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43.

 ザオボーネは皿を差し出したまま動かなくなった。リンゼも肉で頬袋をぱんぱんにしたまま固まり、エルプセが傾けていたグラスからびしゃびしゃと飲み物がこぼれた。

 3人の中でいち早く復活したザオボーネが言葉を絞り出す。


「……、も、もやしダンジョン、か」

「はい。その、アリコルージュ様に教えていただいたんです。この街には少し前、『もやし』という野菜のうわさが広まっていたと。さらに『もやしはいらんか』と襲ってくる魔人の住んでいるダンジョンがあるとか」


 それは魔人ではなく人間なのだが。

 だがザオボーネは、うわさよりもいきなり街の顔役の名前が出たことに驚いた。

 街の顔役の名前、そして頭の珍しい布飾り。ザオボーネはぴんときた。


「あ、もしかしてあんた、アリコルージュが連れてきた天才織物職人か」

「て、天才なんて恐れ多いですが……、はい。ヘンネと申します」

「俺はザオボーネだ。よろしく。それで、なんでヘンネさんは、そのダンジョンのことを知りたいんだ?」

「ええと、そのう。野菜を押し付けてくる魔人なんて、本当にいるのかなあって。気になったんですう」

(……それだけか?)


 ただうわさを知りたいというだけで、こんな酒場まで情報収集に来るだろうか。

 彼女の真意は気になったが、前髪に隠されて表情はよく分からない。

 なんにせよ本当のことを言う訳にはいかない。

 あのダンジョンにはもやしを育てている風変わりな人間が居て、魔人の子どもと共同生活を送っているなんて、言えるわけがない。


「あのうわさは、面白おかしく吹聴ふいちょうされていたからなあ。どこまでが本当かは、俺たちにもさっぱり分からないんだ」


 なあ、とザオボーネがエルプセ達の方を見る。エルプセはこぼした飲み物を吹きながらこくこくと頷いた。


「そうなんですかあ」

「『もやし』という野菜があるのは本当だけどな。でも、興味本位でダンジョンに近づいたりしたら危ないぞ」

「はい、気を付けますう」


 ダンジョンにも近づけさせない、絶妙にごまかしの効いた返答。

 エルプセとリンゼはこっそり親指を立てて賞賛した。さすがはパーティーの大黒柱だ。

 そこで店員がちょうどよくジュースを運んできた。ザオボーネはそれを受け取り、ヘンネに渡す。


「奢りだ。せっかくだから、魔除けの織物の話でも聞かせてくれよ」

「あ、俺も興味あるっす」

「私も。いつも魔除けにお世話になってます」

「は、はい。私でよければ」


 そうしてもやしダンジョンの話題はあっという間に変わり――、夜も更けてきたところで、ヘンネは酒場を後にした。

 ザオボーネに送られて、アリコルージュが手配した街1番の高級な宿にたどり着く。

 ヘンネは部屋に入って窓に近づいた。灯が点々と灯った街の風景。その先にある薄暗い小さな森。ここからでは暗くて見えないが、おそらくあそこに、うわさのダンジョンがあるのだ。


