62 予想外な展開であったが、こういったこともジョンは想定していた。
予想外な展開であったが、こういったこともジョンは想定していた。
取り扱っている商品が商品であるだけに、商談に邪魔が入るのはあり得る話だ。強欲な客だったり、司法関係によるガサ入れだったり、不心得者な部下のやらかしだったり。
「おっと。」
絶叫を上げてとびかかる飼育係を避けて、足払いをかける。興奮しているのか勢いよく倒れた飼育係を踏みつければ、周囲に控えていた部下が迅速に彼を拘束した。
「失礼しました。初めての現場に部下が興奮してしまったようです。」
これもショーの一環です、と、自信満々に振る舞うジョンの背後では、飼育係が暴れないように縛られ、声を出さないように口が金属製のマスクで固定された。
「ずいぶんと物騒だな。」
「いえ、もしかたらとも思っていたのですが、準備が間に合ってよかった。」
物々しい様子に驚く客に対して、ジョンは肩をすくめて見せる。
「彼は、巨大マウスの世話係だったのですが、数日前からずいぶんと熱心にお世話をするようになりましてね。なんというか、愛着?のようなものを抱いていたようでして。」
動物を扱うと、たまにこういうことがある。飼育係が商品に愛着をもって、持ち逃げしようとしたり、デモンストレーションを邪魔したりだ。
「まったく、商品を商品と割り切れないとは、期待していたんですけどね、君には。」
と言いつつ、ジョンは飼育係の名前を憶えていなかった。試用期間である今回の仕事が終われば覚えるつもりだったが、もはや興味はなかった。
「うーうー。」
しかし、飼育係の様子はおかしかった。ずいぶんとやつれているはずなのにバタバタと暴れつつ、その視線は、攻撃に怯えるマウスに固定されている。
「この執着、もしかして・・・。」
新ためて飼育係の姿を見る。何日も着ていたのかくたびれ汚れた繋ぎに、何日もシャワーを浴びていないのか、ふけの浮いた髪に汚れた肌。そしてむき出しの手。
近づいて、その手を見る。
「おやおやおや。」
その手についた僅かな傷跡、そして飼育係の様子。ジョンは一度だけ飼育係が荒れた様子だった動画の一部を思い出す。小賢しくも立ち位置を意識して映っていなかったが、明らかにマウスに手を出していた場面があった、その後数回の食事当番をさぼっていて、注意をしようかと思ったらその後は勤勉に業務に励んでいたので、咎める気はなかった。
が、これらの行動が、ジョンに一つの仮説を立てた。
「お世話をするときは、必ず手袋をつけるように指示しておいたのですが。」
その言葉に飼育係は動揺して自分の手を見る。
「噛まれたんですか?」
お客にも聞こえるようにはっきりとした発音で、ジョンは聞いた。
飼育係は首を振って否定する。その顔はケージに入れられたばかりのマウスのような怯えが見えた。
「ううーううーー。」
「あらら、感染しちゃってるかな。これは?」
ざわりと客達の視線が、怒りから興味に代わる。
「なるほど、悪趣味だな。この男もオプションというわけか。」
反応したのはレオだった。
彼は兵器として「リドル」に価値を見出したテロリストだ。人体への影響を確かめるために、適当な人間を拉致して確かめるつもりであった。
それはここにいる客たちもそうだろう。研究するためのモルモットや人間は、幾らでも欲しい。
「噛まれたのは何日前だ?」
「ええっと一週間ほどですか、ほんの小さな傷なのでわずかなものですけど。詳しくは競り落としたかたに、観察データも提供しましょう。」
見事な商才だ。ジョンと付き合いの長い部下たちは心の中で賞賛した。
マウスが驚異的な回復力を示したことも、飼育係が異常な執着を見せたことも本来の予定にはなかった。だというのにジョンは、最初から予定通りと言わんばかりに事態を収拾して見せた。そのアドリブ力もそうだが、新人とはいえ、部下の1人をあっさりと売る冷酷さこそがジョンの商人としての才能だ。
飼育係がリドルという意味不明な物に感染しているかは定かではない。だが、リドルを競り落とした顧客に人体実験の材料として提供すれば問題はない。おそらくジョンは、その可能性も考慮して、貴重な商品にもなりうるマウスの世話を、失っても怖くない新人に任せていたのだろう。
