◆異世界人だらけの異世界? 後編
ちょっと長いです。
後半ほぼ世界観の説明なので、面倒な方は前半だけお読みください。
「えっと……、それで?」
来夏は不機嫌に眉を寄せるニヴルに恐る恐る尋ねた。磨き上げられた眼鏡、その奥のスカイブルーがギロリと来夏に向けられ、思わず一歩後ずさる。
何て険のある視線だろうか。どこまでも熱く、そしてどこまでも冷たい、――スカイブルー。たったひと睨みで燃やし尽くされ、あるいは永久凍土に埋められるような。……どちらにしろ死亡確定なのだが。
どうして彼はこれほど怖いのか。そして態度が大きいのか。一応仕事の面で先輩なのは来夏の方である。
(少しくらいは敬ってくれても……)
そう心の中でぼやいたところでさらにニヴルの眼光が鋭くなり、来夏は慌てて目を逸らした。
「『それで?』とは何です」
「……え?」
「『それで?』という質問の意図は何か、と聞いているんです。まるで私があなたに用事があるような言い草ですが、聞きたいのは私の方です」
言っている意味がわからない。というか、物凄く嫌味ったらしく言われた。要するに、『俺はてめぇになんか用はねぇ!』ってことだろうか。
来夏は目を泳がせながら、いつも肌身離さず持っている鞄をギュッと抱きしめた。
「え、だって、今日は西の町に出た霧魔を浄化しに行くんじゃ……」
そうだ。確か、昨日そんなことを上司である少年館長プルウス・レアルに言われたはずだ。霧魔の浄化は本来なら来夏やニヴルの出る幕ではないが、少しきな臭いので浄化ついでに見て来い、と。
だからこそ来夏はパートナーであるニヴルを彼の部屋まで迎えに来た。まあ、合鍵を使って中に入って待っていたら、気持ちの良さそうなベッドに引き寄せられて思わず転寝……いや熟睡してしまったのだが。
「その通りです。ですから陽刻 三半月(午後一時頃)にロダの噴水前で、と昨日伝えたはずですが?」
言いながら眼鏡を押し上げる。神経質そうなその動きがニヴルの苛立ちを伝えていた。
しかし、そうは言っても来夏とて困る。昨日そんなことを言われただろうか、と記憶を探ったが、それらしい場面は一向に出てこなかった。
「それっていつのこと……?」
聞き返すと同時、ニヴルの片眉が跳ね上がった。同じだけ肩をビクつかせた来夏は戦々恐々と次の言葉を待つ。
またやってしまった。
たぶん、明らかに、確実に、来夏の方が伝言を忘れたか聞いていなかったかのどちらかだ。
そう思ったのは間違いではなかった。悲しいことに。
「……昨日、館長からのお達しを受けた後です。調べものをしているときに、明日……今日は、薄陽(午前六時~正午まで)の間に済ませなければならない用事があることを思い出したので、閉架にいたあなたに伝えに行きました。……あなたは寝ていましたがね」
(ああやっぱり!)
予感が的中したことに来夏は頭を抱えそうになった。そうしなかったのは、ひとえにニヴルの辛辣な嫌味を回避するためだ。自分に落ち度があるのに頭など抱えて苦悶すれば、自業自得とばかりに非難が降る。自分の行動への非難を予想して頭を抱えたくなるのだが、頭を抱えたとしても非難されるのだ。どちらにしろ嫌味は免れない。
来夏は背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、必死で言葉を探した。
「で、でも寝ていたなら――」
「起こしました。起こしましたが涎を垂らしたまま起きませんでした」
「じゃ、じゃあ書置きでも――」
「残しました。見逃さないよう、あなたの後生大事にしている咎書の下に差し入れてまで」
「……ついでに誰かに言伝――」
「私がそこまでする必要が?」
「……はい、ありませんです……」
来夏は負けた。尤も、悪いのは来夏であるため何とも言えない。
そもそも、閉架には寝るために行ったのではないのだ。ちゃんとやるべきことばあったのだが、静かな空間で睡魔に勝てなかった。まさか席についてものの数瞬で意識がなくなるとは来夏自身も思わなかった。
眠るべきではないときに眠り、起こしても起きない来夏にメモを残したのなら、ニヴルに非はない。メモを読まなかったのは来夏だ。
しかし、メモなどあったかな? と来夏は首を捻った。咎書の下に差し込んだのなら、来夏が気づかぬはずがない。何故ならその咎書とは、来夏がこの世界に留まる理由であるからだ。だが、一方でニヴルも決して必要の無い嘘などつかない人物だ。
では何故メモは見当たらなかったのか。
そのとき、来夏の脳裏に一つの場面が浮かんだ。
(ああ! きっとアレだ! どっかの本から鎧兜が逃げ出して、それに叩き起こされて走り回ったとき!!)
