47.温泉で育つもやしがあります。
今日から第三章第二部、ぶらり湯けむり温泉旅編開幕です!ご賞味ください。
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昨日「ハトになったらモテ期がきた」の短編もアップしておりますので、笑いを求めている方はよかったらチェックしてみてください。
ソイビンの街から2つほど街を離れたところに「ラウトの街」という街がある。
人口より観光客の方が多い観光名所。その街の見どころはずばり「温泉」だ。
癒しを求め人々が立ち寄るその地で、今。
「さあ、やりますよ! もやしの力でこの宿を復活させましょう!」
「おー!!」
もやしの布教が始まろうとしていた。
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ことの始まりは10日前。
豆太郎の住むダンジョンに、レグーミネロが遊びに来ていたときのことだ。
「ラウトの街?」
「ええ。今度旦那様と行くことになったんです」
本日のお茶会参加者は、豆太郎、リンゼ、レグーミネロ、ソーハの4人。
もはや魔人と人間が同席してお茶会する光景も、このダンジョンでは珍しくない光景になってきていた。
とはいえ、一応ソーハは髪と目の色を金色に擬態している。
正直なところ、最近やってくる人間が多すぎて、誰に魔人だとバレているのか分からなくなっているからである。
リンゼは頬杖をついて口を開いた。
「ラウトの街って、有名な観光名所だよね」
「ええ、市場調査に行くそうですよ。ふふふ。つまり私も、市場調査に同行させる程度には認められたということですよ、えっへん」
レグーミネロはちょっと得意げに胸を張った。
彼女は商売に興味を持ってはいるが、夫の強欲商人ベンネルからはいつも「商売人の猿真似」「せいぜい俺を見て学べ」と散々に言われていた。
そんな夫からの市場調査への誘い。
自分の実力が認められたのだ、と舞い上がるのも仕方のないことだろう。
「旦那さんと2人で行くの?」
「ええ、もちろんお付きの人たちはいますけど。でも、市場調査ならもっと人員を増やしてもいいと思うんですけどねえ」
「…………」
リンゼと豆太郎は沈黙した。
「それって普通に新婚旅行じゃないの?」という沈黙である。
貴族のご令嬢レグーミネロと大商人ベンネル・メメヤードは、いわゆる政略結婚による夫婦だった。
しかし共に時を過ごすにつれ、ベンネルの心境に変化が出た。
どんな境遇でも変わらないレグーミネロのまっすぐな明るさに惹かれ始めたのだ。
いつの間にかベンネルはレグーミネロと共にこのダンジョンに来るようになり、さらには動物の知識やら花の知識まで勉強し始めた。
その変化は、鈍感な豆太郎すら気づくほどであった。
知らぬは本人ばかりなり、というやつである。
黙ってしまった2人の代わりに、今度はソーハが質問した。
「それで? その街の観光名所っていったいなんなんだ」
ソーハは魔人の子どもだ。
ダンジョンを拠点として生活する魔人は、外の世界のことをあまり知らない。
「ラウトの街の観光名所は温泉ですよ」
「えっ、温泉!?」
今度は豆太郎が目を輝かせた。
異世界でその単語を聞くことになるとは思ってもみなかったからだ。
ここで少し豆太郎のライフスタイルについて説明しよう。
豆太郎はソーハに異世界に連れてこられてからは、水を沸かして体を拭く、あるいは流すという方法を使っていた。
豆太郎が魔法が使えず人力で体を拭いていたことを知ったとき、ソーハは珍しくちょっとばつの悪そうな顔をした。
この世界の人々は、皆魔法で水のシャワーを浴びるのが一般的だった。豆太郎が魔法が使えないせいで不自由しているなど気づかなかったのである。
ダンジョン内に「紐を引くと頭上からほどよい水が流れるトラップ」が設置されたのはその後すぐのことだった。
もっとも極貧の学生時代、風呂なし物件に住んでいたこともある豆太郎には、特に苦でもなんでもなかったのだが。
