63 迫りくる大量のぬいぐるみは、次々に這い出して、倉庫内の人間に次々と襲い掛かった。
ぬいぐるみハザード発生??
迫りくる大量のぬいぐるみは、次々に這い出して、倉庫内の人間に次々と襲い掛かった。
「こ、この。」
最初に襲われたのは、他の客を見張るために周囲の輪からか離れていた数人だった。
一匹が足元にまとわりつき、慌ててそれを振り払う。だが、そうやって足を止めたら、最後、首に足に手に、ぬいぐるみたちは飛びつき、まとわりつく。そしてその柔らかい身体をメリメリと押し付けて、その体をすりつぶしていく。
「こ、この。」
誰かが引き金を引いた。護身用に最低限許可されたピストル。それは数体のぬいぐるみに風穴をあけ、吹き飛ばすが、隙間を縫うようにぬいぐるみたちが集まってくる。
「なんだこいつら?」
誰かの悲鳴に応えるモノはなく、悪夢は幕を開けた。
共食いの果てに数万とあったぬいぐるみの残数は1000体ほど、1人の人間を殺すのに数十体。客や従業員たちが協力すれば 対処はできたかもしれない。だが、この非現実的な光景を前に、彼らは団結するという判断ができなかった。ゆえに対応はバラバラで、被害は広がっていった。致命的に。
ある者たちは立ち向かった。
「くそが、やりすぎだ。」
いくつかの死線をくぐったレオなど一部の客達は、ぬいぐるみ達に、対応できていた。
「デモンストレーションとかだったら、あいつ殺してやる。」
近づいてくるぬいぐるみを蹴飛ばしながら、レオは怒りをあらわにした。その怒りを受けたぬいぐるみは勢いのままに四肢と頭がもげて動かなくなった。少なくとも頭をもげば動かなくなる。それは朗報であったが、まるで生き物のような結果は、このおかしな現象の奇妙さと恐怖を一層感じさせた。
「ちっ、グラのやつがやられた。なんなんだよ、これは。」
「知るか、ささっとずらかるぞ。」
あっさりと飼育係を商品にしたジョンのことだから、これすらも自分たちを使った、商品の宣伝なのではないだろうか?レオをはじめとした、立ち向かったものたちはその可能性を疑った。
後ろ暗いことのある彼らは、消えても問題ないし、こういう状況でも対応できる。
ぬいぐるみの数は多いが動きは遅いし力も弱い。何人かが食われている間に切り抜けることも可能だ。その絶妙なバランス、そして、真っ先に逃げ出したジョン達の行動を見ていた彼らはその可能性を疑っていた。
「おい、そっちは。」
「出口はこっちにしかない。」
この倉庫の構造は、サービスとして聞かされていた。一か所しかない入口、そのシャッターのスイッチを目指してレオと他数名は、ぬいぐるみの群れに向かって突っ込んだ。
「必ず、落とし前をつけさせてやる。」
覚悟を決めた男達はぬいぐるみの群れと戦う道を選んだ。
ある者たちは、逃避した。
「すばらしい、これもリドルの効果ということか。」
彼らはジョンの協力者で、リドルの提供者だった。過去の事件のどさくさで手に入れたリドル。その存在を持て余し、ジョンに売り払いながらも未練が断ち切れず、顧客のフリをして会場に紛れ込んでいた元研究者たちだった。
「おそらくは、ぬいぐるみに付着していたカビか、微生物が活性化して生き物のように動いているのですね。布や綿は天然素材ですし、湿度もある。広がる条件はそろっている。」
「いや、リドルそのものが増殖したと考えるべき。過去の記録でもリドルが空気感染したという事例がある。リドルそのものが、生物であるという仮説は正しかったんだ。」
興奮気味に議論を交わしながら、彼らは目の前の惨劇を見ていた。目の前のぬいぐるみたちは、中央にいる顧客に夢中で彼らに背を向けているため、今のところは安全だ。
だが、それも時間の問題だろう。数体のぬいぐるみたちは、彼らに近づき、その話に興味があるかのように首を傾げ、じっとしていた。
「みろ、マウスの檻に群がっている。共食いか?」
「いやよく見ろ、鍵を壊そうとしている。」
一番外側にいた彼らは、倉庫の状況を正しく理解していた。ぬいぐるみたちの動きは、考えなしのようで計画的だった。動きの激しい客を優先的に狙い、一部はマウスの檻を破ろうと群がり、同時に幾つかある通路を塞ぐべくダンボールの山を崩していた。
「最初から逃げ場なんてないんだよ。」
唯一の出口である汎用口のシャッターを開けるべく突撃している客たちもいるが、研究者たちはそれが徒労に終わることを知っていた。
「ここは、もう狩場でしかない。」
逃げ道がないことを知ってしまった彼らにできることは、残り少ない時間を研究と言う名の逃避にあてることだけだった。
ある者たちは、逃亡した。
「な、なんだというのですか、あれは。」
通路の一つに逃げ込んだジョンは、怒鳴りつけるように部下に訪ねるが答えが返ってくるはずもなかった。マウスの暴走や、飼育係の暴走、顧客の抜け駆けや強制捜査などは予想し対策していた。今もそのプランをもとに動いているが、ぬいぐるみが動き回って人を襲うなんてことを予想できる人間がいるわけがない。
「と、ともかく今はここから避難します。ついてきなさい。」
ついてこれたのは数名の部下。顧客たちには悪いが、カチコミや強制捜査などの場合は自己責任という約束なのでジョンが責任を感じることはない。
