48.
それから数時間後。
レグーミネロの夫、ベンネル・メメヤードの屋敷にて。
「……ということで。今度の新婚旅行にはおじさん少年女性が付いてくることになりました」
「遠足じゃねえんだぞ!」
部下の淡々とした報告を受け、新婚旅行に失敗したベンネルは自室で床ドンした。
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ベンネルが新婚旅行を提案したことに深い意味はない。観光名所の市場調査のついでだ。
別に美容効果で女性に人気のある温泉を選んだのにも深い意味はない。
レグーミネロが喜ぶかもしれないなんて、全然考えていない。ほんとうに、まったく。
そうしてめちゃくちゃ仕事を詰め込み、やっと長期休みを確保して、いざ新婚旅行に行こうとしたその矢先にこの報告。
自分が何をしたと言うのだ。
「なん、なんでおっさんやらガキが付いてくることになってるんだ……!」
「旦那様、少々口が悪いですよ」
たしなめたのは、メメヤード家の使用人の1人だ。
普段3人1組で動いている彼女らは、主にレグーミネロの護衛を務めている。
今この場にはその内の2人がおり、主人に先ほどのダンジョンで起こったことを報告していた。
「大体、レグーミネロは何故ほいほいと他人を誘ってんだ!」
「いや、そもそもベンネル様の誘い方が最悪でしたもん」
「そうそう。『市場調査に行くぞ。お前も着いてこい。少しはこれまでの経験を生かせよ』なんて」
「あれで新婚旅行に行くとは思いませんよ」
「ねー」
「ねー」
息を合わせる使用人たちに、ベンネルはぷるぷると震えた。
「まあ、マメタロウ様たちは3人組で過ごすでしょうから、ちゃんと2人の時間も作れますよ」
「むしろ良かったんじゃないですか。旦那様、ずっと2人きりだと緊張してやらかしそうだし」
「お前達の給料は俺が握っているということを忘れるなよ」
好き放題言ってくる使用人に釘を刺し、ベンネルは大きくため息をついた。
こうなってしまっては仕方がない。脳裏に呑気な顔でもやしを食べる豆太郎の顔が浮かぶ。せいぜい市場調査で、あいつを思いきりこき使ってやると決意したそのときだった。
扉から控えめなノックが聞こえた。部屋に入ってきたのは、3人組の使用人の最後の1人だ。
彼女はなんとも気まずそうな表情で言葉を絞り出した。
「旦那様。その、明後日の新婚旅行の日なのですが……」
「? どうかしたか」
「その……、アリコルージュ様が……」
突如出てきた街の顔役の名前に、ベンネルは目を丸くした。
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楽しい旅支度の時間はあっという間に過ぎる。
ラウトの街への観光旅行、出発の日がやってきた。
街道を進むのは3台の馬車。
1台目の馬車にはレグーミネロ・メメヤード。しかし、なぜかその馬車に、ベンネルの姿はなかった。
2台目にはメメヤード家の護衛達。
3台目にはソーハ、豆太郎、そして。
「なんでその流れで俺が乗ることになったんすか……?」
なぜか疲れ切った顔をしたエルプセが乗っていた。
炎の勇者、エルプセ。
豆太郎が異世界に来て初めて出会った人間だ。
まだ18歳の青年だが、ひとたび戦いとなれば、腰に下げたファルシオンという剣に炎をまとい、勇猛に敵に挑んでいく。
もっとも今は、虚ろな目をして馬車に揺られるがままになっているが。
「マメタローさんと、ソーハと、姐さんと、メメヤードご夫妻で行く旅だったんでしょ。なのになんでベンネルさんはいなくて、姐さんの代わりに俺が乗ってるんですか」
エルプセはあっちこっちを指さしながら尋ねた。
ラウトの街観光旅行は、この2日で大幅なメンバー変更があった。
予定していたメンバーは「豆太郎、ソーハ、ファシェン、ベンネル、レグーミネロ」の5人。
ところが実際は「豆太郎、ソーハ、レグーミネロ、エルプセ」の4人だ。
