64 目の前の情報を理解することに数秒の時間を要した。
因果応報?いえ、ヒトコワです。
目の前の情報を理解することに数秒の時間を要した。
『どうしたのかね?ジョン君?』
電話の向こうのマルケットは、事態を理解していないかのように暢気なものだった。だが、マルケットはこの事態を理解している、それは明らかだった。
「ふ、ふざけるな。なんだこれは。」
なんなら、マルケットの指示に違いない。
「どうして、通路がふさがっているんですか?」
扉を開けた先にあったのは、コンクリートの壁だった。急造で作られたのか表面はざらざらしているし、デコボコだらけ、ただ、本来は通路が続いていたはずの扉の向こうは完全に封鎖されていた。
『ああ、それね、君たちのビジネスを邪魔しないために、封鎖したんだよ。二日前ぐらいにメールしたんだけどなー。』
なんてやつだ。
電話の向こうですっとぼける老人に対して、ジョンは初めて恐怖を覚えた。
ジョン達の間にあった契約は、資金提供の代わりにジョンの会社のキャラクターをアシストンバレーのマスコットキャラとすること、園内の一部にショップやアトラクションを建てることだった。
その前段階として、施設の地下倉庫の一部を間借りする。それがジョンの狙いである、マルケットはその期待に応えて、かなりの広さを提供してくれた。
『秋のビジネス展開に向けて、準備は秘密裏に行っていたんだろう。そういうの大事だよー。』
アトラクションやショップの詳細を知っているのは、ジョンとマルケットと数名の幹部のみ。その上で、お互いが行き来するための通路を潰して塞ぐなんてことができるのは、マルケットだけだ。
『君のところと契約したらさー、君のとこの事情を探ろうとする人が増えちゃってねー。そのあたりも連絡したよね。』
「ええ、はい。それはたしかに、何か対策を考えないといけませんねーと話しましたね。」
表向きは上手に立ち回っているが、儲けのあるジョンの会社はそれだけでもかなり注目されている。提携先から情報を得ようとする輩は多い
その対策として、発表は業務提携のみで、詳細は極秘。従業員たちの交流も最低限のものとした。お互いのエリアを地図上で仕切り、侵入禁止とした。
アシストンバレーの今後を賭けた一大プロジェクトであり、情報の流出をコントロールするための処置、そうお互いに納得した上での住み分けだった。
『うちの新アトラクションということもあって、従業員の中にもそちらに忍び込もうとする不届きものがいてね。そのために扉の鍵を強化しただけでもあれだったんで、物理的に封鎖したんだ。』
「やりすぎですよ。」
『でも、問題はないだろう。契約上は。』
秋のオープン直前まではお互いに不干渉。契約の一文である。マルケットはそれをより確実にするために通路を封鎖したにすぎない。普段から使っていない通路なので業務にも問題はなかった。
表面上は・・・。
「やりやがったな、じじい。」
『ははは、そうやって口が悪い方が信用できるというものだよ。』
わかった上で、やりやがった。とジョンは即座に理解した。
自分たちがアシストンバレーを隠れ蓑にして、違法な取引を画策していたこと。そのために倉庫と施設の一部を利用しようとしていたこと。いずれは、従業員たちや幹部を仲間に引き込んで、アシストンバレー全体を自分たちのマーケットに作り替えようとしていたこと。
だから、契約を理由に、物理的に隔離した。
「非常時や災害のときはどうするんですか。」
『消防法には違反してないよ。消火装置などは適切に設置してある。倉庫として利用する分には問題ない。』
「そんなわけあるか。」
幾らオーナーとはいえ、倉庫として利用している施設をこのように無理やり封鎖していいはずがない。世間に知られば批判は確実だろう。
『遊園地というは、子どもに夢を与える場所だ。そのためなら何だってするさ。』
ぞくり
その言葉に込められた覚悟にジョンは背筋が冷たくなった。
客を選ばない商売をしていたから、様々な人間と取引をしてきた。テロリストやギャングに、異常性愛者などの凶行に手を貸したこともあれば、銃やナイフで襲われたこともあった。
それに、つい数分前は、勝手に動くぬいぐるみに、巨大なマウスと非日常な体験だってした。
『何があったかは、知らない。だがその様子、トラブルのようだねー。』
その言葉はどこまで真実なんだろうか?
監視カメラなどはジョン達が掌握しているので、マルケットは知っているはずがない。
ここでの取引は危険なものなので、信用できる部下たちに準備をさせ、顧客も信頼できる相手を選び抜いた。幹部達には金を掴ませてマルケットの動向を伺っていた。
『私はね、最初から君を信用していなかった。幹部達がどうしてもいうから、契約しただけだ。』
だとしたら?
「最初から・・・。」
自分たちを生き埋めにしようとしていた?
今日の取引の情報は漏れていない。漏れていたら、警察なりFBIあたりは動いていただろう。
リドルの存在をマルケットは知らない。知っていたら、もっと大きな組織が動いていただろう。
だからこそ気づけなかった。
商売の秘密を守るためにジョン達もこの通路を使う気はなかった。なんなら、荷物を積んで通路を隠していたぐらいだ。今日のようなトラブルが起きなければ、意識にすら浮かばなかっただろう。
『私は、アシストンバレーを愛している、愛のためなら何だってするよ。』
無骨なコンクリートは彼の執念の現れだ。自分の城であり領土を守るという断固たる意志。他の通路も塞がれている。もしかしたら、正面の搬入口も今まさに閉鎖されようとしているかもしれない。
「くそおおお。」
地面にスマホをたたきつけて、ジョンは通話を切った。
「とんでもないミスをしてしまった。」
助けを求めるための電話が、狂人に最後の一手を決意させる悪手になってしまった。
「ぼ、ぼす?」
「急いで引き返しますよ。」
目の前の壁を突破する方法はない。ぬいぐるみの化け物も、怒り狂った顧客も関係ない。今は一秒でも早く脱出しないといけない。事故など、リドルなど関係なかった。
老人の狂気の方がはるかに恐ろしい。
さらっと生き埋めに・・・一番怖いのは人間。




