



 「――ああ。……一晩中ヤり通したくらいにな」


 ローディハイはのたまった。


 (なっ――――!)

 「まあ、試したことが無いから実際がどうか知らんが。――なんなら試してみるか? お前が相手になるなら楽しめそうだ」

 (~~~~っ!! ――余計なこと言わないでよっ! 試さないし! 素直に満腹って言えばいいのよ、もうっ!)


 瞬時に首筋まで赤くなって叫ぶ那由に、ローディハイはくっくと喉の奥で笑った。






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