◆異世界で人違い? 前編 (トリップ)
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「――……何故、逃げるのですか」
――こっちが聞きたい。
何故、追い掛けるんですか……。
目の前に迫る月色の瞳に、淡い碧の虹彩が熱く燃えるようにちらちらと踊っている。
その瞳を見つめながら、私の胸は高らかに鼓動を打っていた。
――散々走り回った所為だ。
この、目の前の息も乱さぬ精悍な顔つきの青年に、追い掛け回されて。
◆◆◆◆
今日は街で少し大きめのお祭りがあった。
何でも、『神水祭』というらしい。
文字通り、水の神による恵みに感謝し、またこれから先も豊水であるようにと祈願するお祭りらしい。
元々、この街を含むブリュエス国は豊富な水脈があることで有名で、街にも至るところに水路が張り巡らされ、また綺麗な噴水もたくさん設置されている。森に入れば幻想的な泉や湖がある。
そうした水の恩恵は、水の神の加護によるものだと信じられていて、国自体も水神によって守られているとされている。
その水神による加護に謝意を表して、国内の主要な都市や大きめの街には小神殿と呼ばれる水神を祀る神殿が建てられていて、年に一度、水神の神子がその各地の神殿を回る、国を挙げての大々的なお祭りが催されることになっていた。
大々的とは言っても、国全体で見たらという話で、城下と主要三都市以外の各地方の街では大袈裟なものになるわけじゃないみたい。
小神殿のある地方の街では、神子が滞在する二日間だけ祭りは開かれ、小さなイベントがいくつか催され、皆で水神への祈りを捧げて終わる。
二日目には『神水祭』の一番メインのイベントである『泡花流し』というものが行なわれる。
これも読んで字の如しで、街にある噴水や水路に、ある特別な植物から作れる天然の泡と色とりどりの花の花弁を流すものだ。
水神に感謝するのに、噴水や水路を汚すようなことをしていいのかと疑問に思ったけれど、流す泡には汚れを吸着する力があるらしくて、流石に水中までとはいかないけれど水面の汚れを掃除できるから理には適っているということで納得した。とは言えもちろん、祭りの最後には花弁なども回収することになっているのだけど。
澄んだ水面に真っ白な泡と、色とりどり大小の花弁が散る様は、それはそれは綺麗なんだそうだ。
そして、今日はその二日目なのだ。
私はこの祭りで“花弁売り”をしていた。
お世話になっている人が“泡売り”をするということで、私もお手伝いをさせて欲しいと頼んだんだけど、初めてのお祭りなのだから『泡花流し』を見た方がいいと言われてしまった。
なんでも泡売りは一定の場所で、予め用意した植物を只管泡立てて売るという地味な作業だから、若い娘がする仕事じゃないらしい。
私は別に気にしないんだけどな。
そう思って、普段お世話になっている人が働いているのに暢気にお祭り見物をしているのも気が退けるからと粘ったら、じゃあ花弁売りの仕事なら移動しながら出来るから、合間に水路などを眺めながら売るといい、と苦笑しながら言って、花籠を手渡してくれた。
そりゃあお祭りを楽しみたいと思う気持ちもあったけど、それよりもその人には本当にお世話になっているから、その恩を少しでも返したかったのだ。
花弁売りも泡売りも単価が安く、ほとんど儲かることはない。それでも、塵も積もれば、だ。
街の通りには私の他にも花弁売りの娘さんはたくさんいて、皆目立つように声を上げている。
私も負けないように声を出した。
「泡花流しの花びらどうぞー!」
正直何の捻りも無い呼びかけだけど、花弁売りは声を出さなくても売れるんじゃないかと思えるほどに盛況で、何か特別なことをする必要も、他の娘さんたちと競う必要も無いみたいだった。
だから割とのんびりと売り子が出来る。
私は花弁を売る合間に、澄んだ水路にまるで綿飴のようなふわふわの白い泡と、ピンクや黄色、赤や紫の花弁が散る美しさに目を奪われていた。
驚いた。本当に、なんて綺麗なんだろう。
水路の水はゆっくりと流れ、浮かぶ泡と花弁はゆらりゆらりと揺れながらゆったりと流れていく。流れる水はもちろんだけれど、真っ白な泡も角度によって日の光を弾いて宝石みたいに煌いていた。大小の花弁はまるで万華鏡のように鮮やかな模様を描いては離れを繰り返している。
本当にこれは見ないと損をしていたところだ。
お世話になっている人に後できちんとお礼を言わなければ、と思いながら、少しだけその幻想的な雰囲気に見入った。
小休憩を挟みながら売り子を続け、花籠の中の花弁もあと少しとなった頃、小波が押し寄せるように周囲が騒がしくなって、私は花籠に落としていた視線を上げた。
風に吹かれて小さな泡と花弁が舞う中、ざわめきの中心と思われる場所に目を向ける。
思わず口をぽかんと開けて惚けてしまった。
大通りを白い集団が横切っていく。
その中心には、薄水色のロングドレスに身を包み、頭には花冠とベールを乗せた美しい女の人がいた。
