32.
ソーハのダンジョン、地下3階。
あれからどのくらい経過しただろうか。
ソーハは額の汗を拭った。同時に左手をはらい、自分に飛んできた黒い水を打ち砕く。
加えて、弱ったリンゼがソーハの魔力の影響を受けないよう、加護を強化する。やることが、やることが多い。
ソーハは時間の感覚がつかめなくなっているが、すでに1時間が経過していた。
そしてその1時間。リンゼもまた、自分を苛むものと戦い続けていた。
「おい! しっかりしろ!」
「す……すまない」
ソーハの声に、気絶しかけていたリンゼが必死に身を起こした。
彼女の中に眠っていた水の魔物。表層には出てきたが、それはまだリンゼとつながっている。
魔物の魔力、攻撃を受けた時の衝撃、おそらくそれらはすべてリンゼと共有されているのだ。
彼女にじわじわとふりかかる責苦は相当なものだろう。だが、意識を手放させるわけにはいかない。
「しっかりしろ! なにか別のことでも考えて意識をまぎらわせろ!」
「他のこと……」
リンゼはぼーっとしたままうわごとのように繰り返した。
まずい、思っている以上に限界が来ている。
ソーハは焦りながら声を上げた。
「う、うまいもののこととか!」
「……たとえば」
「あ!? え、えーと、もやしの肉巻きとか、もやしのナポリタンとかもやしの……」
最近食べた「美味しかったもの」を挙げていたソーハが途中で沈黙した。
「……もやし、好きなんだね」
「だーっ! ちがうっ!!」
豆太郎のもやしは、確実にソーハの嗜好を乗っ取っていた。
□■□■□■
ソーハのダンジョン、地下2階。
ファシェンは地面に皆を降ろすと、羽根を散らしながらもとの美しい人の姿に戻った。
一同の間に沈黙が落ちる。
ファシェンは身を固くした。覚悟はしていたものの、やはりいざ説明しようとすると緊張する。
「……あ、あのな。さっきの姿は」
「ファシェン」
ザオボーネが彼女の言葉を遮り、続けた。
「さっきの鳥の姿について、帰ったら詳しく教えてもらうぞ」
彼はにかっと笑った。
皆を安心させる、大黒柱の笑顔だ。
「なにせ俺はパーティーのリーダーだからな。仲間の戦法は知っておかないと、な?」
ファシェンは目を丸くした。
エルプセも後ろでうんうんと頷いている。
「……ああ」
きっと仲間たちは、自分のこの姿を受け入れてくれる。
分かっていたくせに、本当にすんなりと受け入れられると泣きそうになってしまう。
もう1人の反応はどうだろうか、とファシェンはどきどきしながら豆太郎の方を見る。
豆太郎は――、青い顔をして口元を押さえていた。
ファシェンがさっと青ざめた。豆太郎にとっては受け入れがたいものだったのだろうか。
「あ、あの、マメタロー……」
豆太郎は答えず、よろよろと壁に体を預けた。
そして死にそうな声でこう絞り出した。
「……酔った……」
乗り物酔いだった。
「あーあー、ほら、マメタローさん、水、水」
介護要員エルプセが、水を補給しながら背中をさすってやる。
絶叫マシンにも負けないファシェンの急降下・急旋回・超加速は、鍛えていないおっさんにはきつかった。
完全に乗り物酔いした豆太郎は、血の気のない顔で撃沈していた。
「大丈夫っすか? いったん吐く?」
「だ、いじょうぶ……」
「エルプセ。酔い止め持ってるからこれ飲ませろ」
「加護も少し強化しておきます」
3人にてきぱきと介護される豆太郎の様子をぽかんと見ていたファシェンだったが、慌てて膝を折って豆太郎に視線を合わせた。
「す、すまない、マメタロー。お前の負担も考えずに」
「いや、助かったよ、ファシェンさん。あの綺麗な鳥、あんただったんだなあ」
「……きれい?」
人間の姿のときは何度も繰り返し言われてきた言葉。
だが豆太郎が今言ったのは、魔物の姿に対してだ。
「ああ、綺麗だった」
「……! あ、ありがとう……」
ファシェンはおろおろとうろたえ、消え入りそうな声でお礼をいった。
うつむいた美女の耳は真っ赤に染まっていた。
「はっはっは。マメタロー。お前、ここを出たら俺と組手な」
「あ、俺も参加します。ボコボコにします」
「いや、なんで!?」
□■□■□■
酔い止めの薬が効いたのか、豆太郎はわりとすぐに復帰した。
一行は地下3階目指して再びダンジョンを走っていた。
「ここを降りれば、ソーハのところだな」
地下3階はさっきのギミックダンジョンとは違い、いたって普通の洞窟仕様だった。
「マメタローさん、酔いは?」
「そっちは大丈夫だ。けど、なんか体が重い」
「地下に降りてきた影響ですね。魔力の濃度がかなり高くなっていますから」
朝から晩まで歩き続けた後、椅子に腰掛けた時にやってくる、どっとした重み。
そんな疲労感が、豆太郎の全身にのしかかっていた。
正直、豆太郎は歩くのもややキツくなってきていた。気持ち的には、山登り五合目。
他の面々はさすが冒険者なだけあって、まだまだ平気そうだ。
「少し休むか?」
豆太郎の様子を見かねたファシェンが、ハンカチを渡して声をかけた。
豆太郎はそれで額の汗を拭って、無理やり笑う。
「なに、若いものには負けないよ」
本音を言えば休みたい。だが子どものソーハが踏ん張っているのだ。
おっさんがここで踏ん張らないで、どうする。
そんな思いを胸に豆太郎は進む。
ソーハの元へ、少しでも早く。




