1 右か左かで人生の意味が変わることがある。
物語の始まりは、ほんの些細なもの。
右か左かで人生の意味が変わることがある。
誰が言ったか分からないけど、ぼくこと、ホーリー・ヒジリはその日、この言葉の意味を痛感した。
小遣い稼ぎのための新聞配達。記者をしている叔父さんの紹介ではじめて、早数年、ご近所様を30件ほど回るだけのお手伝いなので、お駄賃程度の報酬だったが塵も積もれば山となる。たまったお小遣いで買った新品の自転車で意気揚々と初仕事と思った初日の出来事だ。
2023年の9月、ジュニアハイスクールへ入学式を控え、お駄賃も配達範囲も広がる仕事初日。いつものように早起きした僕は愛車を走らせて早朝の街中を走り回り、行き先々の軒先に新聞を投げ込んでいった。スマホだネットだと色々と便利なものが多くなっても、僕の地元の街の人達はのどかで牧歌的な人が多く、新聞の顧客もそこそこ多い。叔父さん曰く、地域密着型の新聞なので愛されているのだとか。
まあ、そんなことは僕には関係ない。細々とでも太くても新聞屋さんが儲かっていて、毎朝のお手伝いでお駄賃させもらえるならば問題はないのだ。
そんなニヒルでかっこいいことを考えながら、上機嫌で風を受ける。それが良くなかった。
「にゃーーー。」
いつもの道に居座るデブ猫のふてぶてしい鳴き声と姿。それに気づいたときにはもうギリギリだった。道路に五体投地でくつろぐお猫様には危機感もなく、僕が避けて通ることを欠片も疑っていない。
「危ない。どいて。」
叫び声をあげて、ハンドルを慌てて右に切ってブレーキを掴む。速度を上げていた自転車はお猫様をギリギリで避けることはできたが、そのまま制御を失い、横滑りで車道に倒れ込む。
「あああああ。」
悲鳴を上げながら僕と新聞は放り出され、アスファルトが眼前に迫る。
ガン。
緊張で硬直した僕は、最悪なことに頭から地面に倒れてしまった。無意識に買ったばかりの愛車をかばったのかもしれない。よく覚えていないが、鋭い痛みと駆け上がる熱さと痺れはつらかった。
「い、いてえええ。」
うめくように自転車の下から這い出して、頭を抱える。ぶつけた側頭部が痛いが血はでていない。お気に入りの上着と新聞が大変なことになっているが、動くことはできる。
「大丈夫かい、ホーリー。」
ゆっくりと起き上がると、誰かが走ってきた。
「派手に転んだな。頭はだいじょうぶか。」
「だ、だいじょぶです。」
ゆっくりと身体を起こして、安否を知らせるために腕を上げて見せる。ショックで涙が出て視界がうるんでいるけど、そこは男の子ということで。
「そ、そうか。災難だったな。」
そんなやせ我慢を見て見ぬふりしながら、声の主は自転車を起こし、寝そべる猫と僕を見比べながら大体の事情を察したようだ。
「自転車に乗るときはヘルメット、あるい帽子をかぶるべきだな。」
「そうですねー。」
自転車に乗るときはヘルメットを着ける。そういう法律があるのは知っているが、うちの街で守っている人も少なかったので甘く見たのがよくなかった。お金が貯まったら買おう。
「頭を打ったのか、瘤には・・・なってないな。今は大丈夫で、あとから影響があるかもしれないから病院へ行くんだぞ。」
遠慮なく頭を触られて症状を確認されるが、その手がどうも手馴れている。先ほどの言葉といいこんな真面目な人、街にいただろうか?
