45.
同時刻。ソイビンの街。
ザオボーネ達は今日も酒場で談笑していた。
リンゼは肉を食べ、ザオボーネはビールを飲み、エルプセは適当におつまみを食べている。
「ザオボーネさん、今日は夜警なしっすか?」
「ああ。だから酒飲み放題だ。ファシェンも誘えばよかったな」
「だめだよ、ザオボーネ。ファシェンは私の代わりにもやし漬けにされているんだ」
「えっ、生贄?」
俺たちの知らないところでファシェンになにが。
エルプセが問いただそうとしたその時、酒場の扉が乱暴に開かれた。
尋常ではないその様子に、うるさかった酒場が一瞬だけ静かになる。
皆の視線が、血そうを変えて飛び込んできた冒険者に集まった。冒険者は息を切らせながら、それでも顔を上げて声を出す。
「おい、大変だ! 空を見ろ!」
「空……?」
皆首を傾げつつも、わらわらと外に向かう。
空を見上げたザオボーネはあんぐりと口を開けた。
「なんだ、ありゃあ」
空に描かれた紫色の魔法陣。
冒険者達がざわめいた。
「救命信号か?」
「いや、あんなの書かんだろ」
「どっかの芸術家がやったのか」
「すぐ消されるぞ、バカなのか?」
おそらくあの魔法陣は、遭難時に救命信号を出すときに使うアイテムで描いたものだ。
冒険者なら大抵紫色のインクを携帯しているからよく知っている。
上を向いたまま、ザオボーネはエルプセに問いかけた。
「どう思う?」
「あんなの見たことないっすねえ。俺も変わり者の芸術家がやったのに1票──うえ?」
エルプセの視界がぐるりと反転した。
脳の奥が振動する感覚に、思わず膝をつく。
慌ててリンゼが膝をつき、彼の様子を伺う。
「どうしたエルプセ? 飲みすぎ?」
「飲、んでねえ、けど……、きぼちわりい」
異変が起きたのはエルプセだけではなかった。
周りの人間達も、苦しそうにうめきながら次々と倒れていく。
そして、ザオボーネの視界にも歪みが生じた。
(しまった! これは……)
ザオボーネは慌てて魔方陣から顔をそむけた。
「全員あの魔法陣を見るな!! 酒場に入れ!!」
皆がよろめき、うめきながら酒場に入っていく。まるで酔っ払いの大行進だ。
実際に酒は入っているので、酔っ払いなのだが。
(視界が回る。おそらく、人間になんらかの作用を及ぼす魔法陣だな)
ザオボーネは足を踏ん張り、なんとか態勢を立て直した。中に入っていく人々を見て、被害を確認する。
被害状況は人によって違う。ザオボーネのように動ける者もいれば、人に支えてもらってようやく歩いているものまで。エルプセに至っては完全に目を回している。
(……だがダンジョンでもないのに、いったいなぜあんなものが街中に)
救命信号用のアイテムを用いた魔法陣。
あれは明らかに人為的なものだ。
(吹き飛ばすのが1番だが、俺やエルプセの魔法ではあの距離を飛ばすのは難しいぞ。ファシェンの風に頼りたいが……)
ここにはいない風使いのことを考え、ザオボーネは歯噛みする。
彼女が今まさにその人物と相対しているとは、思いもよらずに。
□■□■□■
ソイビンの街の上空に描かれた紫の大きな魔方陣。
四角い陣の中に幾重の曲線が重なり、波のような、あるいは蔦のような模様を生み出している。
使われているのは、救命信号を発するためのインク。だが空に描かれているのは助けを求める声ではなく、もっと精巧で恐ろしい芸術品だった。
豆太郎達は、皆呆然と空を見上げていた。
そんな様子を見て、ヘンネが満足げに頷く。
「いかがですかあ? あれは人間を弱らせる魔方陣です」
「な……なんだと?」
「魔除けはあ、魔物が分解できない一部の魔力を基に作られますよねえ。あの魔法陣は逆。その分解する力を活性化させるんです」
魔力を過剰に分解することで身体に負担が生じ、立っていられないほどのめまいに襲われる。
人間にしか効かない特別な魔方陣だ。
「ダンジョンのトラップなんかを観察してえ、研究に研究を重ねて編み出した魔法陣です。魔力が強い人ほど、よく効くでしょうねえ」
ヘンネは再び両手を組んで、頬を紅潮させて語る。
「魔法陣をダンジョンに作れば、冒険者たちの足止めに使えますう。このノウハウがあれば、魔人も私を置いてくれるんじゃないでしょうか」
にっこりと笑う彼女。ソーハの心に巨大な雷が落ちた。
(こ、こ、こいつ……。俺より魔人っぽいことしてる!!)
最近の自分がやったことと言えば、カレー作り、もやし栽培、ピクニック。
それに対してこの人間はどうだ。巨大な魔方陣を作って、人間への決別と攻撃を同時にやってみせた。
なんという凶悪さ。あの頭の飾りが本物のツノに見えてきた。
ソーハはものすごい敗北感に襲われた。
豆太郎は魔方陣とヘンネを交互に見て、あっけにとられた顔で呟いた。
「え……? 対価ってあれ? 食べ物じゃないの?」
この男はまだ頭がお子様ランチから離れていなかった。
「食べ物? ああ、人間の臓物とかを持ってきたほうが良かったですかねえ」
「や、やめろ、これ以上魔人っぽさを出すな!」
ソーハは焦る。このままでは、自分の魔人としての威厳が。
(俺の地位を脅かすこの女をダンジョンに住まわせるわけにはいかない!)
そう心に決めて、びしっと相手を指さした。
「だめだ。お前はダンジョンに絶対住ませない。魔人も絶対にそう言う。言うから」
「ええ……、そんなあ」
ヘンネは眉をへにょりと下げた。心なしかツノも下がったような気がする。
「やはり街1つを滅ぼすくらいの気概がないとダメなんですかねえ」
「なんでお前はそんなに特攻なんだ!?」
過激な人間の発言に、魔人は頭を抱えたのだった。




