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異世界のかけら -断片集-  作者: 滝底
拍手お礼再掲とおまけ
33/48

◆おまけ 前編



【ある日の出来事/『人違い』拍手おまけ】



 ――何がどうしてこうなった。


 私の頭の中ではもう何度もこの言葉が浮かんでは消えている。


 いや本当に、何がどうしてこうなった。だれか説明してください。


 私は、目の前に跪き微動だにしなくなってしまった彼を見下ろし、内心困り果てていた。

 少し前、月色の瞳の彼に問答無用で近くの宿に連れ込まれ、ベッドの上に座らされた。……そこまではいい。あまりよくない気がするけれど、やましいことは何もないのでよしとする。問題は彼だ。

 彼は、私をベッドに座らせるなり目の前に跪き、私の両手を取って彼の額に寄せたかと思うと、祈るような態勢をとったまま動かなくなってしまった。……もう十分くらいは経つんじゃないだろうか。

 飾り気のない宿の一室で、私はひたすら動かない彼の艶のある白金色の髪を眺めている。

 何がどうしてこうなった?

 ――本当は、彼がこんな状態になった原因はわかっているつもりだ。たぶん、いや確実に、商店街での出来事が災いしたんだと思う。



 私は今日、少しばかり浮かれすぎていたのかもしれない。

 今日は月に一度のお給料日で、お世話になっているエダリオンさんが休暇をくれた。「今月は頑張ってたから、思いっきり楽しんでくるといいよ」と言って温かな笑みをくれたエダリオンさんは、本当に優しい素敵な人だ。

 お言葉に甘えて休暇をもらった私が今回のお給料の一部で新しい服を買おうと思い立つのは、ごく自然な流れだったと思う。

 こちらの世界に落ちて最初のひと月は、生活環境に慣れるのに精一杯だった。

 次の月から、お世話になるばかりでは心苦しくてエダリオンさんに頼んで簡単な仕事を与えてもらったけれど、本当に簡単な仕事だったからエダリオンさんが用意してくれたお給料は辞退した。

 さらに次の月、まだたいした仕事もできなくて遠慮する私にエダリオンさんが半ば無理やりお給料をくれた。だけどそれで好きな物を買ったり遊んだりする気には当然なれず、生活必需品とエダリオンさんへの感謝の贈り物を買うのに使った。

 今まで着ていた服はエダリオンさんが近所の人から譲ってもらったもので、嫌じゃなかったけれど私には少しサイズが大きかった。大きいサイズの服は、少し動きづらい。ちょうどいいサイズの服というのは見た目の良さは当然だけれど、動きやすさの面でも重要だと改めて実感してしまった。

 だから服を買うことを決め、それができる現状を幸せに思った私は、浮かれていたんだ。いつものように私が出かけることを知った彼が同伴を申し出たのを、躊躇わずに快く受け入れてしまったくらいには。


 町の服飾店が建ち並ぶ通りを、私は上機嫌で練り歩いた。

 こちらの世界に来てから、これほど気持ちが躍っているのは初めてかもしれない。色とりどりの布を眺めているだけでも楽しくて、顔には自然と笑顔が浮かんでいるだろうと思う。

 浮かれたテンションのまま、少し後ろをついて来る彼をときおり思い出したように振り返ってみた。その度に彼はびっくりするくらい優しい顔で私を見つめていて、その月色の瞳に込められた感情の深さにほんの少し浮かれた気持ちがひやりとしたりもした。

 だけどそれも直ぐに忘れてしまうくらい、商店街の賑わいは私の心を軽くしてくれる。


(本当に、すごい人……)


 私の過ごしている町は大きくはないけれど、町の職人さんが独自の染色法を持っているお陰で町の規模の割には服飾店がたくさんある。安くて質素なものから、高価で華美なものまで揃えられたこの町の服飾商店街は、実は主要都市に住む高貴な方たちまでが利用していたりするらしい。町の誇る大きな収入源でもあるから、服飾商店街は町の半分を占めるほどの大きな商業地になっているんだ。


(あ、この先はちょっとやめた方がいいかなあ)


 町の顔とも呼べる大通りで一通りの衣装を揃えたあと、私は最後の目的地の付近で不意に思い至り、立ち止まった。目的のお店が下着を専門に扱っているお店だったからだ。そして、私の後ろには彼がいる。

 どうしようか、と逡巡する。

 彼に気まずい思いをさせないためにも、そして私が気まずい思いをしないためにも、ここは避けるべきだとわかっている。だけど、せっかくの休暇でお金もあって、目的地はすぐそこだというのにこのまま帰ってしまうのも、何かもったいない気がする。楽しみは少しずつにわけてもいいけれど、家に帰って「いっぱい買ったなあ!」なんて感慨に浸る瞬間も捨てがたい。

