44 警官という仕事はヒーローではなく、苦情担当だ。
黒幕教授の破滅の前日譚 時間的にはレイモンド叔父さんが地下室を発見する直前です。
警官という仕事はヒーローではなく、苦情担当だ。
よくわからない正義感や倫理観なんてものを持ち出す有象無象が私の崇高な研究を妬み、僻み、醜い嫉妬から邪魔をするのを防ぎつつ、そういった悲しき愚民どもの思いの聞き役になり、行き過ぎたものは法という愚民のルールで取り締まる。
まさに苦情担当。コールセンターの電話番と変わらないじゃないか。
だというのに。
「教授、ご協力ありがとうございました。」
「いえいえ、お勤め御苦労さまです。
今日は そんな苦情係に私の貴重な時間がとられている。
「さっそくですが、こちらです。」
「ほう、これですか。」
挨拶を交わすやいなや、男の1人が取り出したのは特殊なケースだった。保温機能の付いた頑丈なそれの中身は、緑色の液体の入ったアンプル。なるほど、薬品を扱う最低限の知識と分別はあるらしい。
「拝見します。」
事の発端は3か月ほど前のことらしい。
なんでもとある町の民家から、未知の薬物が発見され、それに類似したものがミューランド大学の研究論文にあったというだけだ。その論文は手慰みで私が過去に書いたものだった。男たちの目的は、それの鑑定と薬の効果や生産方法について私から説明を聞くことだ。
論本を読んで自分たちでどうにかして欲しいものだ・・・。
「すばらしい、これを為した人間は天才ですね。」
いや、これを持ってきてくれたなら、彼らは優秀だ。
「どういうことですか?」
まゆをしかめる捜査員に、私はアンプルを掲げて見せる。彼らにはここに込められた執念も価値もわかるまい。
「これが「リドル」と言う名前なのはご存じですよね?」
「はい。教授の論文に。」
「私が命名したわけではありませんけど、この「リドル」培養と保管が非常に困難なんです。私も現物を見たのは久しぶりです。」
嘘である。私の研究室にもリドルは保管してあるが、それを彼らに教えてやる義理もない。
「そうなんですか、我々は最優先で隔離、所有することも有罪となる違法薬物であるとおしえられたのですが。」
「そうです、これは薬ですし、毒でもありますから。」
アンプルをケースに戻しながら私は、持ち去りたい衝動を抑えるのに必死だった、量もそうだが、分析して培養条件が分かれば、私の研究も更に捗ることだろう。
だが、目先の利益に踊らされれば、いらぬ疑念を生む可能性がある。この場は当たり障りのない内容を話して誤魔化すとしよう。
「「リドル」の存在は古代から確認されています。古くは中国では不老不死の薬として時の皇帝が秘密裏に求めたとか、黒人奴隷を劣悪な環境下で仕事をさせるために服用していたとか、眉唾なものばかりですが、「リドル」という緑色の薬を使った記録は探せば見つかるのです。そして、近年になり、その効能や副作用がわかり、WHOをはじめとした国際組織の協力のもと、「リドル」はこの世界から隔離されたんです。」
「効能と副作用ですか?」
「そうです、これには高い強心効果がある一方で、過剰摂取すると脳機能に致命的な障害を与える可能性があるんです、ニコチンやアルコールが可愛く思えますよ。」
強心効果、心臓を高めて血流を促進する。同時に身体の代謝を高めて驚異的な回復力をもたらす。一方で過剰な血流の増加により脳出血を誘引してしまい脳機能にダメージが入る。これは私が論文に載せた「リドル」の効能の一部だ。実際はもっと恐ろしく、素晴らしいものだ。
そう、それこそ、人を神の座へと押し上げるほどの・・・。
「我々には、区別はつかないのですが。」
「薬、生薬、ウイルス、抗生物資、色々と呼び名はありますけど、人体に有毒なら、毒、有用なら薬と思っていただけたらいいと思います。副作用もありますが、どのような意図でこれを使おうとしたかという話になると思います。」
捜査員だという男たちは、私の言葉に首をかしげる。理解力の低さにうんざりするが、彼らが仕事をしてくれないと、私の使命の邪魔になる可能性がある。
