◇異世界で復讐劇? 前編 (召喚)
【キーワード】
異世界・召喚・結婚・裏切り・温い復讐・陰湿な復讐・魔族・鳥・もふもふ
シリアスダーク…と見せかけて主人公と鳥がイチャもふする話(予定)
――……ヨ……ヒヨ…ヒヨヒ……
「……?」
ほんの微かに聞こえた音に、森を進んでいた柚葉は足を止めた。
ぐるりと辺りに視線を巡らせ、首を傾げる。
――……
気のせいだったのだろうか。
耳を澄ませてみても森から返るのは静寂だけだ。
風は凪ぎ、葉の囁きも聞こえない。小鳥達は時折楽しそうに歌っているが、それ以外の気配は無いようだった。
柚葉は逡巡した後、背負った籠をきちんと担ぎなおして再び歩き出した。
この森には薬草を取りに来ている。
まだ日は高く、木々の間隙から差し込む日の光はキラキラと眩しいが、森の日暮れは早い。今は青々とした透き通るような葉も、日が傾き始めるのと比例するように暗色に染まり、地面に暗い影を落とす。あっという間に視界は悪くなるのだ。
あまりのんびりはしていられない。
それに、夕刻からは魔の時間だ。
比較的安全な森とはいえ、太陽の威光が弱まれば闇のものたちが動き出す。そうなっては大した対抗力を持たない柚葉は格好の餌食だ。
死ぬわけにはいかない。
柚葉は足を速めながら、慣れた足取りで森の奥を目指した。
お世話になっている薬草店の店主に頼まれた薬草はもう少し進んだ先にあるはずだった。
――ヒ……ヒヨヒ……
「……」
やはり何か聞こえる気がする。
先を急がねばならないがどうしても気になり、柚葉はもう一度足を止めた。
俯きがちにじっと息を殺して耳に神経を集中させる。
――ヒヨヒヨヒ…ヨヒヨ……
今度は幾分はっきりと聞こえ、柚葉はくるりと方向転換した。
何度か立ち止まって音の方向を確かめながら、探り探り進んでいく。徐々に耳に届く音が大きくなってきた。
――ヒヨヒヨヒヨ、……ヨヒヨ
「!」
やっとのことで音の出所を突き止め、膝下近くまである草をそっと掻き分けると、そこには羽を広げて突っ付しながらも懸命に声を上げる鳥の雛がいた。
「ヒヨヒヨヒヨヒヨヒ……」
「……」
……雛鳥、でいいのだろうか?
声は甲高く幼げであるし、身体はふんわりとした濃灰色の体毛に包まれている。翼も飛ぶには頼りなく、風切羽も見当たらない。見た目からいえば完全に雛だ。
しかし少しばかり、大きすぎはしないだろうか。
柚葉の知る鳥の雛と言えばせいぜい拳ほどのものがほとんどだ。確かダチョウの雛でさえ、拳二つ分程度だった気がする。
だというのに、目の前で小さく震えている濃灰色の雛はどう見ても鶏くらいの大きさはある。いや、下手をするとそれより大きいかもしれない。
こんな雛が存在するだろうか。
「……ヒヨッ…ヒ」
「――!」
悲痛な声で柚葉は驚愕の渦から舞い戻った。
よく見れば、雛は翼と足に怪我を負っている。
大きさはともかく、このままでは時機に衰弱して死んでしまうか、あるいは獣や魔の餌になってしまうことは確実だ。
それも自然の摂理と言ってしまえばそれまでだが、消えようとしている命を目の前に見ない振りをして立ち去ることは、柚葉にはどうしても出来なかった。
怪我や病を治すための薬草店で働いていることも、妙な使命感の原因かもしれない。
とにかく柚葉は多少身構えながらも震える雛にそっと手を伸ばした。
驚かさないよう出来るだけゆっくりと抱き上げる。
雛鳥の声は一層弱々しくなっており、柚葉が触れても微かな抵抗さえ見せなかった。
哀れな様子に眉を寄せつつ、柚葉は頭上を見上げてみる。
雛鳥が倒れていた付近の木にそれぞれ目を凝らしたが、鳥の巣らしいものは見当たらない。巣から落下したわけではないということだろうか。
「ヒヨ……」
「……」
柚葉は逡巡し、意を決すると雛を抱えたまま踵を返した。
ここでは草が茂り過ぎており、しゃがむにも手当てをするにも妨げになる。場所を変えねばならなかった。
◆◆◆◆◆
町へ戻ると、柚葉は荷物も置かずに真っ先に役所へと向かった。