どこまでも冷静で利益主義。それを止める人間は、この場にはいなかった。
だが、根本的なところで、ジョンは勘違いしていた。
母体となったマウスと、そのマウスに噛まれたことでリドルに感染した兄弟ともいえる飼育係。
そんな彼らが苦しめられ、その命が脅かされたとき。彼らが黙っているはずなどなかったのだ。
「うん、なんだ?」
最初に気づいたのは顧客の1人だった。不老不死の霊薬としてリドルを求めるクライアントの代理として訪れていた彼は、他の客よりも興味が薄かった。だから全員がマウスや飼育係に注目する中、周囲を見る余裕があった。
ぽと。
そんな彼が目にしたのは、段ボールの山から落ちた、ぬいぐるみだった。おもちゃなどに詳しくないと男にはどこにでもあるありきたいなものだった。カラフルな布地とだらんとした手足、商品を誤魔化すためのものなのか、薄汚れたもの。
ぽと、ぽと。
ぬいぐるみは次々に落ちてきた。段ボールに穴でも開いたのだろう。と男はすぐに興味を失い、巨大魔数に視線をもどす。
ぽとぽとぽと。
ただ、一度意識すると、次々に落ちる音が気になり、すぐに視線を向ける。
「はっ?」
そこで初めて男は驚愕した。
最初のぬいぐるみはただ落ちただけだった。だが、その後に続くぬいぐるみは、最初に落ちたぬいぐるみの上に落ちて転がり、その頼りない足で立ち上がっていたのだ。その数は10体ほど。しかもまだまだ落ちてくる。
「な、なにが。」
恐る恐る視線を上げる。そして、悲鳴すら飲み込むほどの狂気を目にしてしまった。
積み上げられたコンテナと段ボールの山、その一角には、大量のぬいぐるみたちが、彼らを見下ろし次々に飛び降りていた。その見た目はただのぬいぐるみで足取りはふらふらしている。だが周囲の段ボールを突き破りどんどん数を増やしていた。
「な、なんだこれは。」
一度はその光景に呑まれたが、冷静になって男は大声をあげた。その声と視線につられて、他の客達もその異常事態をその目にした。
「な、なんだこれは。新作のおもちゃのお披露目にしては悪趣味だぞ。」
常連の誰かがそんな感想を言うが、流石のジョンも返事はできなかった。
彼と彼の部下は知っている。あのぬいぐるみたちは自分たちが、商売を円滑に行うために作った商品だ。独特のデザインは見間違えようもないし、梱包し運び込んだのも自分たちだ。
だが、ただのぬいぐるみだった。
ただのぬいぐるみがまるで生き物のように動くことなどありえない。
「ははは、面白い趣向ですな。しかし、今はリドルの方が優先なのでは。」
これもジョンのショーなのだと客達は思った。動くぬいぐるみというのは不気味ではあるが、脅威とならない。その動きは緩慢で、柔らかい手足に攻撃力はなさそうだ。
「いい加減にしろ。俺たちは取引にきたんだ。玩具を売りたいなら、せめて別の場所でやれ。」
もともとが荒事に身をおく客達だ、驚きこそしたが、すぐに怒りの方が増した。ぬいぐるみの近くにいた客の1人はそう文句をいって、手近なぬいぐるみを蹴り上げた。
それが悪手だと知っていたら、彼はそんな軽率な行動をとらなかっただろう。
「はっ?」
蹴り飛ばされたと思ったぬいぐるみは、そのまま男の足にへばりついた。男は足を振って振り払おうとするが、そのフワフワの身体のどこにそんな力があるのか、ぴったりとくっついて離れない。
「この。」
仕方なく手ではがそうとしてかがむ。そこに他のぬいぐるみたちが殺到した。
「うあ、やめろ。なんだ。」
悲鳴を上げてからだをばたつかせる男だが、その口に一つのぬいぐるみが頭を突っ込む。他のぬいぐるみは耳の穴を、あるぬいぐるみは目に、腰に指先にとわらわらと群がり男を圧迫する。何十体ものぬいぐるみはそのまま男を押し倒し、柔らかそうな場所をその身で圧迫し、すりつぶしていく。
「ギャぎゃぎゃぎゃ」
短くはない時間、その光景は続き、肉のつぶれる音と血の匂いが広がる。あまりに非現実的な光景を前に、動いていたのは血の匂いに興奮した巨大マウスだけだった。
やがて、原型をとどめないほどすりつぶされた男の身体からぬいぐるみたちはゆっくりと起き上がる。そして、
「ひ、ひいいいいい。」
他のぬいぐるみたちも次々に、客たち、いや餌に襲い掛かった。




