50 自分は天才だと思う人間ほど愚かな人はいない。
色々とすっ飛ばし、教授は退場です。
自分は天才だと思う人間ほど愚かな人はいない。
天才と思うからこそ寂しがりで、自分の天才さを語る相手や同格の相手を求める。天才であることを証明したくて、自分の天才さををしゃべらずにはいられないかまってちゃん。
だから自分を天才と思う人間には、秘密を守るとする気持ちがないのだ。
「リドルはルール、ルールはリドル。いかなる願いも力も与えてくれる。」
歌うように話しながら、執行人はゆっくりと染み出すように教授の前に姿を現した。ここが、教授の私室であると同時に軟禁部屋であり、出入口が固く施錠されていようと、執行人には関係ない。
「ただし、チャンスは一度きり。」
わずかに緑を含んだ黒いマントで全身を覆った体格は子どもサイズ。すっぽりと隠された顔の部分は空洞のように質感を感じられないが、ランランと輝く瞳には隠しきれない侮蔑の色が混じっていた。
「き、きさまは。」
「やあ、教授。ずいぶんと部屋がすっきりしたじゃないか。アレ?断捨離ってやつ?」
前に来た時は、もっと色々と面白い物ばかりだった研究室なのに、今はデスクとわずかばかりの私物、そして椅子に座ってうなだれている男がいるだけだった。
「今頃、のこのこ現れおって、「リドル」を守るのが貴様の仕事じゃなかったのか。」
「いやいや、君。終了を告げるのが僕様君の役割だよ。」
執行人の力は圧倒的だ。権力も暴力も彼に通じない。そんな彼が、ほんの一時間早く執行人がここに来ていれば、数多くの証拠や貴重な資料も守れたことだろう。
他力本願なことなど忘れた責任転嫁、ぶつける相手のいない恨み言を教授がぶつける気持ちもわからなくもない。
だが、執行人には関係ない。そうでなくても、彼は不機嫌だった。
「まったく、愚かな事をしてくれた。誰でも入れるような場所に証拠を残し、「リドル」のことをペラペラとしゃべる。おかげ神秘性とかが薄れてしまったじゃないか。おかげで多くの人がリドルを知ってしまった。」
リドルが育つには人の情念が欠かせない。リドルを恐れる気持ち、リドルを求める気持ち、リドルを恨む気持ち、リドルを疑う気持ち。そういった気持ちを吸収してリドルは育ち、その力を発揮させる。
だからこそ、リドルは謎めいた存在でなければならない。
ゆえに、執行人が関わるほどリドルの深みに踏み込んだ人間は、肝心なところを伝えない、言語化しないという不文律が存在する。秘密を仄めかしつつ、秘密の根幹には近づけさせないし、近づかない。
そもそも教授の見解は面白い物だったが、動機が弱すぎた。
黎明館で不老不死を求めた老人は、リドルの力でそれを為し、リドルを増やし維持するために館の客を惨殺し続けた。己1人を生かすために、何十何百と追い詰めて殺しつつ、命がけのゲームに自らの命もベットする狂気は死への恐怖と生への執着の現れだった。
最愛の女を失った男は、リドルの力によって娘を失った女に作り替えるために生物の尊厳を踏みにじった。己の考えを曲げず、振り返らない、最愛の女を取り戻すために自分が何を失うかも忘れるほど、故人への執着は、倒れ、痛みに狂わせながらも消えていなかった。
だが、教授は違う。
リドルは生き物に与える驚異的な再生力と生命力、それによって複数の生物を組み合わせて本来起こるはずの拒絶反応や境界線を曖昧にしようとした。結果として過去に例を見ないタイプの面白くも多種多様な新生物が生まれた。
だが、過去の人間とは違い、教授はリドルをただの薬として扱ってしまった。
科学的な成分や、過去の記録からリドルの効能を調べ、自分なら有効活用できると傲慢な判断をした彼は、所持も禁止されているリドルも秘密裏に入手して、大学に隠れて動物実験を行った。そして、リドルのもたらす力に魅了され、彼のもつ仮説であった生物を組み合わせて究極の生物を作るという野望に利用しようとしたのだ。
「あれだよねー、天才たる自分にふさわしい究極の肉体をもつだっけ?究極って中二病かよ。」
「ぐぬ。」
彼がなにをもって究極とみなしていたのか、執行人は知らないし、興味はない。
「まあ、倫理観無視しまくりで、動物のパッチワークを作る発想は面白かったんだけど。結局はそれだけだよね。」
究極の存在になると豪語しながら、自分にリドルを投与することをためらい、ルールも設定しない臆病者。それでもやっていることが奇抜で倫理に反した行為であるがゆえに執行人の目に留まった小物。
「こ、これからだったんだ。重要な遺伝子や生体部品の選定は完了していた、あと少し、あと少しだけ時間があれば、私は。」
「でも、間に合わなかったよねー。それもずさんなセキュリティーの所為で。」
執行人が近くに来ていたのは、そろそろ、人体実験と自分へ施術がはじまる時期だったから。
だというのに、近くで見守っていれば、一般見学の人間によって秘密の部屋は暴かれ、数々の作品は、二度目の生を謳歌することなく 廃棄処分となり、彼の野望ははじまりすらしなかった。
一番お粗末な事は、教授が特定された原因だ。
ミューランド大学の教授たちは、その身分を示すロゴ入りのバッジや腕時計などを支給され、就業時は、それらの着用が義務付けられていた。そして、それらには小柄のGPSが搭載され、学園のセキュリティーを通せば、誰がいつ、どこにいるかいくらでも確認できてしまう。
という事実を教授が知ったのは、関係者によって秘密の研究室と違法な研究の証拠を、解雇勧告とともに突きつけられたときだった。
