◇アドラヴェスタの火種 前編
【キーワード】
異世界・非トリップ/召喚(=全て現地人)・少数民族VS国・秘密を抱えた主人公・過激派ヒーロー・禁断愛?
切り出したままの細木を複雑に組み合わせた上に分厚い一枚布、その外側からは吸水性と揮発性に優れた布がもう一枚掛けられ、さらにその外側、屋根部分には水を弾くよう樹脂が丹念に塗られた布。見た目は簡素な天幕は、しかしその実 頑丈で快適な作りになっている。
深い森の中、大小いくつか建ち並ぶ天幕の、中でも一際大きな天幕の一つに男はいた。
触れれば切れるのではないかと思わせる、厳しい気配を纏った男。何者をも寄せ付けない、苛烈な空気が男の褐色の肌からぴりぴりと洩れ出ているようだ。
葡萄酒のような濃赤髪は背の中ほどまでもあり編んで後ろに流されているが、頭部の左側三分ほどが綺麗に剃りあげられ、頭皮が露な部分から左頬にかけて入っている刺青に加えて、太く意志の強そうな眉と僅かに釣り気味の深緑の瞳も合わせると、男はより威圧的に見えた。
それほど固い空気を纏いながら、男は唐突に何かのダンスを踊るよう、軽快にも見えるステップを踏んだ。
――タタンッ
靴の側面を擦るような複雑な動きのステップだ。
ただし、それが誰かに披露するための動きでも、まして男の心が躍っているが故の動きでもないことは、男の鋭いままの瞳と固く引き結ばれた唇が証明している。
表情と対照的なステップの後、最後にタンッと靴同士が打ち鳴らされた。その音に掻き消されるほどの小ささで硬質な音がかすかに響く。ピタリと両足を揃えて動きを止めた男の爪先が僅かに浮いていた。
男が言葉無く足をあげると、靴裏に今までには無かった鋭い鋲が数本飛び出しているのが見えた。
深緑の双眸を僅かに細めてそれを確認し、ついで男は両の踵をそれぞれ一度ずつ打ち鳴らす。タンッタンッ、と小気味のいい音を響かせた直後、再度靴裏を覗けば鋲は跡形も無く姿を消していた。元通り靴裏に収められたらしい。
靴の仕掛けがきちんと動作していることを認め、男は間を置かず慣れた手つきで腰に佩いた得物などにも目を通していく。最後に傍らの机に置いてあった弓矢を担ぎ、外へ出た。
「――グシオン!」
出入り口の布を払い、自身の背よりも低いそこを身を丸めるようにして潜る男に、即座に名を呼ぶ声が聞こえた。グシオンと呼ばれた赤髪の男は迷わず足を向ける。連れられて来た騎獣に力強い動きで飛び乗った。
「シェリテガの中枢が動き出しているらしいな」
表情を険しくし森の奥を睥睨しながらの言葉に、騎獣を連れて来た濃茶髪の男が同じような表情で静かに首肯する。
「いずれはこうなると誰もが覚悟していただろうが、予想以上に早かったな。……グシオン、指示を出せ」
男がグシオンを仰ぐと、彼は一つ頷いて声を上げた。
「急ぎ、ヴェドゥの祠周辺の監視を強化する! アイザとナバアルに交替で指揮を執らせろ。ジャクス、お前は二人に指示を出したら俺に合流しろ。今日の巡邏では罠も確認する。今後についてはその後だ」
「了解」
ジャクスと呼ばれた男の返事を合図にグシオンは長い赤髪を翻し、騎獣を駆って森の奥へ姿を消した。
◆◆◆◆
「――はぁっ、はぁ、はぁ」
(急がなくては……!)
逸る気持ちをどうにか押し込めながら、勝手知ったる木々の合間を駆け抜ける。
森へ入ることがなくなってどれほどの時が流れたのか。少なくとも数年などというささやかな年月ではなかったが、それでも森は変わらない。何十年経とうとも、人の手の入らない森の木々たちはそう簡単に姿を変えることはないのだ。その事実は、少女にとって大いに感謝したいものだった。余計な仕掛けは施されているようだが、それも彼女にとっては子供の悪戯程度のものだった。それよりも。
「――ああ! なんて動きにくいドレスなの!」
足を動かすことはやめないが、思わず悪態をついてしまう。森は変わらずとも、少女自身が変わってしまったようだ。
縁に細かく薄桃の糸で花の刺繍が施された白いローブに、同じく白のワンピース。足首まである裾は、蝶よりもなお軽やかで、かつ滑らかに翻る。
ひらひら、ふわふわ。
傍目にはさぞ優美に映るだろう。
しかしそれが森を駆けるには決して相応しくないことは明白だった。
ローブには風に飛ばされないよう胸元に繊細な銀の留め金と、重り代わりにもなるよう裾には無駄にキラキラとした宝石が散りばめられる。正直なところ、森へ出る前に少女はこの目にも美しい宝石を全て毟り取ろうかと本気で悩んだ。目立つわけにはいかないというのに、木漏れ日を反射する純度の高い宝石はどう考えても目立ちすぎる。
さらに中に着ているワンピースの裾は、ローブで抑えられていても足を動かす度に纏わりつく。その感触は先を急ぐ少女にとって煩わしいもの以外の何ものでもなかった。
しかし、これでも手持ちの衣装の中では一番簡素で動き易いものを選んだのだ、と少女は誰にともなく内心でごちる。他には無駄に布を重ねたものや裾の広がったもの、あるいはずるずると裾の長いものなど、『森の中でも動き易いもの』という条件にとてもではないが適うものではなかった。
今思えば、どうにかして侍女か小間使いの制服でも拝借すればよかったのだろう。だが何より時間が無かった。とにかくできる限り早く行動に移す必要が彼女にはあったのだ。
「――ぃっ!」
確かこの先にうねる根っこが地面から顔を出す場所があったはずだ、と考えていたとき、不意を衝くように脛の側面あたりに痛みが走った。
少女は一瞬眉を顰めたが、それでも駆ける速度は緩めない。きっと草か幼木の枝で切れたのだろう。布を裂く嫌な音も聞こえたから間違いない。確かめるまでもないことだ。それに、もう既に何度か同じ痛みを経験している。大した傷ではないだろうと切り捨てて、少女は目の前に現れた太い根っこを飛び越えた。――瞬間。
「止まれ!!」
「っ!」
鋭く空気を震わせた大きな声に白い少女は肩を大きく揺らし、足をもつれさせた。
なんとか転倒だけは免れたものの、不恰好な体勢のまま周囲に視線を走らせる。背を冷たいものが降りていくのがわかった。
最後のリクエスト文字化です。
しかし、リクエストの内容を書いてしまうと結構ネタバレになってしまうという…。
とりあえず、『主人公の身分だけが知る秘密』というキーワードで、リクエストくださった方には気づいて頂けるといいなあ…^^