もう新婚旅行は完全にどこかへいってしまった。
げんなりとしたエルプセの向かいに座った豆太郎が、彼の疑問に答えた。
「仕方ないって。ベンネルは偉い人から仕事を頼まれたらしいし。悲しい社会人の運命だよ」
そう、なんとベンネルは、旅行日に仕事を依頼されてしまったのだ。
折角の新婚旅行。たいがいの仕事なら断っただろうが、相手が悪かった。
依頼者はなんと街の顔役、ベンネルの上をいく大商人アリコルージュ。
さすがのベンネルも、彼の依頼を蹴るわけにはいかなかった。
「そんでファシェンさんは王都に行ってていなかったし」
ファシェンはソイビンの街にいなかった。なんでも先日知り合った織物職人、ヘンネに会いに城下町に行ったらしい。
2人も欠席者が出てしまったが、旅支度は既に整っている。事前に手紙で宿の手配もしていたので、中止するのはためらわれた。
ついでに言うと、新婚旅行だとまったく気が付いていないレグーミネロは「市場調査を立派に果たせたら、旦那様に成果を認めてもらえるかも!」とがぜん張り切っていた。
こうしてラウトの街観光旅行は、予定通り決行となったのだ。
そしていざ行かん、ラウトの街へとなったところで、たまたま出会い、とっ捕まったのがエルプセである。
「エルプセも、さっきはさらっと快諾してくれたじゃないか」
豆太郎に「今からラウトの街へ行くんだけど、護衛してくれないか?」と聞かれて、エルプセはしばらく用事もないしいいか、とさらりと承諾してしまった。
そして馬車に乗ってから詳細を聞いて、頭を抱えている次第である。
「あ、もしかしてラウトの街が嫌なのか? 温泉嫌いか?」
「温泉が嫌とかじゃなくてっすねえ……」
エルプセが悩んでいるのは、この流れとこのメンバーだ。
まず1つ目。メメヤード夫妻問題。
ソーハのダンジョンでの食事を通じて、エルプセはメメヤード夫妻とも面識がある。
エルプセは知っている。歳の差結婚をしたメメヤード夫妻。夫であるベンネル(26)は、なんだかんだと言いつつも、妻のレグーミネロ(16)が他の男性にちょっかいをかけられないか結構気にしていることを。
そしてエルプセとレグーミネロはそれなりに歳が近い。若い2人が旅行先に共に行くとなったらどう思うだろうか。
想像するだけでエルプセは胃に100のダメージを受けた。
続いて2つ目。ファシェン問題。
ファシェンはエルプセの冒険仲間で、エルプセにとっては尊敬すべき「姐さん」だ。
エルプセは知っている。そんなファシェンが豆太郎に恋をしていることを。
そんな彼女が城下町から戻ってきたとき、自分と豆太郎が旅行に行ったと知ったら、きっと質問攻めにされる。
想像するだけで、エルプセは胃に500のダメージを受けた。
なんだかよく分からないダメージを受けているエルプセに、豆太郎はちょっと身を乗り出して心配する。
「エルプセ? その、本当に嫌なら無理しないでいいんだぞ。俺もいきなり誘ったわけだし」
「はいはい、大丈夫っすよ」
本気で心配し始める豆太郎に、エルプセは小さく笑って手を振った。
多少胃はきりきりするが、乗ってしまったものは仕方ない。
せっかく行くのだから、観光を楽しむことにしようと気持ちを切り替えた。
「そういえばお2人は、ラウトの街は初めてっすか?」
豆太郎は頷いて、隣に座るソーハを見た。
ソーハは馬車の窓にかじりついて外を眺めている。
景色を見るのに夢中で、質問は聞こえていないようだ。
年相応のソーハの少年の姿を見て、エルプセは頬杖をついた。
「魔人の観光なんて聞いたことないっすけど……、きっと驚くでしょうね。ソイビンの街とは全然違いますから」
「温泉があちこちに湧いているんだろ?」
「そーっすね。効能も色々。何日もかけて、1つずつ温泉に入る客も多いですよ」
「いいなあ」
豆太郎はぶらり湯けむり温泉に思いを馳せる。
──そこでひと騒動に巻き込まれるとは、まったく思いもしていなかった。




