50.
目的である宿にたどり着くまで、ラディが同行することになった。
商人同士話が合うのだろう。レグーミネロとラディは談笑しながら歩いていく。
その後ろを、エルプセと豆太郎がついていく。2人は戦士の顔をしていた。いつ魔物が飛び出してくるか分からない森の中を歩いているような緊張感が漂っている。
「注意してくださいね、マメタローさん」
「任せろ、いざというときは俺の渾身の親父ギャグで周りを凍り付かせてやるぜ。ふふ、忘年会の若手社員たちの冷たい目線を思い出すな」
「頼もしいっす、マメタローさん」
「お前たちは一体何と戦っているんだ?」
ソーハのツッコミに答えるものはいなかった。
そのときだ。通りかかった宿を見て、皆は思わず足を止めた。
「うわ……」
掃除していない枯葉だらけの入り口はまだいいとして。
ヒビの入った窓ガラス。蹴り破ったドア。真っ二つになった看板には「石の匙亭」と書かれているのがかろうじて読めた。
明らかに誰かに嫌がらせをされた痕がある。
そのひどい有り様に、皆が絶句した。
ラディが顔を青くして呟く。
「まさか……、これはうちの商会が……」
「え?」
レグーミネロは思わず聞き返した。
「どういう意味です? ラーヴ・ノワール商会が関係しているのですか?」
「あ……、いや」
ラディはしまったというように口元を抑え目を伏せた。だが、やがて意を決したようにレグーミネロに視線を戻した。
「……確認したいことがあります。良かったら一緒に着いてきてくれませんか、レグーミネロさん」
先ほどまでの甘い雰囲気はあっという間に霧散し、何故かレグーミネロ一行は、ラーヴ・ノワール商会の屋敷へと行くことになった。
□■□■□■
ラディにお願いされ、レグーミネロ達4人はあれよあれよという間に馬車に乗せられた。メメヤード家の使用人たちはそのまま宿に向かってもらった。
彼らが向かった先は、先ほど地図に赤丸を付けたひときわ目につく大きな建物だ。
六角中の建物が左右についた巨大な屋敷。
屋根は青く、外壁は白く。徹底的に青と白で統一された外観は、ある種の重苦しさまで感じさせる。
馬車から降りた一行は中へと進む。
ラディが正門で門番に耳打ちをすると、門番がすぐに中に入っていった。
一行はラディに連れられて正門の中を歩いていく。
豪華な庭園を眺めながら、豆太郎は感心して呟いた。
「すげー庭だなあ」
感心する豆太郎に、ソーハがふんと鼻を鳴らした。
「これくらい、俺でもできる。植物の魔物を召喚すれば一瞬だ」
「ははは、絶対ダンジョンでやるなよ。俺がレンティルさんに怒られるから」
エルプセは彼らの魔人トークがラディの耳に入らないかとひやひやした。
だが、ラディは子どもの言っていることなどまったく耳に入っていないようだ。
彼は深刻な表情で屋敷の扉を開けて中へと進んでいく。
「やあ、これはこれは! メメヤード家の奥様、ようこそいらっしゃいました」
客間に通された4人を出迎えたのは、がっしりとした中年男性だった。
館の屋根と同じく青を基調としたフォーマルスーツに、金の装飾品がよく似合っている。
この男はラーヴ・ノワール商会の元締め、会長のラーヴ・ノワールその人だ。
「こんにちは、ラーヴ・ノワール様」
「遠くからようこそおいでくださいました。そちらの方々は?」
「夫の古い友人です」
「なるほど、そちらのお子さまは、その方の息子さんですか」
「ええ、そうです」
「え」
レグーミネロがさらりと嘘をつき、豆太郎は一児の父となった。
戸惑いの目をレグーミネロに向けるが、彼女はラーヴ・ノワールから目を離さない。
ソーハが怒りだすのではないかと思ってそちらにも目を向けたが、彼は出されたお茶菓子に夢中だった。
ラディがラーヴ・ノワールを非難するように声を上げた。
「会長。どうして石の匙亭にあんなことをしたんですか」
ラディの剣幕に、ラーヴ・ノワールは片眉を下げた。
「本意ではない。交渉に行ったうちの若い奴らが、店主と喧嘩したらしい。私も先ほど聞いたところだ」
「交渉?」
レグーミネロは思わず横から口をはさんだ。
「ああ、失礼しました。街の内情を話すのもためらわれますが……、見られた以上仕方ありません。実は石の匙亭は経営不振でね。我々ラーヴ・ノワール商会が支援を申し出ているのですが、断られているんです」
この場合の「支援」は店の管理権などをすべてラーヴ・ノワール商会に明け渡すことを意味するのだろう。
今まで切り盛りしていた宿が、名前だけ残して違うものになってしまう。それを拒む店主の気持ちは分からなくもない。
「ですが、どのみち石の匙亭はもう終わりです。店は立ち行かず、私たちが買い取ることになるでしょうね」
「そんな……、まだ諦めるには早いでしょう」