「幸いなことに、このままいけばパーク内へ出られたはず、でたら、そこを封鎖して、閉じ込めましょう。」
顧客には話していないが、この倉庫には逃げ道がいくつかあった。車両を使った搬入口は一つしかないが、アシストンバレーの各所につながる入口がいくつかあるのだ。そこから遊園地内を経由すれば外へ逃げることは可能。ジョンが逃げ込んだのは、そんな通路の一つだった。
人を襲うぬいぐるみ群れ。万が一に備えである重火器を使えば処理できたかもしれない。その判断をしなかったのは、少なからず動揺していたからか、それとも・・・。
「代表、本当にこっちでいいんですか。」
「はい、この先の扉が、従業員用の通路につながっています。」
部下が不安になる中、いくつかの分岐を迷いなくジョンは進んだ。気づけば倉庫内の悲鳴も聞こえないほど奥まで行くが、そこはもはや通路というよりはトンネルだった。改装に改装を重ねたアシストンバレーの地下は複雑でその構造を理解するのには苦労したが、ジョンは正しくそのルートを記憶していた。多くの商品を取り扱う商人ならば必須のスキルだ。
「せいぜい囮になってください。あなたたちはいい顧客でした。」
脱出したら、人を集めて地下の大掃除をしないといけない。貴重な商品も顧客も失ってしまったが、残骸の一つ、記録映像の一つでも回収できれば大儲けできる。それだけのポテンシャルを感じる事故だった。
ゆえにジョンの顔は、明るかった。もうすぐ安全な場所に行けるという油断もあった。
「ジョンさん、これ、パスワードがいるみたいですね。」
「はい?」
だが、その思いは意外な形で踏みにじられた。
「どきなさい。」
部下を押しのけて通路の先の扉を見れば、金庫のように頑丈な扉にテンキー型のロックシステムが設置されていた。以前来たとき、そんなものはなかったはず。
「あのジジイ。」
あまりの事態に頭が沸騰しそうになるが、すぐに冷静になってスマホを取り出して連絡をつける。
『もしもし、こんな遅くになんのようだね?』
しばしのコール音ののちに返ってきたのは、不機嫌そうな老人の声だった。電話越しだからか、どこか作り物めいた声に、イライラが募る。しかしジョンは、商人としてのプライドをフル稼働させて平静を装った。
「夜分遅く失礼します。マルケットオーナー、少しだけお時間をいただきたい。」
『明日にしてくれないか、今何時だと思っている。』
「そこをなんとか、緊急でして。」
通路の長さはそれなりだが、いつあの忌々しいぬいぐるみや、生き残った顧客が襲い掛かってくるかわかったものではない。動揺し落ち着きのない部下たちを手で制しながらジョンは状況をでっち上げた。
「倉庫の設備点検をしていたのですが、パークとの扉がロックされていましてね。暗証番号を教えていただきたいんです。」
『ああ、あれか。以前、そちらの部下にお伝えしたと思うが。』
「そ、そうなんですか。」
それを聞いて部下たちを見るが、彼らが知っている様子はない。
「その部下は今不在のようでして、いやー、こちらの不手際でお手数をかけて申し訳ない。ただ、点検中に荷物が崩れて、部下が、通路に閉じ込められてしまいましてね。彼にはパーク側にでるしかないんですよ。」
『なるほどな・・・事情は分かった。』
電話の向こうで、ごそごそと何かをいじる物音がして、ジョンは安堵した。夜中も夜中、急な連絡にも関わらず、事故と分かれば対応する、マルケットはそういうお人好しの類である。そして、この手の通路はたいてい。
『地下の扉の暗唱番号は、決まっている。メモは準備できているか?』
「大丈夫です、記憶力には自信がありますから。」
早くしろジジイ。内心でそう思いながらも声には出さず、ジョンは必死にまった。
『37562だ。それを打ち込めば扉は開く。だが。』
「ありがとうございます。」
暗証番号を聞くや否や、ジョンは即座に入力した。電話を切らなかったのは、万が一違った場合に備えて、何よりその暇すら惜しいと思うほど追い込まれていたからだ。
『もういいか、切るぞ。』
「待ってください、念のため、もう少しだけ。」
もどかしく思いながらも部下に指示を出して重たい扉を開けさせる。
『防犯対策のために、地下の扉のいくつかは強化されている。昔、パーク内に忍び込んだ不届き者がいてな。それ以来、パークのセキュリティには力を入れておる。』
「ええ、素晴らしいお考えだと思います。やはり安全第一ですからねー。」
マルケットの言う通り、地下通路や各地のセキュリティは遊園地というには、過剰なところがある。それだけ客の安全と安心を思っているということだ。火災などの非常事態では避難経路としても使われる地下通路は、この頑丈な扉やシャッターによって各ブロックごとに仕切ることができ、ジョンが借り受けているエリアも相互に不可侵なものとなっていた。それはお互いを信用していないがゆえに、企業機密を守るための処置だった。
今回はそれによって救われる。
とジョンは思っていた。
しかし。立派な扉の向こうにあったのは、希望でも絶望でもなく無だった。
ぬいぐるみの恐ろしさ、そして、それ以上に恐ろしいものも・・・。