来夏は半透明の鎧兜がガシャガシャと人の周りを走り回り、集めていた資料諸共、机にあったものを全てバラバラにされたことを思い出した。
◆◆◆◆◆
ここは、モルレニクス巨大図書館と呼ばれる、途方も無い量の蔵書が集められた途方も無い大きさの図書館だ。別の名で千年図書館とも呼ばれている。
そして今、来夏はこの千年図書館で導書師の一人として働いていた。
来夏は、二年半ほど前までは全く別の世界の日本という国に暮らす、普通の女子高校生だった。それがある日何を間違ったか――。
来夏はその日、いつものように学校の図書館で借りた本を中庭で読もうとしていた。
本を借りるのは来夏にとっては既に習慣的なことで、別段いつもと変わったようなことはなかった。
しかし、その日開いた本は何かが違っていた。いや、何かなどと曖昧なものではなく、はっきりとした違いがあった。――開いた本の文字が滲んだり浮かび上がったり、果てはうねうねと動いたりして見えたのだ。
その日までに来夏は色々な本を手にし、何度となく開いては閉じることを繰り返してきた。しかし、これまでこのような現象に遭遇したことなどただの一度もない。だというのに、目の前で起こっているこれは何なのか。
まさか、自分は病気なのだろうかと不安に駆られているところへ、目の前に一人の少年が現れた。しゅるり、ばさり、と空中に衣を翻し、それは実に唐突な出現だった。
来夏の目の前に立った葡萄色の髪に紫水晶の瞳をしたその少年は、異様に整った見目をしており、白を基調としたローブのようなものを被り、手にはきちんと開けるのか怪しいほど分厚い本を持っていて、……要は、明らかに不審者だった。学校の中庭に居てはならない類の。
見た目は純粋無垢な少年に見えたが、どう見繕っても高校生には見えない。周りの景色から浮いたその少年は、『文字が浮いて見えたり動いて見えたりするのは、“導書”の才があるからだ』とか何とか……。
来夏が理解できずにポカンとしているのをいいことに、少年によってあれよあれよという間に勝手に千年図書館の導書師として就職することが決定され、高校も中退させられた挙句、親元からも引き離されたのだ。
直ぐにこのときの少年が来夏の上司となる、千年図書館の館長プルウス・レアルだと知るのだが、それまで来夏は彼のことを使いっ走りの小間使いか何かだと思っていた。……まあ、それにしてはいやに身奇麗ではあったのだが。
では、この千年図書館――モルレニクス巨大図書館とは一体どんなところであるのか。
まず、モルレニクス巨大図書館は、来夏の生まれた地球とは別の次元、空間に存在している。
もちろん、ただ大きなだけの図書館などではない。
この場所にはあらゆる次元で生み出された“魂ある蔵書”が集められるのだが、それらを管理・保管、あるいは返還するのが、モルレニクス巨大図書館の役割だった。
“魂ある蔵書”とは、蔵書に込められた著者の強い思念や熱意、あるいは蔵書を手にした者達の思いにより、書かれたものが蔵書の中だけでなく現実世界へ影響を与え得る力を持った、特殊な蔵書のことである。
この“魂ある蔵書”が現実世界に齎す影響の形は様々だ。
例えば、“霧魔”。
霧魔とは、魂ある蔵書からその蔵書に関わる思念が、霧や靄として溢れ出し、漂いながら何処かに行き着いて凝り固まったものを言う。
霧魔に実体はなく、見た目も濃い霧のような、輪郭のない曖昧なものだ。
この霧魔が現実世界へと与える影響は、悪戯程度で終わるものから悪質な悪さとなるもの、延いては人を害することまであり、またその力の使い様も様々である。
そして霧魔に留まらず、物語の中に登場するモノたちがあまりに強い力を得た場合、霧魔よりもはっきりとした形を持って外界へ飛び出してくることもある。これは“躁魔”と呼ばれる。――来夏がニヴルのメモを失った原因である鎧兜は、こちらのパターンだ。
さらに、文字自体が蔵書から逃げ出すこともある。
この場合、周りに対して悪影響を及ぼすものを“邪字”、ただ浮き出て漂い跳ねるものを“躍字”と区別する。
そして、これら蔵書から飛び出したものたちを総称して“書魔”と呼ぶ。
このような書魔を浄化、あるいは捕まえ蔵書に戻し、固定化を施して、二度と外界へと影響を及ぼさない、人々が自由に手にできる蔵書にするのが導書師の仕事だった。
と言っても、導書師の仕事はそれだけではない。外界へ干渉してきた書魔に対処するだけでなく、ときには蔵書の中へと実際に渡ることさえあった。
このように導書師の仕事は多岐に及ぶため、霧魔などの割合扱い易い――その場凌ぎではあるが霧散させるだけで済むような――相手の場合は、導書師ではなく街の警吏が対処することも多い。
