46.
魔人よりも物騒な人間に、ソーハが頭を抱えたその時だ。
「嘘をつくな、ヘンネ。本当はそんなことできないだろう?」
「え?」
そう言ったのはファシエンだった。彼女はヘンネを見つめ、ゆっくりと彼女に近づいていく。
「な、なにを言ってるんですか」
「ヘンネ。お前は本当は──人に受け入れて欲しいんだろう?」
ヘンネの身体がわずかに震えた。
「私もそうだった。自分の姿が嫌いで、人が怖くて、信じられなくて。だけどそれでも、分かって欲しかったんだ」
完全な人ではない自分の苦しみを。
魔物の血を持つことの疎外感や孤独を。
ずっと誰かに受け入れて欲しいと思って生きていた。
「けれどお前はそれを諦めて、ダンジョンに閉じこもって生きようとしている」
ヘンネは反論できなかった。語りかけるようなファシエンの口調は、とても実感が込められていたからだ。
俯いて、小さな声を絞り出す。
「……それの何が悪いんですかあ」
ヘンネは自分の長い爪で、額のツノにそっと触れた。
人ではない証のこれを、ときおりへし折ってしまいたい衝動に駆られる。
そんなことをしても何の意味もないけれど。
「だって、誰もこんな姿を受け入れてくれるはずがない。諦めるしかしょうがないじゃないですか」
「大丈夫だよ」
ヘンネの手を、そっとファシェンの手が包む。包んだ彼女の手が、淡い緑の羽に覆われていく。
「あ……」
美しい女性が翡翠の鳥へ変わっていく。
羽根を震わせ、丸く大きな嘴を開いた。
『あなたはまだ、あなたの本当の姿を受け入れてくれる人に出会えていないだけだ。私は、私たちの姿を受け入れてくれる人を知っている』
ファシェンの脳裏にたくさんの顔が浮かぶ。
苦楽を共にしたザオボーネやエルプセ。
もやし料理を差し出す豆太郎の笑顔。
『諦めるにはまだ早いさ。そうだ、ヘンネは、もやしのうわさを聞いて来たんだろう? なら、これも知っているか?』
ファシェンはふわりと空に舞う。
爽やかな風が、ヘンネの長い髪を揺らして吹き抜ける。
『もやしは他の植物とは違い葉緑体を持たない。真っ白で少し変わった野菜だ』
「普通」から少し外れたもやし。だけどファシェンは知っている。
『葉緑体がないけど、他の野菜と同じように美味しいんだよ』
夜の空。濃紺に染まった空の景色に、草原のようなつややかな深緑の存在が浮かび上がる。
『あまねく大地にそよぐ祝福よ』
ファシェンは言の葉を紡ぐ。それに呼応するように、風が彼女を取り巻いた。
『ある時は神の嘆き、ある時は幸運の手。我は敬意を持ってその名を呼ぼう』
空に向かって翼を伸ばす。
「風の協奏」
天高く渦巻いた風が空に舞い上がる。
それは弧を描いて流れ星のように飛んでいき、ソイビンの街上空の魔方陣を直撃した。
□■□■□■
同時刻、ソイビンの街の酒場。
「うう〜」
「おえ……」
「げぼぼぼ」
リンゼは、地面に転がった冒険者たちの額に、てきぱきと濡れタオルを置いていく。
「死屍累々だね、ザオボーネ」
「お前は平気そうだな、リンゼ」
「うん。多分、魔力の少ない人間に効きにくいんだ」
言葉のとおりリンゼはピンピンしていた。
逆に、中には効きすぎて、いわゆる「体調不良ハイ」状態になってしまっている人間もいる。
「うぐ……、こ、これくらい。姐さんとザオボーネさんの地獄の特訓に比べれば……」
「こら、エルプセ。起き上がらない」
ゾンビのように起きあがろうとするエルプセを、びたんと床に張り倒す。
こんな感じで、体調の悪い人間ほど無理やり動こうとするのだ。
「僕もまだまだやれるぞっ」
「ヒャハハハ、逆に元気になってきたぜ」
「外はどうなった〜?」
おかしなテンションで、這いずりながら外に出ていく者まで出てきた。
「ああもう、じっとしないなら気絶させる」
杖を握ったリンゼが、酒場の入り口に這っていった体調不良者を捕まえに行く。
入り口を半歩出て襟首を引っ掴んだその時、頭上でごう、と風が吹き抜ける音がした。
はっと顔を上げるのと、魔法陣が粉々になったのはほぼ同時だった。
魔方陣が風に散り、紫の波紋が粉々になる。その破片はきらきらと地上に落ちてきた。まるで紫の雨のように。
幻想的な光景に、思わずリンゼは声を上げた。
(今のは風の魔法だ)
リンゼはパーティーの仲間である、風の魔法を使いこなす頼れる女戦士を思い出した。
「リンゼ、どうした?」
ザオボーネが入り口から顔を出した。
そして魔法陣が消えたことに気づき、たいそう驚く。
リンゼはザオボーネを見上げて笑った。
「多分、ファシエンがやってくれたよ」
□■□■□■
ソーハのダンジョンの上。
渾身の傑作を破壊されたにもかかわらず、ヘンネは静かなものだった。
ただ紫の雨を見つめて、ぽつり、と呟いた。
「……私の覚悟、簡単に壊されちゃいましたねえ」
ファシェンが地面に降り立った。
地面に触れた三つ指の鉤爪状の足が、人のそれへと変わっていく。
元の美しい人の姿に戻ったファシエンは、ヘンネに手を伸ばす。
もう少しだけ、人の世で生きようという気持ちを込めて。
「まずはもやし料理を食べてみないか?」
「他に説得の言葉、なかったんですかあ?」
そう言いながらも、ヘンネは小さく微笑んだ。
こうして「これはもやし布教チャンスか?」とそわそわする豆太郎と、なんとなく敗北感を抱えたままのソーハをよそに、魔法陣騒動はあっさりと収束を迎えたのだった。
第3章第1部、これにて完結です。
引き続き第2部に進んでいきます。
☆本日短編小説で「番外編ハトになったらモテ期がきた」も投稿しているので、気になった方はぜひ読んでみてください。ギャグ全開のハトコメディです。
□■□■□■
「おもしろかった」「続きが読みたい」「もやし食べたくなった」
そんなふうに思ったら、評価をしていただけると嬉しいです!
ブクマ、感想いいね等々、もんのすごく励みになるので、よければお願いします。
【評価方法】
小説の下の「ポイントを入れて作者を応援しましょう」の☆マークをタップしてください。最大5評価が可能です。(1番右の☆が5評価となります)




