51.
石の匙亭に戻ってきた一同。
穴の開いた扉を一応ノックし、レグーミネロが大きな声で呼びかける。
「ごめんください! どなたかいますか!?」
ややあって、扉がゆっくりと開く。中から出てきたのは、1人の中年男性だ。
ぼさぼさの髪、よれたシャツ、酒の臭いがぷんぷんする。
大変分かりやすいやさぐれ状態だ。
「……うるせえな」
接客業とは思えない「いらっしゃいませ」だ。
しかしレグーミネロは怖気付くことはなく、優雅にドレスを持ち上げて一礼した。
「突然押しかけて申し訳ございません。私はレグーミネロ・メメヤード。こちらの宿の経営者の方にお話があって参りました」
男はバカにしたように笑った。
「なんだ? 今度の嫌がらせはずいぶんと変わってるな。ラーヴ・ノワール商会の奴らもネタが尽きてきたのか?」
その言葉に、豆太郎達は顔を見合わせた。ラディも眉をひそめている。
「嫌がらせ……?」
「ラーヴ・ノワール商会が?」
豆太郎達の戸惑った様子を見て、男は鼻を鳴らした。そしてずい、と手を差し出す。
「何にも知らねえようだな。話してやってもいいぜ。酒を持ってきたらな」
「…………」
何が何やら分からないが、このまま追い返されるわけにはいかない。
豆太郎とエルプセは、近くの酒場まで走ることになった。
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昔ならコンビニで缶チューハイでも買うところだが、ここは異世界だ。
豆太郎はどこで酒を買ったものかと悩んだが、それはすぐに解決した。
観光名所であるラウトの街は、至る所でお酒を売っていたからだ。
瓶を両手に豆太郎達が帰ってくると、飲んだくれの男は中に入れてくれた。
どうやら彼が石の匙亭の店主だったらしい。
外観のとおり、中もひどい有様だ。
入口すぐのカウンターも、右手にある土産売り場も品物がひっくり返っている。
その奥に扉が2つ。正面と左側だ。おそらくどちらかが温泉に続いているのだろう。扉は蝶番がとれて傾いていた。
左手には2階に続く階段があった。どこも電気がついていないので薄暗い。
窓から差し込む太陽の光も、床に舞うほこりをを強調するだけだった。
「2階が客室、ですか?」
「2階は俺が生活してる。宿泊施設はない。うちは料理屋と温泉でやってたんだ。それもこの有様だけどな」
男は自嘲気味に笑った。
エルプセは倒れた椅子を立たせて、背もたれにひじをついて座った。
「派手にやられたっすねえ」
「ああ。ラーヴ・ノワール商会にな」
「やられたって……、店への支援の件で、喧嘩をしただけではないのですか?」
ラディの言葉に、男は眉を跳ね上げて酒瓶を開けた。
「そもそも、ここが立ち行かなくなったのはラーヴ・ノワール商会の嫌がらせのせいだ。あいつらはいずれ、このラウトの街ごと乗っ取るつもりなんだよ」
ラウトの街の利益を独占すること、それがラーヴ・ノワールの最終目的だ。
「奴らは順に店を脅して回ってる。自分たちの方針に従って経営をするか、立ち退くか、ってな。俺は逆らって、ご覧のありさまよ」
肩をすくめて、荒れ放題になった床を足で蹴った。
ソーハが腕を組んで、あきれ顔で男に尋ねた。
「なぜやり返さない。自分の住処がこんな風にされて黙っているのか」
「はっ。ガキだな。そんな力があればとっくにやってるさ。相手は大商人様だ。俺1人が暴れたところでどうにもならない」
男はそこで少しだけ沈黙した。
「……ただ、まあ。俺たちだってやられっぱなしでいるつもりはない。ラウトの街の住人の大多数は、彼らのやり方に反対してる。表立っては言えなくてもな。反撃はするつもりなんだ」
その方法は伏せたまま、男は壊れかけの背もたれに寄り掛かった。
「ただ、その反撃をする前に、俺の店は終わりそうだがな。ま、運が悪かった。こればっかりは順番の問題だな」