「ラディ、あまり現実的ではないことを言うな。もう10日もすれば、あそこは借金で首が回らなくなって、店を手放すことになる」
ラーヴ・ノワール商会に権利を譲れば、店は潰れないが乗っ取られる。
しかしこのままでは、経営難で店は潰れる。
もはや石の匙亭がなくなるのは時間の問題、というわけだ。
ラディは商会の人間だが、石の匙亭の買収に反対しているらしい。
「こんな風に買い取っては、遺恨が残ります。あちらは昔からラウトの街にいるし、古くからの知り合いたちの心証も悪くなるでしょう」
「だが、他にどうしろというのだ」
「それは……、そうだ」
ラウトが振り返ってレグーミネロを見る。すがるような眼差しだった。
「メメヤード家のような力と歴史のある商会なら、石の匙亭の店主も、きっと協力を受け入れるはずです」
「え?」
「もしそれでダメだったとしても、今よりは納得してもらえるはずです。ベンネル様の奥方様、どうか、力を貸していただけませんか?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
いきなり話が思いも寄らぬ方向へ向かっていき、レグーミネロは慌てた。
「メメヤード商会だって歴史は浅いです。ラーヴ・ノワール商会と数年しか変わりません」
「我々からすれば、それでも大先輩ですよ」
ラディがずい、と前に出た。
「お願いします。このままでは、ラーヴ・ノワール商会は石の匙亭を無理やり奪うことになってしまう。できればそれは避けたいんです」
「ですが……」
「あの、ちょっといいですか?」
ここで口を挟んだのは豆太郎だ。
ただの知人、メメヤード家のおまけの存在。そんな彼が突然発言し、ラーヴ・ノワールは怪訝な顔をした。
「あなたは?」
「はい、育田 豆太郎と申します。大変申し訳ございませんが、今名刺を切らしておりまして、このままご挨拶だけ。メメヤードご夫妻によくしてもらっている者です」
在りし日のサラリーマン時代を思い出し、姿勢を正してお辞儀する。
(マメタローさんがまともな大人みたいなことをしてる!?)
(なんだこいつ、気持ち悪いな)
エルプセとソーハが一歩後ずさった。
お辞儀をしただけでえらい言われようである。
「差し出がましい真似をして恐縮なのですが、この街での売買に他の街の商会が干渉するというのは、あまりよろしくないのでは? どうでしょう、レグーミネロ?」
話の矛先を、あえてレグーミネロに向ける。レグーミネロは慌てて頷いた。
「そ、そうですね。その土地や宿の管理権を持っているならともかく、他所の商会が管轄外の店に口を出すのはいけません。ラーヴ・ノワール商会にも失礼です」
だからこのお願いは受けれない。
そう断ろうとしたのだが。
「確かにおっしゃる通り。ここでメメヤード家のお力を借りるのは、ラーヴ・ノワール商会の無能さを知らしめるようなものてす。けれど、ラディがこれだけ熱意を持って頼み込んでいるんです。私も彼の気持ちを汲みたい」
なんと、ラーヴ・ノワール本人が後押ししてきたではないか。会長は一歩前に歩み出た。
「10日間。10日間でいいんです。その期間ベンネル様の奥様にご助力いただけませんか? それで石の匙亭を復興できなければ、ラディも諦めがつくでしょう。お願いします」
レグーミネロはぐっと言葉に詰まった。
ここで自分が断れば、今後ラウトの街と商談をするときに不利になるかもしれない。
(せっかく旦那様が市場調査を任せてくださったのに、足を引っ張るようなことはしたくありません)
レグーミネロは数秒の間にめいいっぱい考え込み、決断した。
「分かりました。ですが、私はあくまでベンネルの妻です。メメヤード家の権限は一切使えません。なので、メメヤード家としてではなく、あくまで私個人が関わるということでよろしいですか?」
「! ありがとうございます!」
ラディはぱっと顔を明るくし、感極まった様子でレグーミネロの両手を握った。
「ありがとうございます……、本当に。私もできる限り協力しますので」
「は、はい」
ずい、と近づいてくるラディ。
間髪入れずに、エルプセが間に割り込んだ。
「……何か?」
「すんません、ちょっと羽虫が」
エルプセが雑な言い訳をしている間に、豆太郎がこっそりレグーミネロを引き離す。
「では、さっそく石の匙亭に向かいましょう」
ラディのあとを、レグーミネロとエルプセがついていく。その後ろを、お菓子をほお袋に詰め込んだソーハと豆太郎が付いていく。
豆太郎はソーハの口元のお菓子のかけらを拭いながら歩く。扉が閉まる直前、ラーヴ・ノワールの方をちらりと振り返った。
彼はにこにこと微笑んだまま、こちらを見送っている。
「…………」
ぎいい、と扉が閉まった。
それを合図にラーヴ・ノワールの笑顔が変わる。
穏やかな人好きのする笑顔から、搾取を楽しむ略奪者の笑い顔へ。




