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51.

 石の匙亭に戻ってきた一同。

穴の開いた扉を一応ノックし、レグーミネロが大きな声で呼びかける。


「ごめんください! どなたかいますか!?」


 ややあって、扉がゆっくりと開く。中から出てきたのは、1人の中年男性だ。

 ぼさぼさの髪、よれたシャツ、酒の臭いがぷんぷんする。

 大変分かりやすいやさぐれ状態だ。


「……うるせえな」


 接客業とは思えない「いらっしゃいませ」だ。

 しかしレグーミネロは怖気付くことはなく、優雅にドレスを持ち上げて一礼した。


「突然押しかけて申し訳ございません。私はレグーミネロ・メメヤード。こちらの宿の経営者の方にお話があって参りました」


 男はバカにしたように笑った。


「なんだ? 今度の嫌がらせはずいぶんと変わってるな。ラーヴ・ノワール商会の奴らもネタが尽きてきたのか?」


 その言葉に、豆太郎達は顔を見合わせた。ラディも眉をひそめている。


「嫌がらせ……?」

「ラーヴ・ノワール商会が?」


 豆太郎達の戸惑った様子を見て、男は鼻を鳴らした。そしてずい、と手を差し出す。


「何にも知らねえようだな。話してやってもいいぜ。酒を持ってきたらな」

「…………」


 何が何やら分からないが、このまま追い返されるわけにはいかない。

 豆太郎とエルプセは、近くの酒場まで走ることになった。



 □■□■□■



 昔ならコンビニで缶チューハイでも買うところだが、ここは異世界だ。

 豆太郎はどこで酒を買ったものかと悩んだが、それはすぐに解決した。

 観光名所であるラウトの街は、至る所でお酒を売っていたからだ。

 瓶を両手に豆太郎達が帰ってくると、飲んだくれの男は中に入れてくれた。

 どうやら彼が石の匙亭の店主だったらしい。


 外観のとおり、中もひどい有様だ。

 入口すぐのカウンターも、右手にある土産売り場も品物がひっくり返っている。

 その奥に扉が2つ。正面と左側だ。おそらくどちらかが温泉に続いているのだろう。扉は蝶番がとれて傾いていた。

 左手には2階に続く階段があった。どこも電気がついていないので薄暗い。

 窓から差し込む太陽の光も、床に舞うほこりをを強調するだけだった。


「2階が客室、ですか?」

「2階は俺が生活してる。宿泊施設はない。うちは料理屋と温泉でやってたんだ。それもこの有様だけどな」


 男は自嘲気味に笑った。

 エルプセは倒れた椅子を立たせて、背もたれにひじをついて座った。


「派手にやられたっすねえ」

「ああ。ラーヴ・ノワール商会にな」

「やられたって……、店への支援の件で、喧嘩をしただけではないのですか?」


 ラディの言葉に、男は眉を跳ね上げて酒瓶を開けた。


「そもそも、ここが立ち行かなくなったのはラーヴ・ノワール商会の嫌がらせのせいだ。あいつらはいずれ、このラウトの街ごと乗っ取るつもりなんだよ」


 ラウトの街の利益を独占すること、それがラーヴ・ノワールの最終目的だ。


「奴らは順に店を脅して回ってる。自分たちの方針に従って経営をするか、立ち退くか、ってな。俺は逆らって、ご覧のありさまよ」


 肩をすくめて、荒れ放題になった床を足で蹴った。

 ソーハが腕を組んで、あきれ顔で男に尋ねた。


「なぜやり返さない。自分の住処がこんな風にされて黙っているのか」

「はっ。ガキだな。そんな力があればとっくにやってるさ。相手は大商人様だ。俺1人が暴れたところでどうにもならない」


 男はそこで少しだけ沈黙した。


「……ただ、まあ。俺たちだってやられっぱなしでいるつもりはない。ラウトの街の住人の大多数は、彼らのやり方に反対してる。表立っては言えなくてもな。反撃はするつもりなんだ」