重たい沈黙が落ちた。
エルプセはラディの方に視線を向ける。
「あんたは知らなかったんすか? ラディさん」
ラーヴ・ノワール商会の会長の側近ともあろう人が、という言葉を含んで尋ねる。
ラディは青い顔をしてうつむいた。
豆太郎はラディをじっと見て、首をひねる。
「しかし、それならなんでラーヴ・ノワール会長は、レグーミネロに力を借りようとしたんだ?」
自分で潰そうとしている店の再興の手助けをさせるなんて、行動が矛盾している。
「そうですね。わざわざメメヤード家の力を借りようとしてまで、一体どうして……」
「ん。ああ、そうか、メメヤードだ、メメヤード」
レグーミネロの最初の名乗りを思い出したのか、店主は若干ろれつの回らない口調で話す。
「あんた、メメヤードって言ったな。確かラーヴ・ノワールは、メメヤード商会をたいそう恨んでるって話だぜ」
「え……、どうして」
「昔客を横取りされただとか、大事な商談で足を引っ張られたとか、色々聞くぜ? まあ商人同士足、互いに恨みつらみがあるんじゃないのか」
レグーミネロは押し黙った。
彼女自身、結婚する前は夫であるベンネルについて「金のためなら手段を選ばない悪徳商人」といううわさしか聞いたことがなかったからだ。
「ラーヴ・ノワールは、メメヤード家の人間に無理難題を押し付けたのさ。そして俺の店を潰して乗っ取って、声高に吹聴するだろうな。『メメヤード家が店を潰す後押しをした』ってな」
「な……、ち、違います。これは私の個人的な動きで、メメヤード家は関係ありません」
「箱入り娘だな、お嬢さん」
店主は心底馬鹿にして息をついた。
「そんな言葉が通用すると思うか? あんたがどう言おうと、ラーヴ・ノワールが『メメヤード家が動いた』と言えばそれが真実だ。周りはそれを信じる」
「……」
「あんたは動くべきじゃなかった。馬鹿だなあ。軽はずみな行動で、商会に傷をつけたってわけ──」
店主の言葉が止まった。酒瓶を持った彼の腕を、豆太郎が掴んだのだ。
「飲みすぎだよ、あんた」
低い静止の声には、いつもの豆太郎にはない迫力があった。
豆太郎の初めて聞く声に、思わずソーハは固まった。数秒後「なぜ自分がもやし男ごときに固まらなければならない」とじわじわ怒りが湧いてきた。
「経緯は分かった。どーする? レグーミネロ」
レグーミネロは少しだけうつむいた後、胸元をぐっと握り顔を上げた。
「……今のお話が真実であれば、私の失敗はメメヤード家の所業にされてしまいます。引くわけにはまいりません。なんとしても、このお店を復興させます」
凛と宣言するレグーミネロ。
ダンジョンで豆太郎のために金策を考えていたときと同じ、力強い声だ。
その語尾がわずかに震えているのは、皆聞こえないふりをした。
「ってわけだ。構わないだろ、店主。どうせこのままだと潰れるんだ。なら、最後にひと足掻きしてもいいだろう? あんたも協力してくれよ」
店主はわずかに沈黙して、酒瓶を床に置いた。
やけになって酒ばかり飲んでいたが、どうせなら最後にラーヴ・ノワール商会の鼻を明かしてやりたい、と思ったのだろう。
「ふん。勝手にしろ。できるもんならな。ただ店をきれいにしたくらいじゃ、他のところに客を取られるだけだ。ラーヴ・ノワール商会の邪魔が入る可能性も高い」
彼の言うことはもっともだ。
ラーヴ・ノワールが提示した期限は10日。この店は宿泊施設もなく、規模も小さい。何か目を引く作戦を考えなければならない。
「ふっふっふ」
ここで得意げに挙手した男がいる。
豆太郎だ。
ソーハ達3人は、この後の展開をしっかり予想できた。
これはあれだ。絶対あれだ。
豆太郎はぐっと拳を握り、口を開いた。
同時に、ソーハ達も口を開く。
「「「「もやしだ」」」」
4人の声が唱和し、豆太郎は目を丸くした。
もやし、ついに街の外に進出の時である。




