◆おまけ 前編
拍手お礼が短かったので、こちらは少し長めにしてみました。
【ささやかな変化の後/『特技』拍手お礼おまけ】
ハルディオが腹を下した。
いや、のっけから汚い話ですまない。
だけど聞いてくれ。どんなに見た目が整った奴でも、腹は下すんだぜ。
って、なんか僻みの末の悪口みたいになったな。だが俺の中にハルディオを貶そうという気持ちはさらさらない。それなりに仲良くつるんでいる自覚はあるし、むしろ俺は鈍いあいつの今後を心配しているくらいだ。本当、あいつはイイ親友を持ってるな。間違いない。
でだ、なんでハルディオが腹を下したか、だが。
そりゃあ、毎度毎度あいつへの差し入れが冷たい飲食物ばかりなら、当然の結果というものだろう。
俺たちは腐っても騎士だ。風邪程度なら苦も無く跳ね返せる。かくいう俺も、もう何年も風邪になど罹っていない。確かハルディオも同じはずだ。だがいくら肉体を鍛えても、内側まではそう簡単に強くできるはずもない。内側からじわじわと責められれば、流石の騎士でも体調を崩すってもんだ。
あれで意外に律儀なハルディオは、差し入れを受け取る度にきっちり腹に収めていた。どんなに汗が冷えて体温が奪われている状態だろうが、頭から水を引っ被った状況だろうが、親切心で冷やして出された差し入れを無下にすることはなかった。
だが結局、その律義さが命取りになったというかなんというか。
見た目に綺麗な男が蒼い顔をして腹を押さえている姿は哀れすぎて言葉にならん。当の本人は自分の情けない姿を他人にどう見られているかなどまったく意に介してはいないだろうが、しかし周囲にとってはハルディオに対する何かが確実に失われたのは確かだ。
――話しがズレたな。
ハルディオが何かを失った元凶、冷たい差し入れの配達元は件の少女だ。
ハルディオが異界から来た少女の目の前でストリップ紛いのことをした日を境に、彼女はハルディオへの差し入れを冷たいものに限定した。
一瞬、新手の嫌がらせかと思った俺だか、少し考えて理由に気づいた。
そう、つまり、彼女はハルディオが目の前で服を脱ぎ始めたのを見て、“暑いから脱いだ”と勘違いしたらしい。
確かに、ハルディオが全身を極彩色でごてごてと覆っているのは見ていて暑苦しいし、実際に着ているハルディオ自身も涼しいとはとても言えないだろう。……全身鎧とどちらが暑いかは知らないし、知りたくもないが。
見た目に暑そうなのだから、彼女が“ハルディオは暑がっている”と勘違いをしても誰も彼女を責められやしない。
ただ、責める理由はなくとも、彼女が少しばかり考え足らずだったこともまた否めないのではないだろうか。
冷たい物ばかり差し入れていれば、それを受け取った相手がどうなるかは自ずと知れようものだと思うのだが。
まあ、ハルディオの蒼い顔を見て彼女が自分の失態に気づき、必死にあいつに謝りながら色々と世話を焼いていたし、それによってハルディオ自身もどこか機嫌がよかったわけだから、二人の間で起きた今回の事件は帳消しでいいんだろう。
むしろより距離が縮まったようだから、怪我の功名か。
――馬鹿馬鹿しい。
おっと本音が。
とにかく、二人の間ではいいとして、問題は第三者が介入した場合だ。
大抵の問題において、そこに第三者が口を挟んできたとき、事がより面倒な方向に発展するというのは自明の理だろう。
それはこの件に関しても、同じことが当てはまった。
部外者は黙ってろ! とは、俺自身にも返ってくる言葉だし身に覚えがないとは言わない(いやまさか脱ぐとは思わなかったんだよ……)が、しかし本当に何の繋がりもない奴は口を噤んでいてほしいものだ。
俺がそれに遭遇したのは、昔馴染みの侍女に簡単な繕いものを頼んで騎士宿舎に帰ろうとしているときだった。
「あなたねぇ、いったい何様のつもりなの!?」
随分とまた耳障りの悪い声が聞こえてきたもんだ。
出所は外廊下に差し掛かる壁の裏、茂みのさらに奥からのようだ。
「言葉はわかるのでしょう? なんとか言ったらどうなの!」
「そうよ、黙っていれば済むなんて大間違いなんですからね!」
まったく、嫌な場面に出くわしてしまった。