 その方法は伏せたまま、男は壊れかけの背もたれに寄り掛かった。


「ただ、その反撃をする前に、俺の店は終わりそうだがな。ま、運が悪かった。こればっかりは順番の問題だな」


 重たい沈黙が落ちた。

 エルプセはラディの方に視線を向ける。


「あんたは知らなかったんすか? ラディさん」


 ラーヴ・ノワール商会の会長の側近ともあろう人が、という言葉を含んで尋ねる。

 ラディは青い顔をしてうつむいた。

 豆太郎はラディをじっと見て、首をひねる。


「しかし、それならなんでラーヴ・ノワール会長は、レグーミネロに力を借りようとしたんだ?」


 自分で潰そうとしている店の再興の手助けをさせるなんて、行動が矛盾している。


「そうですね。わざわざメメヤード家の力を借りようとしてまで、一体どうして……」

「ん。ああ、そうか、メメヤードだ、メメヤード」


 レグーミネロの最初の名乗りを思い出したのか、店主は若干ろれつの回らない口調で話す。


「あんた、メメヤードって言ったな。確かラーヴ・ノワールは、メメヤード商会をたいそう恨んでるって話だぜ」

「え……、どうして」

「昔客を横取りされただとか、大事な商談で足を引っ張られたとか、色々聞くぜ? まあ商人同士足、互いに恨みつらみがあるんじゃないのか」


 レグーミネロは押し黙った。

 彼女自身、結婚する前は夫であるベンネルについて「金のためなら手段を選ばない悪徳商人」といううわさしか聞いたことがなかったからだ。


「ラーヴ・ノワールは、メメヤード家の人間に無理難題を押し付けたのさ。そして俺の店を潰して乗っ取って、声高に吹聴ふいちょうするだろうな。『メメヤード家が店を潰す後押しをした』ってな」

「な……、ち、違います。これは私の個人的な動きで、メメヤード家は関係ありません」

「箱入り娘だな、お嬢さん」


 店主は心底馬鹿にして息をついた。


「そんな言葉が通用すると思うか? あんたがどう言おうと、ラーヴ・ノワールが『メメヤード家が動いた』と言えばそれが真実だ。周りはそれを信じる」

「……」

「あんたは動くべきじゃなかった。馬鹿だなあ。軽はずみな行動で、商会に傷をつけたってわけ──」


 店主の言葉が止まった。酒瓶を持った彼の腕を、豆太郎が掴んだのだ。


「飲みすぎだよ、あんた」


 低い静止の声には、いつもの豆太郎にはない迫力があった。

 豆太郎の初めて聞く声に、思わずソーハは固まった。数秒後「なぜ自分がもやし男ごときに固まらなければならない」とじわじわ怒りが湧いてきた。


「経緯は分かった。どーする? レグーミネロ」


 レグーミネロは少しだけうつむいた後、胸元をぐっと握り顔を上げた。


「……今のお話が真実であれば、私の失敗はメメヤード家の所業にされてしまいます。引くわけにはまいりません。なんとしても、このお店を復興させます」


 凛と宣言するレグーミネロ。

 ダンジョンで豆太郎のために金策を考えていたときと同じ、力強い声だ。

 その語尾がわずかに震えているのは、皆聞こえないふりをした。


「ってわけだ。構わないだろ、店主。どうせこのままだと潰れるんだ。なら、最後にひと足掻きしてもいいだろう? あんたも協力してくれよ」

 

 店主はわずかに沈黙して、酒瓶を床に置いた。

 やけになって酒ばかり飲んでいたが、どうせなら最後にラーヴ・ノワール商会の鼻を明かしてやりたい、と思ったのだろう。


「ふん。勝手にしろ。できるもんならな。ただ店をきれいにしたくらいじゃ、他のところに客を取られるだけだ。ラーヴ・ノワール商会の邪魔が入る可能性も高い」


 彼の言うことはもっともだ。

 ラーヴ・ノワールが提示した期限は10日。この店は宿泊施設もなく、規模も小さい。何か目を引く作戦を考えなければならない。


「ふっふっふ」


 ここで得意げに挙手した男がいる。

 豆太郎だ。

 ソーハ達3人は、この後の展開をしっかり予想できた。

 これはあれだ。絶対あれだ。


 豆太郎はぐっと拳を握り、口を開いた。

 同時に、ソーハ達も口を開く。


「「「「もやしだ」」」」


 4人の声が唱和し、豆太郎は目を丸くした。

 もやし、ついに街の外に進出の時である。

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