40.もやしには葉緑体がありません
ソイビンの街。その街はずれには小さなダンジョンがある。
そのダンジョンの中を1人の冒険者が歩いていた。
爽やかな草原を思わせる薄緑の髪をさっそうとなびかせた絶世の美女。
彼女の名はファシェンという。強き女戦士だ。
ダンジョンに1人の冒険者。
宝探しか、魔物退治か。普通ならそんな選択肢が浮かぶところだが、彼女は違う。
ここに住むとある人間が振舞う「もやし料理」を食べに来たのだ。
……もっとも、ファシェンの本当の目的はもやし料理ではないのだが。
目的地の少し手前で彼女は足を止めた。こほんと咳払いし、1人芝居を始める。
「やあ。久しぶりだなリンゼ。様子を見にきたぞ」
「こんにちは、ファシェン(ちょっと高い声)」
「よく来たな、もやし食べるか?(ちょっと低い声)」
1人3役をこなして、ファシェンはよし、と意気込んだ。
リハーサルは完璧だ。手鏡を出してさっと身なりを整えてから、ファシェンは目的地である、ダンジョンのとある部屋に入った。
「やっ、やあ。ひさしぶりだなリンゼ」
「ファシェンさん、目を閉じて!」
「ひいあお」
本番は失敗した。
接近してきた男性の手にいきなり視界を塞がれたのだ。
何も見えない。手のひらの温もりをダイレクトに感じてファシェンは固まった。どどどど、と心臓が鳴る。牛の大行進かと思うほどに。
なすすべもないファシェンは、そのままくるりと反転させられた。
「俺がいいって言うまで向こう向いててくれ」
そうして男性が離れていく。ばさばさと布をはためかせる音がした。
「いいよ」と言われて、ファシェンはぎこちない動きで振り向いた。
そこには彼女が会いにきた男、育田 豆太郎が立っていた。
どこにでもいそうな平々凡々なこの男。
だがしかし、魔人のダンジョンに住みつき、もやしという野菜を栽培して料理を作って生活をしているという、驚くべき胆力の持ち主だ。
そして――、ファシェンが尊敬し、気になっている男性でもある。
ファシェンは高鳴る心臓を抑えて深呼吸。
落ち着いて、さっきのリハーサルを思い出せ。
「や、やあ。マメタロー。もやしを食べるか?」
さっきの衝撃で、若干セリフが混ざった。
「い、いや、違う、間違えた。ええと、それはどうしたんだ?」
ファシェンは地面を指さした。豆太郎のすぐ傍には布で覆われたカゴが1つ。
おそらくそれが、今ファシェンから隠した「何か」だろう。
豆太郎は眉を少し下げて答えた。
「魔除けのケープが入っているんだ」
「ああ、なるほど」
それで隠してくれたのか、とファシェンは合点がいった。
この世界には魔物と呼ばれる生き物がたくさんいる。四つ脚の炎の化身、動く鎧、空を飛ぶ龍。見た目も生き方も多種多様だ。
ひとたび彼らのテリトリーに入れば、たちまち人間は襲われてしまうだろう。だから魔除けのアイテムは必需品だ。
魔除けは戦闘経験の無い旅人や商人はもちろん、余計な戦闘を回避するために冒険者からも重宝されている。
アイテムの形状は様々だ。お香、柵、結界、身に着けるアクセサリーや、編んで作られたケープ等。
「そういえば、今ソイビンの街に有名な織物職人が来ていたな」
「ああ、そうそう。その人とたくさん取引をしたらしくて、レグーミネロが記念で1枚くれたんだよ。山登りするときに使うといいってさ」
レグーミネロというのは、とある商人の妻だ。ひょんなことから豆太郎と知り合いになり、以来、様々な品物をダンジョン住まいの豆太郎に提供してくれている。
さて、なぜ豆太郎は、ファシェンに魔除けを見せないように隠したのか。
それはファシェンに魔物の血が流れているからだ。