ともかく、ここは魔物も魔法もあるファンタジーの世界。入浴は「魔法によるシャワー」が一般的な生活様式なのだ。「湯につかる」という思想はあまりなさそうな世界だったので、温泉があるというのは純粋に嬉しかった。
うきうきとする豆太郎を見て、ソーハは眉を跳ね上げた。
「おんせん? ってなんだ?」
「ソーハ君にはなじみがないかもしれませんね。地中からわき出した泉のことです。あったかい泉もあれば、ぬるま湯のような温度の泉もあります。それに浸かって、のんびりするんですよ」
レグーミネロはにこやかに優しく説明する。
ソーハを魔人かもしれないと勘づいているのに、さらりと「君」付けするあたり、中々の度胸である。
ソーハはぬるい泉を想像して、首を傾げた。
「楽しいのか? それ」
「おじさんには楽しいぞお。体の内側からぽかーっとあったまってなあ。至福の時間だ」
豆太郎は日本で銭湯に入ったときのことを思い出す。
温かい湯に包まれる充足感、風呂上がりに扇風機の冷たい風を浴びる爽快感。
幸福に満ちた豆太郎の表情に、ソーハは温泉に興味を持ったらしい。
「ふーん。温泉、ね」
「良かったら、マメのおじさまとソーハ君も一緒に行きますか? 市場調査は、様々な年齢の人に意見を聞けたほうが参考になりますし」
「えっ」
豆太郎は慌てた。
レグーミネロは全然気づいていないが、これは新婚旅行だ。絶対そうだ。
さすがにここで連れて行ってもらうのは完全なお邪魔虫だ。豆太郎でも分かる。
というか、ベンネルが絶対ブチ切れる。
「い、いや。せっかくだが、またの機会にするよ」
「もやし栽培に役立つ、珍しい豆もあるかもしれませんよ?」
「えっ」
見知らぬ土地。新たなもやしの可能性。
豆太郎がそわっとした。「他人の恋路を邪魔しない」と「もやしの新発見」という天秤が揺れる。
それに気が付いたリンゼが、素早く豆太郎にビンタした。
師匠のもやし愛の暴走を止めるのも、弟子の務めなのだ。
「べふっ」
「リンゼさん!?」
「羽虫がいたから」
リンゼは豆太郎の首根っこを掴み、ひそひそと耳打ちをする。
「ししょー、だめだよっ。もやしの欲望に負けて人の恋路を邪魔しちゃ」
「さ、サンキュー、リンゼ。一瞬もやしのことを考えて我を忘れたぜ」
豆太郎を食い止めたリンゼ。
だがそんな彼女にさらなる試練が襲い掛かる。
「……い、行かないのか? 俺はついて行ってやってもいいが?」
なんと魔人ソーハが、豆太郎とリンゼを期待を込めた目で見上げてきたのだ。
リンゼはうっと言葉に詰まった。
彼女は以前、ソーハに命を救ってもらった恩義があるのだ。
師匠の暴走を止める心と、ソーハへの恩義で板挟みになるリンゼ。
「で、でも。ししょーには大切なもやしの水替えがあるし」
「レンティルにお願いしてみる」
「ううっ」
レンティルとは、ソーハのお付きの女性だ。
そもそもソーハはこのダンジョンの主で、魔物を統べるもの。
彼が一声かければ、旅行中のもやしの水替えなど問題にならない。
悩むリンゼに、さらにさらに試練が襲い掛かる。
レグーミネロがにこやかに笑いながらこんな提案をしてきたのだ。
「リンゼさんも良かったらご一緒にどうですか? ファシェンさんも誘って。温泉は美容効果でも有名なんですよ」
(! ファシェン……!)
リンゼの仲間、風の勇者ファシェン。
彼女は豆太郎に恋心を抱いている。
リンゼはそんなファシェンの恋路をひそやかに応援しているのだ。
(旅行でマメタロウさんとファシェンの仲が深まるかも……、い、行かせたい、行かせたいけど!)
弟子の責務と、魔人への恩義と、恋路の応援。
リンゼは板挟みどころか、もう四方八方からもみくちゃにされていた。
ソーハ。ファシェンの恋。メメヤード夫婦の新婚旅行。もやし。
ぐるぐると目を回しながら、リンゼが絞り出した答えとは。
「し、ししょーとファシェンとソーハが旅行に行って、私がもやしの水替えをする!」
これが、3方向にめいっぱい配慮した答えだった。
ベンネルへの配慮は捨てた。