だが、霧魔を完全に浄化し、あるいは霧魔よりも高度な書魔に対抗、加えて蔵書の中を渡ることは、才ある者にしか担うことが出来ない。つまり、導書師として見い出された者にしか出来ない仕事なのだ。
こうした理由から少年館長プルウス・レアルは才ある者を発掘し、導書師として雇うのだが、この導書の才がかなり稀有なものであるため、モルレニクス巨大図書館のある次元に生きる者達だけでは賄いきれない。そのため、少年館長はあらゆる次元を渡り、才ある者を攫うようにして強制的に千年図書館へと就職させているのである。
つまり、千年図書館で働く者は、そのほとんどが何処か見知らぬ異次元、異世界から連れて来られた異世界人なのだ。その所為か、純粋な“人”ではない者も中には存在したりする。
モルレニクス巨大図書館がどういう経緯で生まれたのかは定かでない。しかし、ここへ連れて来られた異世界人たちの子孫によって作られたのが館下にある巨大都市――国とも言える――ファタブラーエであり、その中にある街の一つがロダだった。
まさにここは、モルレニクス巨大図書館を中心に作られた世界だった。
この千年図書館があることで、館下の街では不思議が溢れ、現実と虚構が交錯する。あらゆる次元の者たちが集まったことで、相当の文化や技術が雪崩れ込み、しかし長い年月をかけた先人たちの努力により不要なものや突出したものは淘汰され、残ったものたちが全て衝突し合うことなく上手い具合に混在していた。ただし、種族に関してはこの限りではなかったが――。
来夏にとってみれば、ここは何でも有りの闇鍋的世界だったが、それでもこの場所が存在していることは事実だ。
慣れるまでにはかなりの時間を要したが、パートナーのお陰でここまでこれた。
導書師の仕事は二人一組のパートナー制だ。現在の来夏のパートナーはニヴルである。
しかしこのパートナーは最初から最後まで同じ者と組まされるわけではなく、三年ごとの更新制がとられていた。何故なら、導書師は三年ごとに帰還の選択肢を与えられるからだ。
導書師として見知らぬ場所に強制的に就職させられたとは言え、実は必ずしも縛り付けられているわけでもなく、来夏は心から望めば地球に帰ることもできる。
ただそれは、この場所についての記憶を丸ごと消し去られてからのことである。また、導書師としての能力が残っていると日常生活に支障が出るため、その能力も剥奪――埋没させられてしまうのだ。
モルレニクスに連れて来られてからは見習いとして三ヶ月は少年館長プルウス・レアルについて仕事をすることになる。多いときで一日数人の導書師見習いが連れてこられるが、少年館長プルウス・レアルが面倒を見るのは大体一人だ。では残りはどうなるのか。――残りもまた、少年館長プルウス・レアルが担当する。
これはどういうことか。噂では一部の見習いは何処かで眠らされるとか、少年館長は分身できるとか、あるいは実はプルウスは一人ではないのではないかと言われているが、真実は闇の中だ。
とにかく、少年館長の下で三ヶ月の修行を積んだ後、まずはそこで最初の選択肢が与えられる。帰るか、導書師となるか。
心から帰りたいと思えば、そこで見習いたちは帰してもらえる。ただ、不思議なことにこの段階で帰還を望むものはあまりいないのだが――。
とにかく、導書師となった後も、異世界から連れて来られた者には三年ごとに帰還の選択権が与えられるのだ。
だが、来夏は切実に帰りたいとは思わなかった。だからこそ今でもこの場所立っている。……咎書とともに――。
とっても説明くさいorz そしてまだ謎の用語もあり、かつ主人公たちの生活は垣間見る程度となってしまいましたが、とりあえず終了です。
街で起こる不思議や本に書かれた物語の歪みを解決していくような短編連作ものを書きたくて練ったお話です。
深いようであんまり掘り下げきれていないので、既におかしな部分がありそうですがorz
どこか気になるところがあったら今後のためにご指摘くださいませ。
“導書”という言葉は“魔導書”を参考に考えたんですが、“導書”という言葉自体はあるのかと検索をかけたら、とある方が使っておりました。
しかも、“動く文字”という観点で……驚愕。
ですがもちろん、その方とこちらの作品は全く関係ございません。
念のため申しますと、参考にさせて頂いたわけでもありません。
“文字が動き出す”という設定はもうある程度使い古された設定のような気もするので、どっかで被ってやしないかと戦々恐々とはしておりますorz
でも結構気に入ってる設定だったり。