役所へは直ぐに着いたが中は混雑しており、整理札を手に待たねばならなかった。
柚葉は簡素な椅子に座り、膝の上の雛鳥を優しく撫でながら逸る気持ちを抑えて待った。
「札番号十一の方――」
「!」
やっと柚葉の番号が呼ばれて受付へと急ぐ。
「お待たせしました、ご用件は……おや」
「……」
柚葉は説明するより先に細心の注意を払ってカウンターに雛鳥を乗せた。説明せずとも、雛を見れば一目瞭然だと思ったからだ。
受付にいた壮年の男はお決まりの台詞を途切れさせ、驚きに目を瞠っているようだった。
驚いたのは雛鳥にか、それとも柚葉にだろうか。視線が雛と柚葉を忙しなく行き来する。
「えーと、これは……」
「……森で怪我をしていて……」
「お嬢さんが手当てを?」
柚葉は頷いた。
採ったばかりの薬草を使い、店で習った簡易の血止めと痛み止めを作って、よりひどい傷のあった足に薬とハンカチを巻いた。他に布が無く自分の衣服を裂くような力も持ち合わせていなかった柚葉は、仕方なく翼の方は薬をつけるだけにした。それでも何もしないよりは増しであったと思う。
ついでに栄養価の高い木の実を磨り潰して与えようかとも思ったのだが、寸での所で思いとどまった。昔飼っていた犬のことを思い出したのだ。
確か犬はネギ類が駄目だった。猫もそうだったかもしれない。人間にとっては無害でも、彼らにはエキスでさえ有毒だった。
万が一にも、よかれと思った木の実に雛にとって毒となる成分が含まれていたら、助けようとして命を奪ってしまうことになる。
柚葉は慌てて木の実の汁を脇に捨て、代わりに持っていた水を与えることにした。
一通りできることだけやってみると、少しだけ雛は元気を取り戻したようだった。
薄っすらと濡れた瞳を開くさまを確認して、柚葉は直ぐに森を抜けて役所を目指したのだ。
役所は謂わば雑用所でもある。もちろん限度はあるので使いっ走りにするようなことは出来ないが、迷い犬の保護や行方不明の猫探しもしているのだから、傷を負った雛鳥もどうにかしてくれるのではないかと思ったのだ。
この世界には地球のように動物を診てくれる獣医はいない。町医者は動物への処置は専門外だ。
「うーん、これは……あまり見たことのない種類の鳥のようだけど……」
「……」
問うような視線を向けられたが、こちらの世界の人が知らないものを柚葉が知っているはずがない。そうでなくても少しばかり世間知らずな柚葉であるから、雛鳥を真剣に見つめている振りで役人の視線から目を背けた。
「……はあ、とりあえず預かるよ。幸い命に直結するような傷でもないようだしね」
役人は最初よりも砕けた口調で言った。単純に柚葉の容姿を見てそれが妥当だと判断したのだろう。柚葉は慣れたことなのでそれについては何も指摘しない。不快にも思わなかった。とにかく役人の言葉にホッと胸を撫で下ろす。
雛の傷は命に関わらないだろうということにも、そして何の知識もない自分ではなくある程度対応に慣れた役所の人がそれほど渋らず請合ってくれたことにも安堵したのだ。
薄っすらと金の瞳を開けている今は大人しい雛鳥の頭を優しく撫で、傷に触らないよう背を撫でると、雛鳥はどこか気持ち良さそうにヒーヨと小さく鳴いた。
◆◆◆◆
一頻りの遣り取りを終え、柚葉は役所を出た。
少しばかり緊張していたのか、役所を出た途端にどっと疲れが押し寄せ、思わず溜息が零れてしまう。
人の多いところは苦手で息が詰まる。
だがこれで一安心だ。
あの雛鳥がこの先どこでどのように生きていくのかは気になるところだったが、柚葉に出来ることはすべてやったと思う。
柚葉に撫でられうっとりとしているように見えた雛鳥を思い出し、柚葉はそっと微笑んだ。
手に持っていた採取籠を担ぎ直し、採り損なった薬草については店主のエルサーラに謝らなければと考えながら、薬草店に向かい足を踏み出したときだった。
『うわわわぁぁわわわわ――ッ』
――ガタンッバサァアッヒヨッガシャアッヒヨッドサドサドサァア――!
