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異世界のかけら -断片集-  作者: 滝底
本編的断片
24/48

◇助けた豹に殺されて? 後編


……和……やか? orz





 仁子が起き上がれない間、黒豹は淡々と世話をしてくれた。

 親切だとか丁寧だとかはお世辞にも言えないが、目覚めた直後のようなありありとした敵意を引っ込めてくれたことは精神的に助かった。

 少し身体を動かすだけで首の傷が痛んだ数日間、仁子を何よりも苦しめたのは手水へ行くことだ。

 まさかその場でしてしまうわけにもいかず、どうしても動かなければならないのに身体は傷に障るため自由に動かせない。必然的に黒豹に移動させてもらうしかないのだが、目的を濁しつつ身振りで伝えるだけでも羞恥を誘う上、用を足したあとを見計らったように現れた黒豹に抱えられるのは最大級に恥ずかしかった。

 羞恥に頬を染める仁子を見て温度の無い紫苑の瞳を向ける彼の態度はさらに仁子を打ちのめしはしたが、それもあと少しの間だけのことだと仁子は己を励まして過ごすしかなかった。

 途中からはどんなに傷が痛んでも我慢し、なんとか自力で外へ出ることに成功した。初めて一人で手水に行けたとき仁子は心の中で自分を盛大に褒めたのだが、傷の痛みと極度の貧血を乗り越えるほどの仁子の乙女としての意地を、誰も笑うことはできまい。

 それからは黒豹が汲んできた水も思う存分飲めるようになったし、傷の所為で固形物を飲みこめないために水分たっぷりの流動食を与えられていたが、それも躊躇無く食べられるようになった。

 そんなわけで、これならば傷の治りも早まるかもしれない、と仁子は一人浮かれていたのだ。

 ところが、彼女の必死の努力は別のところでも影響があったらしい。

 黒豹が廃村からの移動を告げたのである。

 投げやりに黒豹が放った言葉によれば、廃村に長く滞在するのは危険、とのことらしい。

 何故危険なのかの説明はなく、危険だという事実だけを伝えた黒豹は有無を言わせず仁子を抱えて移動を始めた。

 悲鳴も上げられない仁子は心の中でどれほど黒豹を罵ったか知れない。仁子が必死に無理だと手を振っても見ぬ振りを貫いたのは黒豹なのだから、仁子の呪詛も当然と言える。

 とにかく、仁子が我慢を重ねて乙女の意地のために身体を動かしたことは、黒豹にとって“動けるほど回復した”という認識となったらしく、いまだ安静が必要な仁子にとっては苦痛な行軍を強いられることとなった。




 ◇◇◇


 もと居た廃村から時間を掛けて移動すること数日、深い森を一つ抜けた先にあった古屋で、二人は一度腰を落ち着けることになった。

 そこへ辿り着いたとき、仁子は思わず『また崩れかけだ……』と心の中で呟いてしまった。

 この世界へ来てから、まともな建物を見ていない。

 初めに黒豹が言っていたデルフォスというところは話の流れからしてヒトの住める場所だと思うのだが、仁子の心にはどうしても不安が過ぎる。

 ここがどんな世界なのか、どういう生活水準なのか、どんな人たちが生活しているのか。そうした基本的な情報すら、声が出せない間は黒豹に尋ねることが難しい。こうした抽象的な質問は、身振りで伝えることに難を要するからだ。

 ただし、声が出せたとしても黒豹が質問に答えてくれたかどうかは怪しいものである。何せ、名前を尋ねただけで「名乗る必要などない」と悪し様に拒否されてしまったのだ。

 いま仁子が持つこの世界の印象と言えば、人語を操る知性を持ちながら助けた相手に感謝するどころか襲い掛かってくるほど危険な生き物がいて、ヒトが生活していたと思われる村一つが丸ごと容赦なく破壊される可能性のある危険な世界だ、ということだけ。

 この世界は、日本に数ある物語の世界のようには仁子に優しくない。

 その事実は、一層仁子の心を憂鬱に染めていった。



 しかし、古屋へ辿り着いて数日、少しだけ変化したことがある。

 仁子の気持ちだ。


 初め仁子は黒豹をひたすら恐れていた。

 世話はしてくれるが、喉笛を噛み切られそうになった恐怖の記憶は新しく、残る痛みが黒豹への警戒を常に促す。

 黒豹の命を助けた恩人である、という事実は全く何の拠り所にもならないということも思い知らされている。

 優位に立てる立場のはずが、仁子は非力でいつ殺されてもおかしくない状態だった。

 けれど仁子がある程度動けるようになったある日、これまでの黒豹の手間に対する礼として仁子がスープを作ったときのこと。

 日本で母の手伝いをしていたときの少ない経験を頼りに、仁子なりに頑張って作ったスープを黒豹は仁子の目の前で、怒りに任せて薙ぎ倒した。

 もとから奇麗とは言い難かった古屋の中、盛大に熱いスープが飛び散り、具材の一部は仁子の足に掛かった。

 同時に黒豹から掛けられたのは、「貴重な材料を全て使うとは愚かな!」という非難のこもった怒声だった。

 続けて「動けるようになって直ぐに食いものを作るとは、それほど俺の飯が嫌だったか」とか「餌付けでもしているつもりか」だとか「獣はヒトの管理のもとにあれという意思表示か」だとか……。