「あれ、ラルフさん?」
視界がはっきりして見えたのは、こちらを見て呆れているおじさんの顔だった。ごつごつとがっしりとした手の感触は、運動部所属の先輩のようだが、顔にはしわがあり、髪も白い。こんな見た目だがまだ20代。1年ぐらい前に街に引っ越した当時は目立っていたが、人当たりがいいわりに、引き篭もり気味な性格らしくすぐに街に溶け込んでいた。以前の仕事でのケガをして、その療養をしながらのんびりと在宅ワークをしているという毒にも薬にもならないおじさん。(近所の奥様達の評価)
うちの新聞のお得意様で、配達ついでにあいさつを交わすことはあるが、こうして間近で顔を見るのは初めてだった。
「うん、意識ははっきりしているな。それと、新聞も無事なようだぞ。」
受け答えがはっきりしているのを確認し、ラルフさんは広がった新聞を拾い集めて籠にいれてくれた。
「あっでも、こういうのってまずい?」
「ええっと、店長にはこうなったときはすぐに戻れって言われてて。」
「そうか、そうだよなー。流石にまずいか。落ちたモノだと気分が悪いか。」
へーと興味深そうに新聞を眺めるラルフさん。
「せっかくだ、店まで送ろう。用事もあるからな。車を持ってくるから待ってなさい。自転車は庭先に置いておくと言い。」
「いいんですか、ありがとうございます。」
「ご近所付き合いというやつだから気にしない。」
ひらひらと手をふりながら車を取りに行くラルフさん。その行動は気のいい大人のそれだ。見た目こそ怪しいけど、街での評判がいいのはきっとこういうところなんだろう。
「まいったなー、まあ10件ぐらいだから大丈夫と思うけど。。」
甘えられると分かると現金なもので、痛みよりも店長への言い訳を考えたくなる。とりあえず汚れた新聞を手に取る。土汚れと落ちた時に端っこが破けている。黙っていれば分からないかもしれないが、以前、そうやってごまかした結果、首になった先輩がいたので、ここは素直にいこう。
おおらかな人達が多いので、多少遅れたところで怒る人はいないだろうし、10件分ぐらいなら弁償もできる。ケガの可能性は・・・親に相談しよう。
それに、ラルフさんの車に乗れるとなるとちょっとテンションが上がる。
「よし、乗りなさい。」
そんなことを考えているとすぐに車がきた。4WDの赤いキャンプカー、他の車よりも二回りも大きくタイヤもデカい。テレビでしか見たことない高級車はめったに使われないが、走っていると若者が足を止めて憧れの視線を送る。
「失礼します。」
「ははは、緊張するな。なんだかんだ使い込んでるから汚れても気にしない。」
高くなった視界に興奮しながらシートベルトをつける。シートもがっちりしていて、うちの軽自動車とは比べ物にならない豪華さだ。ハンドルとかメーターとかがまるで飛行機のようだ。
「ははは、気に入ったなら今度ゆっくり見てもいいぞ。」
「マジですか。」
「男の子はこういうのに憧れるよなー。」
そんなことを言っている間にあっという間に新聞屋の前につく。速さも違う?いや興奮していただけらしいです。
「ありがとうございます。ラルフさん。」
「いいよ、ご近所さんだ。それにあれを見てしまったら無視できない。」
そういってニャーと手を招きするラルフさん。それはうちに置いてある日本からのお土産の招き猫に似ていて、俺はまた笑ってしまった。
「あ、ホーリー、どうした。それにアルフレッドさんも?」
珍しい車に、何事かと出てきた店長が、車から降りてきた俺たちを見て驚く。そういえば、ラルフさんは、アルフレッドというファミリーネームだったか。
あれ?
「ええ、偶然見かけたんですけど、彼が自転車で転んでしまってね。用事ついでに送らせてもらったんです。」
「それは、どうも。おいホーリー大丈夫か、ケガは?」
丁寧に事情を説明するラルフさんと、僕の身を案じる店長。けれでも俺は、唐突に襲ってきた頭痛と、よくわからない事実にめまいを覚えていた。
「おいおい、大丈夫か。フラフラじゃないか。」
「頭を打っていたようです。もしかしたら、すぐに病院に。」
「いや、それどころじゃないです。」
心配してくれるラルフさんと店長には申し訳ないが、それどころじゃない。
ラルフ・アルフレッド。
そのフルネームを知ったことが原因か、それとも頭を打ったからだろうか。
怒涛のように押し寄せる情報にくらくらしながら、僕が一番最初に確認したのは日付だった。
「今は・・・何年。」
何かないかと思って、説明のために握りしめていた新聞を見る。
2023年 9月3日
運命のときまであと2年。ハンドルを右にきってよかったと本気で思う。運命を変えるに充分な時間を僕は得ることになった。
新作です。ホラーゲームや映画のもしもをコンセプトに主人公が日常を守る物語です。
最初の導入はパート3までは今日中に投稿させていただきます。
それ以降は、基本的に毎日12時ごろに投稿させていただきます。