 なんて悩みつつ、お店の直前でちらりと彼を仰ぎ見たら、彼は何かを察したように小さく微笑んだ。


「少しだけ、お側を離れても?」

「え……、あっ、はい!」


 控えめな申し出だったけれど、外出中に彼が私の傍を離れようとするなんて珍しくて、驚きのあまり思わず大きく返事をしてしまった。

 挙動不審な私にも動じず、「四半刻ほどしたら戻ります」と言って彼はまた微笑してからそっとその場を離れた。

 ぼんやりとその背を見送って、鈍いことに私はそこではたと気づいた。彼は気を遣ってくれたんだろう、って。

 どう考えてもタイミングが良すぎるし、そもそも私の態度がわかりやすすぎだ。

 でも、何と言うか……、そつがないなあ、と思う。

 私に気を遣わせないように、自分に用事があるように振る舞ってくれるなんて。しかも、この場を離れてくれたから、待たせているという焦りもなく、四半刻と言ったから少なくとも三十分くらいはゆっくり品物を眺められる。

 今までの買い物でも待たせていたんじゃないか、って言われそうだけど、この町の服飾店は紳士向けの物も女性向けのものも同じ店舗内にあるから、彼も紳士服を眺めていたりしてあまり気にならなかったのだ。


 それから暫くして、気持ちよく買い物を終えた私はお店を後にした。

 久しぶりに思う存分……とまではいかないけど買い物ができて、すごく満足だ。

 だけど、ホクホクと幸せな気持ちで店を出たところで、それは起こった。


 私が店を出ると、彼は既に賑わう大通りの反対側にいた。

 通行人に邪魔にならない道の端で背筋をびしりと伸ばし、行き交う人を何気なく眺めている。特に気を張っている様子はないけれど、ぼうっとしているわけでもない。硬質だけれど険はなく、とにかく立ち姿がとても綺麗で、周囲からもかなりの視線を浴びているというのに、彼はそれらをつゆとも意に介してはいないようだった。逆に跳ね返すような毅然とした空気を放ってさえいる。

 活気ある商店街の通りで彼の周りだけが静寂に満ちているみたいだ。空気が全然違う。時折り白金の髪を浚って行く風まで澄んでいるような錯覚さえ覚えて、声をかけるのも忘れてつい見惚れてしまった。

 

 こうして少し離れたところから彼を見ると、やはり私と深く関わりがある人とはとても思えなかった。勝手かもしれないけど、遠く、もっと高いところで生きている人のように感じてしまう。

 私が半ば意地のように、私を知っているという彼の主張を受け入れずにいるのは、この、大きく隔たって感じられる距離感の所為かもしれなかった。


 どこか周りから切り離された空間にいるような雰囲気を漂わせていた彼は、ぼんやりと彼を見つめていた私に気が付くと、すっと月色の瞳を細めた。

 神水祭での出来事を彷彿とさせるような時間の硬直。

 彼の瞳に見詰められると、どうして動けなくなるんだろう。

 周囲の音が遠のいて、彼の呼吸の音が大きくなるようなおかしな感覚に陥る。不思議と彼の一挙一動、瞳の中に映る感情までが鮮明に見えるようになる。

 ほら、いまも。

 月色の瞳に浮かんだ碧の虹彩がゆらり、揺れた。

 少しだけ身の危険を感じた気がした私だけど、直ぐに彼の薄い唇の端がゆるんだのが見えて、知らず肩の力が抜けた。


「――あの」


 優しく細まる月色の瞳に促されるように彼の元へ向かおうとして、不意に掛けられた声に反射的に振り返ると、見たことのない男性が佇んでいた。


「落としましたよ」

「え、うわ、ありがとうございますっ」


 見れば、先ほど支払いの際に出した私のお財布だった。

 こちらの世界に来て、親切な人にはたくさん出会った。だけど、ここは日本のように治安がいいとは言えない。財布なんて落とそうものなら、落とした瞬間に消えているなんてこともある。むしろ、落とさなくたって消えることは稀じゃなかったりする。特に、ここのような人通りの多い場所では。

 それなのに、きちんと手渡してくれた誠実な人。

 嬉しくて、でもすごく恥ずかしくて、ぺこぺこと頭を下げた私はその場を逃げるように離れ――ようとした。


「――危ない!!」


 凍りついたような叫び声は、確かに彼からのものだった。

 私が声に驚いて立ち止まったとき、私の右側には馬車を引く大きな二頭の鹿毛馬の姿がもうすぐそこまで迫っていた。





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