彼女の先祖には、なんと魔物と添い遂げた者たちがいる。それ以来ファシェンの家では、隔世遺伝で魔物に変身してしまう子どもが生まれるようになってしまったのだ。
ファシェンは変身すると、大きな鳥の魔物になってしまう。
人と魔物、その境界にいる自分。かつては自分の存在に悩んでいたファシェンだったが、豆太郎のおかげで自分を受け入れられるようになった。
それ以来、豆太郎に惹かれているのだが、いかんせん当の本人がさっぱり気づいていない。
「ここは魔物がいるからな。見えないように、カゴに隠してるんだ」
「ああ、そういえば、私たちの後ろにも魔物がいたな……」
ファシェンは半眼で、豆太郎の背後に視線を向ける。
彼の後ろには、べえべえと鳴くヤギと、ひょこひょこと歩く鶏がいる。
ヤギは「ビッグホーン」と呼ばれる恐ろしい炎の魔物で、鶏は「ビックピーク」という魔物だ。一応魔物である、一応。
豆太郎を襲ったのも今は昔。現在は彼にヤギミルクと卵を提供し、彼の栄養バランスを良くするのに貢献している。
(にしても、私に魔除けを見せないように、急いで目隠ししてくれたんだな)
優しい。ファシェンはきゅんとしてしまった。
「ししょー、ごみ捨ててきたよ。あれ、ファシェン。遊びに来たの?」
入り口の方から青い髪の女性がとことこと歩いてきた。
彼女はリンゼ。かつてファシェンと共に冒険をした水の勇者だ。若いころから修羅場をくぐり抜けてきたせいか、16歳なのにずいぶんと落ち着いている。
今では紆余曲折あって、豆太郎の弟子をやっている。「なんの弟子?」と聞かれたら「もやし」という訳の分からない答えが返ってくるのだが。
「ああ、リンゼ。ちょうど近くまで来たから。もやし料理も食べたかったし」
ファシェンの言葉に、豆太郎が額を押さえた。
「あちゃー。ついさっきまでとんぺい焼きがあったんだが、全部リンゼの腹の中にいっちゃったんだよな」
「3皿完食です」
リンゼが無表情のままびしっとVサインした。
さすが、食べ盛りの16 歳だ。
「ちょっと待ってろ。もやしナムルでも作るから、ヤギミルクでも飲んで待っててくれよ」
「い、いや気にするな。私はマメタローと話せればそれで」
言ってしまってから、ファシェンははっと自分の口を塞いだ。
手で隠しきれていない耳が少し赤くなっている。
もちろん鈍い豆太郎はまったく気が付いていない。
が、リンゼは「ぴーん」ときた。「ぴーん」なんてもんじゃない。「ぴぴぴぴーん!」だ。
(ま、まさかファシェン……! ししょーのことを!?)
大富豪に高級料理のフルコースを誘われてもどこ吹く風だったファシェンが。
あの、ファシェンが。
こうしてはいられない。
リンゼは恋のキューピッドになるべく立ち上がった。
「ししょー! 私は酒場の肉盛り盛りステーキを食べたくてたまらなくなったので、出かけてくる」
「さっき3皿もやし食べたのに!?」
「ふっ、さっきのは前座だ! あばよ!」
言うが早いか、あっという間に姿が見えなくなってしまったリンゼ。
ファシェンは呆気に取られてその背中を見送った。
しばらくして、はっと我に帰る。
(た、大変だ、2人きりになってしまった)
特に意味もなく髪をかきあげ、豆太郎の方をチラッと見る。
美女と2人きりになった豆太郎は──、めちゃくちゃ深刻な顔をしていた。
「……も、もやしが前座……だと……!?」
ピシャアアン、と豆太郎の心で雷が鳴る。
残念ながら、リンゼの気遣いはあまり役に立ちそうになかった。
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