「……」
何か物凄い音がした。
たったいま柚葉が後にした役所の方から。
柚葉は少しだけ振り返り、直ぐに前に向き直って足早に歩き始めた。何かあまりよろしくない予感がする。
激しい物音の間におかしな音も混じっていたような……。
「――ヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨ」
「……」
そう、丁度こんな――。
……。
何か聞こえる。
背後から。
柚葉は振り返らず、さらに足を速める。
「ヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒッ、ヨヒヨヒヨヒヨヒヨッ」
「……」
必死な鳴き声が何か詰まったように途中で途切れ、直ぐに再開される。
流石に居た堪れなくなった柚葉が振り返ると、案の定、柚葉の後ろから先ほど引き渡してきたはずの大きな雛鳥がボテボテと転がるようにして柚葉の後を追ってきていた。
足に怪我を負っている所為で上手く走れないのか、幼い翼を使ってまでついてくる。
「……」
「ヒヨヒヨヒヨ」
柚葉が立ち止まったのに気づいたのか、雛鳥もまた倒れこむようにして止まった。
これは一体どうしたことだろうか。
いくら雛と言っても走れるくらいには成長しているし、刷り込みの時期はとうに過ぎているはずだ。それなのに何故、親鳥を追うかのように柚葉の後を追ってくるのか。
柚葉が抱き上げようか、それともこれ以上触れない方がいいのかと逡巡しているうちに、先ほどの役人が役所から飛び出して来た。頭がボサボサになり、シャツまでもがよれている。一体何があったのかと、柚葉は少し不安になった。
「ああああ、急に暴れだすから驚いたよ! とにかく中へ――うわわわわわ」
「……」
役人が雛鳥を抱き上げようとした途端、雛鳥は思い切り暴れだした。どこにそんな力が残っていたのかと思うほどの脚力で、深い傷を物ともせずに役人を足蹴にしている。
あまりの光景に柚葉が唖然としているうちに役人がパタリと倒れ、ボトッと着地した雛鳥がまたしても柚葉に向かってきた。
「ヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨヒヨ」
「……うぅ」
◆◆◆◆◆
「……ただいま、バルナスっ」
柚葉は家に帰るなり、立ちはだかる壁に躊躇無く突っ込んだ。
壁ではあるが、全く痛みはない。
巨大な壁は柔らかな灰色の毛に覆われ、ふうわりと柚葉を受け止める。
柚葉が埋まるくらいに豊かな毛皮はどこまでも滑らかで細く柔らかく、空気を存分に孕んでふっくらとしている。
全身を極上の羽毛に包まれ、柚葉はうっとりと甘い吐息を零した。
「ピーヒョル」
毛に覆われた壁が高く透き通った鳴き声をあげた。
――そう、この巨大な羽毛の壁こそ、柚葉があの日に助けた雛鳥の成れの果てだった。
あの頃も確かに大きな雛だとは思ったが、だからと言ってたった一年ほどで十畳以上はある部屋を目一杯まで埋め尽くすほど巨大化するなど、誰が思うだろうか。
少なくとも柚葉は思わなかった。全く。
だからこそ、柚葉を必死に追いかけてくる雛鳥を世話することに決め、一人暮らしのそれほど広いとは言えない自宅に連れ帰ったのだ。
それが、今や立ち上がれば三メートル近くはあろうかという大きさにまで成長し、くちばしから尾の先まではギリギリ室内に収まるかどうかというほど。
もはや怪鳥の域だ。
連れ帰ってから、どんどん大きくなる雛鳥(だったモノ)の世話を続けつつも、自分でお世話しようなど安易に過ぎた、と柚葉はちょっとだけ後悔したことがある。
しかし驚くのはそれだけではなかった。
雛鳥が幼毛のまま、そろそろ異常な大きさではないかと柚葉が思い始めるほど育った頃。
柚葉が薬草店から帰宅すると、ひたすら柚葉を追いかける大きさ以外は可愛らしかった雛鳥が、忽然と姿を消していたのだ。
代わりのように柚葉を出迎えたのは――。
ヒーローは鳥です。(←




