◆異世界で刺青師? 後編 の続き
とりあえず、黒い膝下と魅惑の腰の正体を。
「何度見ても不思議な光景だな」
岩のような身体を縮めて同じテーブルについているイガルガさんが、薬湯のお陰で急速に術の解け始めた黒い膝下と魅惑の腰の両者を眺めながら呟いた。
「本当ですね。姿が完全に消えているときもそうですが、戻るときは一段と。まるで何もないところに人が描き出されていくようだ……」
ユトもまた、目の前の現象を見つめながら感嘆するように零す。私は苦笑しながら頷いた。
自分が施した術とはいえ、確かに不思議な光景だ。
術が自然と解ける分にはじんわりとした変化なんだけど、薬湯によって強制的に解除された場合は透明だった部分がスルスルと成長していくように見えるというか、まさに宙に描かれていくような感じなんだ。
もしくは、白い紙を何枚か重ねて一番上にだけ文字を書いたとき、その下の何も書かれていない紙にも筆圧で凹凸が出来ていて、鉛筆で優しく擦ると文字が浮かび上がってくる、ってあるじゃない? それにも似ているかも。
とにかくこんな現象は、元の世界では到底現実には有り得ないものだった。
「見ている方も不思議かもしれないけどぉ、本人だって不思議なのよぉ? あるはずの自分の身体がなぁんにも見えないんだものぉ」
術が完全に解け、口元に指先を添えながらくすくすと上品に笑うディーファさんの華やぐような美貌がお目見えし、思わず見惚れてしまう。
今日のディーファさんは、濃紺のタイトなドレスの上に値段を想像できない上質な毛皮のジャケットを品よく着こなしている。
波打つ髪は薄い金で、その輝きは身につけるいくつもの宝石よりもずっと彼女の魅力を引き出していると思う。
白磁の肌が濃紺のドレスに映え、赤い唇が官能的に弧を描く。垂れ気味の目尻には右だけ黒子が一つ。でもあれは偽黒子だ。セックスアピールを上げるための化粧の一つ。
その目的は大いに発揮され、旦那のイガルガさんはいつも「せめて黒子を描かないでくれ」と懇願しているらしい。“せめて”というのは、身体のラインが露わになる衣装を選びがちなことを見逃す変わりに、という意味なんだけど、今のところディーファさんはどちらも我が道をいっている。つまり、やめる気はないらしい。
……似合ってるからいいんじゃないかな?
私が見惚れている間に、美貌のディーファさんはアップルパイに手を伸ばしていた。一口サイズに切ったパイを一口食べ、ふにゃりと笑う。
「う~ん、やっぱりホノちゃんのパイは口直し以上の味ぃ」
妖艶な姿とは裏腹にパイを口にしたディーファさんの笑顔は子供みたいで可愛い。さりげなく薬湯が不味かったと言われた気もするけど、手作りのパイを褒められたので許しちゃう。薬湯の不味さは仕方ないんだ。うん。諸事情により。
私はディーファさんにお礼を言って、新しく紅茶を入れてあげた。
「ホノカ、俺にもくれ」
ディーファさんの前にカップを置いた途端、横合いから声が飛んできた。すっごい態度がデカイ。
こいつ何様、と思ったところで、先に反応したのはユトだった。
「貴方って人は、それが人にものを頼む態度ですか? せめて言葉遣いを――」
「黙れ仔猫」
「……」
「もうっ、ソルディス!」
またしても剣呑とした空気が流れかけたのを慌てて止める。パイの甘い香りが漂う中でギスギスした空気を作るのはやめてもらいたい。
寄ると触ると喧嘩になるのはどうしてなの? 年齢は明らかにソルの方が上なんだから、もっとユトに大人な態度をとってくれればいいのに!
