10 胸騒ぎを感じたのはいつ以来だろうか?
ラルフさん参戦 大人たちの暗闘が始まる。
胸騒ぎを感じたのはいつ以来だろうか?
あの忌々しい事件の後で、自分の心臓は氷のように冷たく、機械的に自分の役割を全うするだけだった。決まった時間に起きて、新聞を受け取りニュースに目を通す。味気ない食事をして、午前中は道具の手入れとトレーニング、午後はソファーでボーと過ごす。ここ一年は地域の人との交流をして、簡単な頼まれごとをすることもあった。車の修理にペット探し、気まぐれに出歩いて、出くわした人の手助けをしてしまうのは、元警察官としての職業病のようなものかもしれない。結果として奇抜な見た目の自分も受けいれてもらえた。
いい街だと思う。このまま穏やかな日常の中で朽ちていくのもいいかもしれない。
そう思っていたラルフ・アルフレッドに悪夢を思い出させたのは、新聞配達で毎朝顔を合わせる少年だった。「リドル」という忘れたくても忘れられずに封印していた記憶。彼はいとも簡単にそれを暴き、そしてラルフよりも「リドル」に対する深い知識と恐怖を持っていた。
「・・・リドルからは逃げられないか。」
かつて、自分や友人たちに狂気のゲームを仕掛けた老人は最後にそう言い残していた。事件はその残虐性と不可解な点から記録は封印され、ラルフの証言は恐怖によって正気を失っていたものと判断された。ラルフ自身もそう思うことで事件の記憶を封印していた。
だが、ホーリー少年の言葉と様子はそんな彼に現実を突きつけてきた。
「逃げる準備か。あるいは・・・。」
少年の望み通り自分も立ち向かうべきなのだろうか?そう思わなくもないが、それ以上に過去の事件と「リドル」に関わることへの恐怖とストレスが彼の足を止めてしまっていた。
少年には悪い事をしたと思っている。だが、ままならない。というのもラルフの正直な気持ちだった。気まずくて今朝も新聞を届けに来てくれた少年と挨拶をできなかった。それが夕方になって無性に気になり、こうして夕方の街をうろうろとしていた。
だが、結果としてこの行動は正解だった。
「おい、大人しくしろ。これはもう公務執行妨害じゃすまないぞ。」
「うるさい、離せ。」
そろそろ戻ろうかと思って家の近くまで来たときに、ただならぬ声と、地面を激しく踏み鳴らす音に彼は駆け出していた。
「どうした、何があった。」
叫び声とともにたどり着いたのは知らない近所の家だった。そこでは、顔を覆って蹲る男女と、雄たけびを上げて暴れる男とそれを羽交い絞めにして顔を真っ赤にしている警察官だった。
「ローガン。」
「ラルフ、いいところに、手伝ってくれ。手が付けられない。」
警察官が顔見知りだった、状況も状況であったためラルフに迷っている暇はなかった。
ブンブンと手足を振り回す男の正面に回り、まずは声をかける。
「落ち着け、何のつもりだ。」
「はなーせー。娘を返せー、アレは私のものだ。」
「っち、何かの薬か?とんでもない力だ。気をつけろ。」
言われなくても、男の焦点のあっていない目をみればわかる。明らかに正気を失っている男はここで無力化しないとどうなるかわからない。鍛えているローガンがすでに限界に近いことや、蹲る男女の状態をみれば、その力も。
そう判断して、ラルフは男の右腕に飛びつき、勢いをつける。
「ローガン。」
「おう。」
こちらの意図を察して男を離すローガン、あっさりと拘束が解かれて前に身体を傾ける男を、ラルフはそのまま道路の方に向かって放り投げる。
「があああ。」
遠慮なんてしない、ドラッグで正気を失っている相手に力比べをする気もない。だから固い地面に向かって勢いをつけて投げつける。
ガン。ガリリ
「・・・あれは痛い。」
「容赦ないな、お前。」