「……野菜を育てる魔人。人に話しかける魔人」


 ヘンネは壁際に積まれた自分の荷物の1つを引っ張り出す。

 荷物を開けると、紫色の液体の入った瓶が山のように出てきた。

 とぷん、と瓶の中で波打つ液体。ヘンネはそれをぎゅっと握りしめ、窓の外を見つめた。


「対話が可能な魔人なら、もしかして……」


 その先の呟きはとても小さく、声になる前に消えてしまった。 



 □■□■□■



 それから数日後、またファシェンは豆太郎の元を訪れていた。

 本日のお茶請けはもやしにレモン汁と植物油を垂らし、木の実を砕いて混ぜたサラダだ。デザートにこの前山で採った木の実の蜂蜜はちみつ漬けも用意してある。


「マメタロー、リンゼはどうしたんだ?」

「さっき出て行ったよ。最近肉の味に目覚めたらしくてな」


 豆太郎がふっと暗く笑った。


「この前まで、あんなにもやし、もやしと言っていたのに……。人の心はこんなに簡単に変わっちまうものなんだな」


 フラれた男みたいなことを言っている。

 ファシェンはもやしサラダを口に運んだ。さっぱりとした柑橘系の香りと、もやしのシャキシャキ感が相性抜群だ。

 しゃくしゃくとサラダを噛みしめていたファシェンの眉がぴくりと動いた。

 すぐ近くに魔人の魔力を感知したのだ。


「おい、遊びにきてやったぞ」

「よう、いらっしゃい。ソーハ」


 現れたのは12歳くらいの生意気そうな少年だ。

 なんと彼こそが、このダンジョンの主ソーハである。

 魔人を象徴する紫の髪と目がその証。

 冒険者と魔人。本来なら決死の戦闘が始まるところだが、ここではそうならない。

 ただみんなでもやし料理を食べるだけである。


「今日はもやしサラダだ。さあ、食べて率直な感想をくれ」


 サラダ、と聞いてソーハは沈黙した。

 食べ盛りのお子様は肉巻きやピザ、プリンなんかのカロリーの高いものがお好みなのだ。

 だというのに最近の豆太郎は、ナムルやサラダ、酢漬けなど、さっぱりした料理ばかり出してくる。もはやコレステロールを気にする中年の食事と化しているのだ。


「俺はそろそろもやしの肉巻きが食べたい」

「う……、頼むよお。もやし本来の魅力を引き出す研究中なんだ。もやしのポテンシャルを輝かせたいんだよう」


 魔人に懇願こんがんする人間の図。しかしその内容は「もやしのレシピについて」である。

 「な! ほら一口、おいしいから、な?」とソーハにもやしサラダのお皿を渡そうとする豆太郎。それを見ながら、ファシェンは酒場で肉を食べているリンゼのことを思う。


(多分リンゼは、私に気を遣ってくれているんだよな……)


 だとすると、このヘルシーなもやしレシピが続いているのは自分が原因だ。

 あまり豆太郎を悩ませてはいけない。今度リンゼと話して、みんなでもやしを食べることにしよう。そう決めてフォークをもやしに突き刺した。

 ツヤのある白いもやしをまじまじと見つめていると、ふと疑問が湧いてきた。


「そういえば、どうしてもやしは白いんだろうな。ほとんどの野菜……、というか植物は緑色なのに」


 何気ないファシェンの疑問に、豆太郎は目を光らせる。


「良い着眼点だ、ファシェンさん。もやしが白いのは、『葉緑体』がないからなんだぜ」

「よーりょくたい? なんだ、それは」


 豆太郎に懇願されて、仕方なくサラダを食べ始めたソーハが尋ねる。


「葉緑体。葉っぱの細胞の1つだよ。日光を吸収し、水や二酸化炭素を分解して酸素や養分を合成するんだ」

「……分解し、新しい力を作り出す、か。魔力の扱いに似ているな」

「そうかもな。もやしは緑色の葉ができる手前、種に蓄えられたエネルギーだけを使って根を伸ばした状態だ。だから葉緑体がなくて、全体的に白いってわけだ」

「なるほどなあ」


 魔除けの魔力を分解できない自分。葉緑体を持たないもやし。

 なんとなく似ている気がする。

 ファシェンは、以前落花生もやしに感じた親近感を再び思い出した。


「ありがとう、マメタロー。また1つ、もやしが身近になった気がするよ」


 その言葉に、豆太郎が感極まって肩を震わせた。


「ファシェンさん! あんたっ、良い人だなあ。エルプセやリンゼは最近俺のもやしのうんちくを聞き流してるのに」

「そんなことはないさ。私もほら、酒場で話のネタになるから。盛り上がるんだぞ、結構」


 ソーハはそれを聞いて「人間の大人って、もやしの話で盛り上がるんだ」とちょっと引いた。

 実際のところは、美女ファシェンの話を聞きたくて人が集まっているだけなのだが。


 そのときだ。今度はソーハがぴくり、と眉を寄せた。

 一度入口の方に視線を向け、再びファシェンを見る。


「お前、仲間ができたのか?」

「? リンゼ達のことか?」


 質問の意味が分からずファシェンは首を傾げた。


「そうじゃない。ダンジョンに、()()()()()()()が入ってきた」

「……っ」


 ソーハの言葉に、ファシェンは緑の瞳を大きく見開いたのだった。


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