大通りをパレード用の馬車に乗ってゆっくりと進んでいく。
横に立つ他とは違う騎士服を身に付けた男性に支えられながら、街の人たちに手を振るその人はきっと水神の神子様だ。
華やかな微笑みを浮かべた神子様は可憐で、神子というよりも妖精や女神と言った方が正しいんじゃないかと思った。
宙に舞う小さな泡と花びらも、その艶やかな立ち姿に彩りを添えている。
水神の神子は、もっと控えめで静々としたイメージを何故か抱いていた私は少なからず驚いたけれど、これはこれで綺麗だからいいのかもしれない。
華麗なパレードは緩やかに小神殿へ向かって行く。
前には馬車を守るように騎士がいて、先頭には徒歩の、次いで馬に騎乗した騎士、馬車と続く。後方にも同様に白い騎士服を着た青年たちが続いていた。
心なしか、街の女性たちは神子様よりも、その周りを固める騎士たちに目を奪われている気がする。
でもそれは仕方ないと思う。だって、皆すごく男らしく格好いいのだ。
白地に水色や青の刺繍が施された、かっちりとした騎士服には銀と金のエンブレムが輝いている。ともすれば下品にも成りかねないはずの金色だけど、実に上品に青い刺繍と共に襟元や袖口をも彩っていた。
腰に佩いた剣は騎士服と同じような配色で、鞘には小さな宝石が飾られている。
背には真っ白なマントを流し、視線を真っ直ぐ前へ向けている精悍な様は、誰もが憧れる騎士像そのままに見えた。
大きくはないこの街では、騎士にお目にかかるなんて滅多にないことだろうし、決して手の届かない存在だけれど、憧憬を向けるには最高の対象なんだろう。
うん、すごく、眼福。
しばらく陶然と華やかな神子様と凛々しい騎士たちを眺めていた私だけど、近くから花弁をくださいという声が聞こえ、我に返った。
街の人はほぼ全員がパレードに見惚れていると思っていたけれど、改めて見渡すとそうでない人も結構いる。
どこか冷めた様にパレード見つめる人もいるのは何故だろうと思ったけれど、泡花流しの美しさの方が身近だと感じる人も多いのかもしれないと思って、緩んだ顔を引き締めた。
あと少しだけど、仕事をしなくちゃ。
私はまた声を上げた。
「どうぞー! 泡花流しの花弁、こちらにありまーす!」
ユーモアの欠片もない文句で売り子を続け、最後の花籠の中の花弁もあと一握り、と思ったときだった。
ぞくりと何かが背筋を這って、私は思わず振り返った。
殺気?とか本気で思うほどに、背中がピリピリした。
まあ、殺したいと思われるほど人との接触なんてほとんどしていなかったから、有り得ないな、と思い直す。
でも凄く強い視線を感じるのは確かだ。そこまで人の気配に敏感なわけじゃない私が感じるほどに、鋭い視線。
小さな恐怖を抱きつつも視線を彷徨わせて、その正体はすぐに判明した。
――心臓が止まるかと思った。
パレードの後方、神子様が乗る馬車の後ろに、その人は居た。
パレードに合わせ豪奢な装飾を付けられた真っ白な馬に乗る、白い騎士服に身を包んだ人。
日を弾く白金の髪。健康的に焼けた褐色の肌。何よりも、目が合って大きく見開かれた月色の瞳が印象的だった。
直ぐに見極めるように細められた月色の瞳に、碧の虹彩が燃えている。
虹彩まで見える距離でもないのに、何故かそれが分かった。
――なんでそんなところに。
貴方はもっと前に居るべき人なのに。
どうしてそう思ったのかはわからないけど、突然心に降って湧いた言葉だった。
たぶん、その人が、他の騎士よりも随分と立派に見えたからだ。少なくとも、その他大勢の騎士に紛れるような人じゃない。
騎士服は他の人と変わりはないし、年齢だって同じくらいだと思う。だけど、雰囲気が全然違った。
背筋を伸ばし馬に跨るその人が纏う空気は固く、一切の甘さを削ぎ落とし他人を寄せ付けない排他的な居住まいだった。自らを厳格に律し、己を磨き上げてきたと想像できるような厳然とした姿。
端整な顔は艶っぽく見えるのに、引き締められた薄い唇やきりりと上がった眉が全体の雰囲気を禁欲的なものに押さえていて、その両極性が、彼の魅力を更に引き出しているようだった。
神子様の馬車が大通りの奥へと流れ、その後方に続き、白毛の馬に乗って泰然と歩むその人。
彼は暗く燃える瞳でじっとこちらを見据えたまま近くの騎士へ何かを告げ、ゆっくりとパレードから離脱していく。
視線は逸れない。
それを見つめ返しながら私は、妙な焦りが胸に込み上げてきていた。
全然、知らない人だ。
それは確かなのに、彼が私に向かってきているのもまた確かだった。
強い視線は少しも力を失わないまま、白馬を操る彼が人混みを掻き分け、こちらに向かってくる。
喧騒は遠く、私と彼以外が色を失ったように感じる。
足は地面に縫い付けられ、瞳は彼に引き寄せられている。
徐々に近づく彼を見つめながら立ち尽くしていた私は、動き続けていた街の人と軽く肩が触れ。
――弾かれたように走り出した。