どうやら複数の女性が誰かに詰め寄っているらしい。
口調からそれなりの身分の者とは知れたが、しかし口にしている台詞は品が良いとはとても言えない。まあ、茂みの奥で隠れるようにしているのだから、そもそも品を問うような場面とは言えないのだろうが。
もう少し声のトーンを落とせばいいものを。
「人が話しているというのに、相手の目も見れないなんて……。何よ、こんなもの!」
呆れたような言葉の後、威勢のいい声とともにバサバサと何かが地面に落下する音が聞こえた。
「あなたなんかには侍女の仕事でさえ不相応よ!」
侍女……。
軽んじている侍女たった一人を、どこぞのご令嬢方は複数で囲んでいるわけか。
侍女の仕事は不相応だと言うが、ならばいま彼女たちがしている行為は、彼女たちに相応しいものだとでも言うのだろうか。だとしたら随分自虐的なことで。こんな醜い行動が自らに相応しいと言っているようなものだからな。
それにしても、女が感情的になったときの声というのは、どうしてこう空恐ろしいのだろうか。妙に尻が疼くというか、居心地が悪い。そして胸に鉛を押し込まれたように、嫌な気分になる。
こう言っては女性から反感を買いそうだが、正直、男女の修羅場で男が早々に退場したがる理由がよくわかる。
「異界から来たのだかなんだか知らないけれど、身分どころか身元すら定かでないくせに大きな顔で鍛錬場に出入りをして! 騎士様方に媚びを売るなんて、魂胆が見え見えですわよ!」
なんとなく聞いていただけの俺は甲高い声にうんざりして立ち去ろうとしたんだが、しかし聞き捨てならない単語が耳に飛び込んできて、思わず足をを止めた。
(異界から来ただと……?)
「それにあなた、ハルディオ様の優しさに付け込んで彼に付きまとっているらしいじゃない」
なるほど、これは参ったな。
間違いなく、この声の主の目前にはあの少女がいる。
彼女はハルディオと親しくすることでどこかのご令嬢から因縁を吹っ掛けられているらしい。
ハルディオは、見た目だけは頗る良い男だ。
どんなに無頓着だろうと爽やかに見える立ち姿。無表情だが、お綺麗な作りのおかげで涼しげに見える顔。全身鎧だって難なく装備し、疲れ知らずの流れるような動作を披露する。
観賞対象としたら、これ以上ない程に優良どころだろう。
だからこそ、中身を知らないご令嬢方があいつに熱を上げ、徒党を組んで妙な監護の意識を持つことがある。
彼女たちはどうやらハルディオを、夢物語に出てくる英雄のように美化しているようなのだ。
あいつの表面だけを調べ上げて誰よりわかっていると思い込み、勝手にハルディオを持ち上げ、孤高が相応しいと決めつける。
同性の友人――たとえば俺とか――はいいのに異性を遠ざけようとするのは単なる嫉妬だろうと思うが、彼女たちに言わせるとそれもハルディオが碌でもない女に引っかからないため、だそうだ。呆れるね。
徒党を組んで自分たちの間で不可触という規則を定めていても、結局のところ個々に見れば「あわよくばお近づきになりたい」という気持ちが根底にあるのは見え透いている。それが叶わないのに、自分以外があいつに接触するのが気に入らないだけなんだろう。
「ハルディオ様に考えなしな差し入れをして、彼の体調を崩させるなんて……。身の程を知りなさい!」
声の出所に注意深く耳を傾け方向を探りながら、俺は自分の顔が渋い物を食ったように歪むのを感じた。
つまり、今回あいつが腹を下したことで、ご令嬢方に少女を責め立てる格好の餌を与えてしまった、ということらしい。
しかし彼女らは相変わらず、ハルディオ自身を見ていないな。あいつ本人は、あの少女が自分のところに頻繁に顔を出すものだから、日々ご機嫌だというのに。
それがわかっていれば、少女を責めようなんて思わないはずなんだが。
結局、嫉妬の末の八つ当たりなんだろう。
「あなたが近づくと、ハルディオ様は迷惑を被るのよ。鍛錬の邪魔にも――」
「そこまでにしたらどうかな、お嬢様方」
「――っ!」
俺が茂みから姿を現すと、ご令嬢たちはまるで魔物に見つかったような顔をした。……失礼だな。