「施工計画書を書き換えて、前倒しで工事を断行されたことに気づけなかったなんて、大学側もダメダメだけど、設計図をそのまま、鍵もパスコードも変えないなんて、君も愚かだよねー。」
施工計画や設計図は、ある程度の地位の人間なら誰でも見ることができるらしい。大学各所に隠された暗号や仕掛けを解くことで初めて入れる秘密の部屋、なんとも心踊る仕掛けではあったが、これらを考えたのは、大学とは縁もゆかりもない他人らしい。
「だから、ばれないと思ったのかなー?それとも自分の才能と誤認してたとか?」
それをさも、自分の城であるかのように振る舞っていた結果、彼の行為はあっさりとばれて瓦解した。パスワードを自分で書き換える程度のことも怠った、いやできなかった結果だろう。もともとの仕掛けがそれだけ秀逸だったのもあるが、設計図を見ればだれでもたどり着ける秘密の部屋なんてお遊びもいいところだ。
「そ、それは、私の研究の成果を享受するにふさわしい優秀な存在をみつけるために。」
「僕様君は、自分で話すのが好きでね。聞くのは好きじゃないんだ。」
男のつまらない言い訳に興味はない。
「ただの薬扱いしてくれたうえに、それを広めようとした罪は重いよ。」
胡散臭い論文を書くまでは良しとしよう。リドルを信じず科学的という枠に収めようとしたことは気にいらないが、実現不可能なので問題ない。しかし、隠し部屋とはいえ、大事な研究成果をまともな鍵もかけずに放置していた罪は重い。
「君さあ、心のどこかではビビッてたんだよね。」
「なっ。」
「究極だか至高だか知らないけど、自分がしていることに自信がなかったからそんな大げさな表現をしていたんじゃないの?リスクだなんだと言っていたけど、自分を実験台にすることが怖かっただけ、1人で進めるのも怖いから、わざと見つけやすい場所で実験をしていた。でも、みつかったら社会的にあれだから、秘密の場所にしていた。違うかい?」
リドルを求める人間は、その恩恵を授かるためにありとあらゆるものを犠牲にする覚悟が求められる。それはルールであり、法則だ。
仕掛ける側も巻き込まれる側も死力を尽くし、コインを積み上げて、敗者はすべてを奪われる。そんな命がけのやり取りこそ執行人たちが求めるものだ。
「けれども君は中途半端に終わってしまった。」
「こ、これからだったんだ、準備は整っていたんだ、運が、運が悪かった。」
「君の場合は運以前の問題でしょ。」
確かにあと数日、いや数時間あれば、教授はこちら側に足を踏み入れていたかもしれない。傲慢な天才の研究は、陳腐だが効率的だった。活性化したリドルにより水槽の化け物たちが目を覚まし、解き放たれていれば、今までとは趣の異なる地獄が生まれたかもしれない。
「運もリドルのうち。何ていうけど、君の場合は必然だ。」
もしも教授がパスコードをいじっていれば、もう少しセキュリティーや行動を意識していれば。ほんの少しだけ踏み込んで実験を進めていれば。彼の未来は変わったものだ。
しかし、結果として教授の思惑は、形にすらならなかった。
「リドルを軽んじた君は、何も為せず、何も残さず、罰せられることすらない。」
唯一の幸運にして不幸は、彼自身がリドルに踏み込んでいなかったこと。臆病か傲慢か知らないけど、リドルを取り込むことを拒んだ教授は、ルールに縛られない。
本来なら執行人がこの場所に現れることもなく、粛々と人間によって裁かれるだけの人生。
「でもそれじゃあ、つまらないじゃないか。」
これは仕事ではなく趣味であり、おまけだ。
「己の愚かさを知らずに終わるなんて、つまらないじゃないか。」
「や、やめてくれ。」
そこそこに優秀だからこそ、教授は執行人の意図を理解できてしまう。
わずかな注意を怠った結果、自分が全てを失うということ。
天才の発想と思っていた場所が、借り物でしかなかったこと。
自分が凡人でしかなかったこと。
「いやだ、いやだ。私は天才なんだ。選ばれしもの、最強にして究極で至高の存在になるのは私なんだ。私を見下していたあいつらに思い知らせてやるんだ。」
「あらら、あっさり底が見えたね。」
結局は中途半端な秀才が、周囲を妬んで僻んでいただけのこと。
「ああ、つまらない、じつにつまらない。」
自分を天才と思っている人間はやはり愚かだ。
「リドルを託すには普通すぎた。まあ、これも勉強だね。仕方ない。」
仕方ない、仕方ないと笑いながら執行人は闇へと戻っていく。己の失敗をなげく教授はもう彼を見ることはない。執行人が教授に興味をもつこともない。
「リドルはルール、ルールはリドル。いかなる願いも力も与えてくれる。」
そもそも盤上にすら上がっていないのだから当然だ。盤上に上がるチャンスはいくらでもあったのに、傲慢と恐怖から拒んだのは教授だ。
「ただし、チャンスは一度きり。」
教授が今後リドルに関わることはない。彼の発言は妄言として扱われ、その研究が日の目を見ることは二度とこない。
だれも彼に興味を持たず、犯罪者として扱い、最後には名前すら忘れてしまう。
それが教授にとっては一番の罰ゲームとなることは言うまでもない。
心のどこかで自分の所業を誰かに知ってもらいたいという願望が隠せなかった教授。悪事とか悪戯をSNSに投稿するような小物さんです。
教授の正体はあえて明かさずに本編が進みます。まあ、のちのち再登場する予定なので、すぐにばれると思いますけど。