「はい、紅茶」
差し出すと、ソルはユトを一瞥して鼻を鳴らしてから紅茶を受け取った。だから無駄に挑発するなっていうのに。
ソルはユトが片眉を跳ね上げたのも気にせず、優雅にカップを持ち上げる。口元で一度止め、香りを楽しんでから静かに透き通る赤を口に含んだ。
その仕種だけ見ていれば、ソルはユトへの不遜な態度が嘘みたいに気品を湛えて見える。一見、どこかの貴族のご子息だと思ってしまっても不思議じゃないかもしれない。
ただ、伏目がちだった視線を上げればその瞳があまりに物騒過ぎて、誰も貴族とは思わないだろうけどね。
いくら社交界に揉まれても、あんな鋭い瞳なんて出来ないと思う。あれは完全に、生死の境を何度となく垣間見た人だけが持ち得る瞳だ。
実際、ソルの通り名は“寡黙で冷厳な傭兵王”だったりする。……寡黙で冷厳?
私が始めてその噂というか二つ名というかを聞いたときは、「は? 誰それ?」と思ったものだ。……いや、思い返せば彼も初めて会ったときは確かに寡黙で厳しい雰囲気を持っていた……かな?
でも早々に口数は増えたしユトには大人気ない態度をとるしで、ソルが纏っていたはずの冷厳な鎧なんて影も形もなくなってしまったんだからこちらも早々に彼への印象は大人気ない男前に書き換えられたというわけだ。
ただ、そう、男前なのは確か。顔も、身体もね。
なんかすごく変な言い方をしたけど、どちらも本当だから仕方が無い。
漆黒と呼ぶに相応しい黒髪は艶やかで、意思の強そうな眉はキリッと眉尻が上がっている。青の瞳は珊瑚の海を思わせるほど鮮やかに透き通り、纏う黒の中で際立った美しさを放つ。
鼻筋だって当然のように通っているし、褐色の肌より少しだけ色づいた唇は薄く男らしくて、どれも完璧な配置で顔を飾っている。
ユトが幼さを残した中性的な美貌だとすれば、ソルは間違いなく男性的な美だ。
背だって190cmはあろうかという長身で、職業柄、身体は鍛え抜かれている。贅肉なんてもっての外だし、機動性の問題なのか無駄な筋肉だって一切ない。
魔画を描くために見たソルの身体は惚れ惚れするほど芸術的だった。思わず撫でさすってしまったのは思い出したくない恥かしシーンだったなあ。うん。
ソルは傭兵として戦地に立ったり、魔物の討伐に長期間出ることもあるみたいだけど、そういうときの、なんていうか、埃っぽさ? 汗と土ぼこりに塗れた荒れた感じっていうの? それが付加されると、途端に野性味が増してエロス大放出だから大変だ。主に女性たちが。
一度だけ仕事帰り直後のソルに会ったことがあったけど、正直あれは暴力的なエロさだった。
歩く18禁? 甘い甘い! 軽く20禁だったね、あれは! 素で「本当は子供何人いるの?」って聞いちゃったしね、私。即答で「いない!」って怒鳴られたけど、本当の本当はいるんじゃないかと私は今でも疑っているよ。いつか白状しないかなあ……、って話が逸れた!
とにかく、黙っていれば元の端整な顔立ちと洗練された仕種のお陰で魅力的な大人の男に見えるのに、ユトを前にすると途端に俺様不遜大王になるから困ったものだ。
「――それで? えっと、ディーファさんは新しいご注文かな?」
一通り空気やら何やらが落ち着いたところで、私は切り出した。
話を振られたディーファさんは頷き、パイのお皿を端へ押しやって正面のスペースを空けた。
「ええそうなのぉ」
一瞬、商売関係の話をユトやソルも同席しているこの場でするのはどうかと思ったけど、ディーファさんと私との商談に彼らは全く無関係なことと、限りなく信頼のおける人たちであることを考えて隠す必要はないと判断した。たぶんディーファさんも同じで、遠慮なくテーブルに持参したものを広げていく。
「これが今回のデザイン画よぉ」
続きは未定です。