 仁子には到底理解できない部分で黒豹は激怒しているようだったが、そのほとんどを仁子は聞いていなかった。

 雷雨のように降り注ぐ怒声を浴びながら、仁子は薙ぎ倒され無惨に散ったスープを眺めていた。

 ぶちまけられ、ぐちゃぐちゃになったのは、スープではなく仁子の心だと思った。

 足に掛かった具材の熱さが、じわじわと仁子の足から這い上がり、やがて脳まで到達したとき、仁子の中で何かがふつりと切れる音がした。



 大人しい人間ほどキレると怖いという。

 仁子もその性質たちだったらしい。

 黒豹が仁子に浴びせた雷雨に暴風を足し、さらに熱を加えたように仁子は暴れた。出せないはずの声を振り絞り、泣き叫び、手近な物を手当たり次第に投げ、そうして朽ち掛けた古屋の中がスープより悲惨な状態に様変わりするほど当り散らした。

 黒豹に対しても色々言った気がするが、仁子はそのほとんどを覚えていない。

 次に気がついたとき、仁子は古屋の片隅で寝かされていた。

 古屋の中を見渡せば、多少荒れた感じは残っていたが、薙ぎ倒されたはずのスープの残骸は奇麗に片付けられていたし、仁子が投げたり叩きつけたりして壊れた椅子の木片なども姿を消していた。

 そして、どこかから戻ってきたらしい黒豹は何故か沈黙を守り、今までにない丁寧な手つきで悪化した仁子の喉の傷の手当てをしてくれた。

 一体なんの風の吹き回しなのか。

 これまでの常に不遜で機嫌の最悪だった黒豹はどこへ行ったのか。

 仁子は戸惑い、そして焦った。

 さらに、スープで火傷した足も含め、いつのまにか仁子の身体はそこら中傷だらけになっていたのだが、黒豹がそれらの様子も余すことなく診てくれたことには戸惑いを通り越して恐怖すらした。

 言葉こそ一言も喋らず、また仁子を無駄に威圧する覇気も完全には消えていなかったが、それでも黒豹の態度は数段軟化しているのは間違いない。

 そんな黒豹の様子を見て、初めこそ大暴れした後ろめたさと置いていかれるのではないかという思いで戦々恐々としていた仁子も、二日経ち、三日経つ頃には何かが吹っ切れた。


 そもそも、自分は何も悪くない。

 助けたのに敵意を向けられる謂われはないし、下手したてに出なければいけない理由もない。

 スープの具に食材を全て使ってしまったのは悪かったが、料理をしたのは仁子なりの気遣いだ。少しでも打ち解けられはしないかという下心があったのも認める。しかしそれでも非難されるには値しないはず。

 首の怪我の原因は黒豹自身にあるにもかかわらず、仁子は世話をしてくれたことへの感謝を示したのだ。恩知らずな獣よりもずっと偉いじゃないか。


 そう、仁子は心の内で不満を吐き出し、開き直ったのだ。



 大暴れにより再び寝込むことになった仁子だが、再び動けるようになってからはただ怯えるだけの自分を捨てた。黒豹に対する警戒心は完全に解かないものの、必要以上に遠慮することもしないよう決意したのだ。

 とはいっても黒豹ほどには不遜になれなかったが、仁子なりに嫌なことは態度に表したし、有り難い、嬉しい、と思う気持ちも素直に表面に出したつもりだ。

 それが功を奏したのか、黒豹も次第に表情から険しさが抜けていったように思う。

 仁子の傷の状態が良くなり、いよいよデルフォスへ向けて旅を始めて暫く経つと、ほんの少しだけ会話も成り立つようになった。仁子の喉はまだ喋れるほどではなかったため、どうしても身振りは交えねばならなかったし、一番聞きたい基本情報についてはやはり尋ねることはできなかったが、あの鳥はなんだとか、この葉っぱは食べられるのかとか、シンプルなことであれば黒豹は答えてくれた。ものすごく返答が端的で、会話というよりも質疑応答に近かったような気もするが。

 途中からは羽の生えた蜥蜴のような生き物に乗って移動した。

 ドラゴンというには小さく、下半身に比重もない四足歩行なので、本当に蜥蜴にコウモリのような皮膜の羽を取り付けたような生物だ。黒豹いわく、ベイダと言うらしい。

 見たことのない生き物の登場に初めはおっかなびっくりだった仁子も、ときが経てば慣れることは簡単だった。爬虫類が苦手というわけでもなかったため、二日目には動じなくなり、三日目には鼻面を撫でられるようにもなった。

 珍しいことではあったがまれに夜も行動することがあり、そんなときには眠気に負けてしまって黒豹の胸に凭れるようにして眠ったりもした。

 黒豹は暢気に眠る仁子を叩き起こすでもなく侮蔑の視線を向けるでもなく、淡々とベイダを操っていてくれたので、仁子は思う存分、極上のベルベットの感触を味わうことができた。

 古屋を出てからの移動は、仁子にとって驚くほど穏やかに時間が過ぎていった。


 だが、それもデルフォスへ着くまでの短い間だけの幻だったのかもしれない。


 まさかヒトの住むデルフォスで、喉を目掛けて獣が跳びかかってくるよりもずっと恐ろしい思いをするとは、このときの仁子は露ほども思っていなかった。

 態度が軟化し、誤解やわだかまりも少しは薄れたと思っていた黒豹に、裏切られることになろうとは。


 仁子は、デルフォスの街で地獄を見ることになる――。






 


ものすごくアレな終わりですが、導入的な感じで終了です。

果たして仁子はどんな地獄を見たんでしょうか。不憫。


リクエストくださった方、お気に召して頂ければ幸いです。^^*



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