これは大事の前の小事。いつの日か愚民を教育する予行練習だと思えばいい。
「そうですねー、酒と同じです。少量ならば健康にもいいですが、飲み過ぎれば身体を壊しますよね。そして、人によって適量は違う。これもその類です。成分そのものは自然界にも存在し、私たちの身体にも微量ですが存在し、健康を維持しています。」
「リドル」そう名付けられたそれは太古の昔から存在する存在だ。微生物や菌、ウイルスのどれに定義するかは研究者によって見解が異なる。
それが名もしらぬ田舎の民家の地下から見つかったという事実は驚きだ。おそらくはこのアンプルもその製作者によるものだろう。
「それって、ミトコンドリアみたいなものですか?昔そういうゲームがありましたね。」
「私は小説で、ですが、たしか日本のものですね。あれとは違いますが、そういったものです。」
ミトコンドリアが反乱を起こして、人を化け物に変える。そんな創作が確かにある。あれほど荒唐無稽ではないのだが・・・。
「ええっとつまり、人体にも微量に存在する物質だけど、数をそろえるのは難しいと。」
馬鹿な話をした後で、捜査員が急に真面目な顔で理解を示した。
「そうです。私も論文のために「リドル」について調べましたが、このアンプルに収まる量でも相当な手間と技術がかかっていると思います。そもそも培養方法はおろか、保存や採取の仕方も確立されていないんです。」
だからこそ、このアンプルの中身に込められた妄執の深さが私にはわかる。製作者は、このリドルを増やすために、相当な業を抱えているはずだ。
「じゃあ、偽物、あるいは、混ぜ物の可能性は?」
「それを言われると、ただ、あの生物的な気配、お二人も感じませんでしたか?偽物というのは難しいと思います。それでも一部でもサンプルをいただければ、詳しく分析することは可能ですが。」
「いえ、それは、申し訳ありませんが。」
「ですね廃棄されていないことが、驚きです。」
真に「リドル」の効能を知る人間ならば、焼き払ってしまうべきだと思うだろう。だが、私のような選ばれた人間ならば、これを使って・・・。
「博士?」
「おっとすみません。研究者としての欲がでてしまっていました。それだけ貴重で危険な物質です。この道の研究者ならば一度は取り扱ってみたいと思ってしまいます。」
無意識に伸びていた手を引っ込めながら、ここは素直に謝っておく。
「目の毒ですな。ちなみに処分する場合は、アンプルごと焼却されたらいいと思います。ごみ焼却施設で充分かと。」
「そうですか、本日はお時間をありがとうございました。」
思わず漏れたただならぬ気配に、男たちは冷や汗をかきながら、頭を下げて、その場を後にした。
研究者をも狂わせる危険な薬物。彼らをそう、上に報告してすみやかに処分されることだろう。
「もったいないとは思うがな。」
男たちを見送り、私はため息をつく。
「今日は培養プラント22と58が熟成する日だというのに。」
究極の生物を創り出す。
天才の私をもってしても、この研究には長い年月を要する。そしてあの量の「リドル」があれば、その期間を大幅に縮小できたかもしれない。なんなら、製作者の研究記録も見てみたい。
「しかし、それはあまりに危険だ。」
ここにきて、この誘惑は、きっと試練に違いない。
私の研究はゆっくりだが、着実に成果を上げてきていた。感覚では、あと2週間、年明けには臨床実験にうつれるだけの成果が揃う。そうなれば、私自身が究極になる日も近い。
「どこの誰か知らないが、残念だったな。「リドル」を極めるのは私だ。」
おそらくは失敗し、「リドル」を失ったであろう同胞に少しだけ気持ちを向け黙祷し、嘲笑する。そうして自分の明るい未来を掴むために、私は自分の根城へと戻ることにした。
そんな余裕な教授であったが、戻ったとき、彼の研究室はミューランド大学を見学にきていたゲストによって発見され、その責任を追及されて、すべてを失うことになることをまだ知らない。
ただ1人の人間が一年早く、爆速で攻略してしまったがゆえの・・・。