なかなかに大きな音を立てて道路に倒れこむ男に同情することなく、2人は近づく。気絶させるつもりで遠慮なく投げたが、まだ暴れる可能性があるので慎重に。
「お、おまえらー、じゃま・・・・。」
そして、男は即座に起き上がり、2人を見ることはせず、自分の家と自分の足元を何度も見比べる。
「あ、ああああああああ。」
そして絶望的な慟哭を上げて庭へ戻ろうとするが、ローガンとラルフは今度は片腕ずつを抱え込んで拘束する。
「公務執行妨害で逮捕する。散々やってくれたな、くそ野郎。」
「落ち着いてください、まずは話を。」
左右から話しかけても男の目線は庭と自分の家に固定されていた。
「ああああ、これではルールが、願いが・・・。」
バタバタと過ごしていたが、やがて抵抗は弱まり、最後にはだらんと二人にぶら下がるように脱力した。2人は油断せずに男を地面に伏せさせ、手錠で拘束する。
「ははは、やべえな。コカインじゃこうはいかない。」
「何かのドラッグか?とんでもない力だったぞ、なんだこれは?」
「さあな、いやまずは応援を呼ばんといかん、ここは任せるぞ。」
返事を聞かずにパトカーへと向かうローガン。一応は一般人である自分にこんな役を任せるあたり、ローガンの人間性には笑ってしまう。
「最初は不審者扱いされたんだけどねー。」
この街に引っ越してきた当初、ほとんど外出しないラルフを怪しんで職務質問と称してアレコレと絡んできたのがローガンだった。最初は犯罪者を見る目をしていたローガンだったが、ラルフが元警察官であることや、車の故障で立ち往生している人を助けたことを知ってからは、出くわせば自分の仕事を手伝わせるぐらいには調子がいい。
「ローガンの勘が当たるなんて珍しいなー。」
「いえ、ローガンさんは、私たちの付き添いでして。」
ふらふらと立ち上がった男女は身綺麗なスーツを着ているが、転んだのか土がついていたし、顔には大きな痣ができていた。
「この男に?」
「はい、ローガンさんだけでは危険と思ったのですが、振り払われてしまいました。アナタが来てくれなかったら殺されるんじゃないかと思いました。」
そう言って顔を抑える2人は、ある程度より先は近づいてこなかった。自分がどのタイミングで居合わせたのかはわからないが、僅かな接触でも戦慄したラルフでこれなのだから、しょうがない。
「で、一体何が?」
「それが・・・。」
「ああ、すいません。自分は元警察官なので、事情はわかります。」
つい昔の感覚で聞いてしまったが、事件性があるなら不用意に話せないことかもしれない。この男の異常性を見る限り、麻薬捜査、あるいはそれに準じる何かなら一般人においそれと話せるものではない。
「ラルフ、そのまま抑えておいてもらえるか、俺は念のために周囲を警戒したい。」
「わかった。ただ応援がきたら俺は帰るぞ。今日の試合は見逃したくなくてな。」
戻ってきたローガンに軽口で返し、男女には肩をすくめてみせる。
自分はもう警官ではない。
今回はたまたま居合わせた善意の一般市民。だから詮索はしない。暗にそう伝えるとローガンはつまらなそうに、男女はあからさまにほっとした様子だった。
10分後、集まった数台のパトカーに乗っていた警察官と交代したら、ラルフはローガンに挨拶をして現場を後にした。
「どうせなら、最後まで付き合わないか?気になるだろ?」
「あいにくとバッジは国に返しているんだ。これ以上は色々とまずい。」
冗談半分でそういうローガンに、真面目に答える。そして、そのまま家へと帰り、久しぶりにビールを片手にベースボールの試合を見た。
「こんなもんか。」
贔屓のチームはボロ負けだった、いつもよりも面白いと思えたのはきっと気のせいだったろう。
実はまだ事件のトラウマから立ち直り切れておらずうつ状態だったゲームの主人公ラルフ。あと普通に国家権力と警察は優秀なこの世界です。




