30.
豆太郎の初ダンジョン探索が始まったちょうどその頃。
ダンジョンの外。
「……エルプセさんたち、出てきませんねえ」
「中で戦っているのかもしれないな。入ろうなんて考えるなよ」
ベンネルが再度釘を刺した。レグーミネロはしぶしぶ頷くと、ハンカチを取り出して地面に置きその上に座る。ベンネルはちらりと背後の森に視線を送る。
2人の外出、という体にしているが、使用人たちには護衛として後をつけさせている。
大商人であるベンネルは、顔も広いし、それなりに恨みも買っている。無防備に街をうろついたりしたら、スリ・カツアゲ・誘拐が3点セットで襲ってくることもある。そのため基本的には護衛をつけて出歩くようにしているのだ。
ちなみに、ちょくちょく家を抜け出しているレグーミネロにも、当然護衛が付いている。
なのでこの森の中に2人でいても、魔物に襲われる心配はほとんどない。
(だが、ダンジョンで何か起きている可能性があるんだ。万が一に備えて、レグーミネロを連れて帰るか)
レグーミネロは豆太郎を心配して動かないかもしれない。使用人たちに引きずって帰らせよう。
そう考えて、ベンネルは使用人たちに手で合図を送る。
『レグーミネロ 連れて帰る 協力しろ』と。
「あっ、見てください、旦那様」
レグーミネロが服のすそを引っ張ってきた。
彼女の指さす方向に視線を向ける。木の枝にリスが2匹並んでいた。
特に希少価値はない、どこにでもいるリスである。
片方が短い手をひょこひょこ揺らしながら「ぴっぴっ」と短く鳴いていた。
「かわいいですね」
「別に、ただの求愛行動だろ」
「そうなんですか? 旦那様、よく知ってらっしゃいますね」
「昔、客との世間話のために覚えた」
そんなことよりも、ここから移動だ。
そう考えていたベンネルを見て、レグーミネロが小さく笑う。
「なんだ」
「いえ、旦那様がまじめにリスの生態を勉強していた姿を想像するとちょっとおもしろくて」
ツボに入ったのか、レグーミネロはずっと笑っている。
10代女性の感性はよく分からない。
「ね、旦那様。他にももっと教えてくださいな。たとえば、ほら。求愛されたリスさんも鳴き始めましたよ。あれはどういう返事なんですか?」
立ち上がったレグーミネロが、上目遣いでベンネルを見つめる。
こもれびに照らされたブラウンの瞳がきらきらとしていて、ベンネルはどきりとした。
(いや、何を考えている俺。そんなことはどうでもいい俺。使用人たちは何をしている。さっさと――)
ベンネルが振り返ると、使用人は茂みに隠れながら身振り手振りでサインを送ってきた。
『いい雰囲気なので 続行です』と。
「お前ふざけんなよ!?」
「えっ、リスの恋愛って厳しい……」
思わず叫んだベンネルの言葉で、レグーミネロに間違った生物の知識が埋め込まれたのだった。
□■□■□■
ソーハのダンジョン、1階。
金色の糸を頼りに、豆太郎達はダンジョンを走り抜ける。
ダンジョンといえば、待ち受ける罠、襲いくる魔物、その先に待つ宝箱。
なので気合を入れて走っているのだが、今のところまったくそういう気配がない。
せいぜいビッグピークの群れに遭遇したくらいだ。
彼らは「こけっ」と鳴いたきり何もしてこないので、豆太郎達も普通に横を通り過ぎた。
「相変わらず魔物がいないダンジョンっすね」
「ソーハ様は必要最低限の魔物しか置いていないんです」
「このままなら、何もせずに地下に降りられるんじゃないか?」
RPGで言うなれば、もはやダンジョンというより街中の建物だ。
だが、流石にそう簡単にはいかないらしい。
「いいえ。階ごとに門番くらいは置いています。彼らをどうにかしなければ、先には進めませんよ。──ほら」
言葉と共に見えた姿に、豆太郎は慌てて急ブレーキをかけた。
遠くからでも確認できる大きな影。
影のような真っ黒い体毛に覆われた巨犬。ビッグボーンよりはるかに大きい。
その背後に、わずかだが下へと続く階段が見える。
おそらくあれが門番なのだろう。
「ダークドッグ。闇を糧とし、暗がりで巨大化する魔物です」
すごい迫力だ。だが、1つ気になることがある。
ザオボーネは首を傾げた。
「なんであいつ、あんなにゴテゴテしてるんだ?」
とげとげした首輪、ぎらぎら光る耳輪、金の刺繍がほどこされたド派手なケープコートまでつけている。
レンティルがちょっと気まずそうに回答した。
「ええと……、カッコいいものをたくさんつけてよりカッコよくしようとした結果ですね……」
それを聞いたエルプセが、思わずぽろりとこぼす。
「なんか小さい男の子みたいな発想っすね」
豆太郎、レンティル、ついでにソーハの正体におおよその察しがついているザオボーネも沈黙した。
「ご、ごほん。そんなことより、あれをどうにかする方法を考えないとな」
「ご心配なく。ダークドッグは私がなんとかしましょう」
前に歩み出たのはレンティルだ。
彼女は紫の髪をなびかせて、腰元の鞭を取り出した。
それが風を切って地面を打つと、彼女の背後が歪み、黒い穴がうがたれる。
「私の召喚術で呼び出すことができるのは、ありとあらゆる四つ脚の魔物」
豆太郎はごくりと唾を飲み込み、そしてその時を待った。
あの巨大なダークドッグに対抗しうる魔物を呼び出す、衝撃的な瞬間を。
彼女がもう一度鞭を振り抜くと、穴の中から1匹の獣が現れる!
それは優雅に──、とても華麗に地面に着地した。
しなやかな毛並みのしっぽを揺らし、しゃなりしゃなりと歩く四つ脚の銀狼。
とても美しい。だが、なんと言えばいいのか──、正直、とてもダークドッグに勝てそうには見えない。
だがレンティルは、ためらくことなく鞭をひと鳴らし。
「お行きなさい」
主の無情な命令に、美しき狼がダークドッグの前に姿をさらす。
豆太郎たちが、狼がひと飲みにされるイメージを思い浮かべたそのときだ。
「!!?」
ダークドッグが飛び上がった。その衝撃で地面がドシンと揺れる。
美しい狼は怯えることもなく、しゃなりとその場で一回転。
ダークドッグは黒く燃えさかる目を精いっぱい見開き、それを見つめている。
それはまるで、恋する瞳。
レンティルが得意げに髪をかき上げた。
「そう……、相手の好みの魔物を召喚するのもお手のものです!」
(お見合いの仲人さんだ……!)
豆太郎は心の中で叫んだ。口に出す勇気はなかった。
だが効果はバツグンだ。ダークドッグは完全に銀狼に夢中になっている。ステータス魅了状態。
もはや豆太郎ご一行は、完全にアウトオブ眼中だ。
レンティルがぱぱんと手を叩く。
「さあさ! あとは若い2匹に任せて先に進みますよ!」
(お見合いの仲人さんだ……!)
お見合いの定番のセリフと共に、外野は速やかに退散し、地下へと続く階段を降りたのだった。
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さて、その頃の地下3階。
ソーハは「ぴーん!」と降ってきた予感に、はっと顔を上げた。
「俺のダンジョンが……、なんか頭の悪い方法で突破された気がする……!」




