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26

 人間と魔人。

 3人の間に、重たい沈黙が落ちた。


「…………」

「ソーハさ……」


 呼びかけたレンティルは思わず口を閉じた。

 いつも感情を豊かに表現するソーハの顔から、すべての感情がそぎ落とされていた。


(ものすごく怒っていらっしゃる)


 レンティルはそっと口を閉じて控える。


「…………」


 ソーハの頭の中で、誰かの声がする。

 それはそこで寝こけている男の声だった。


『俺を召喚してくれて、ありがとう』


「…………」


 ソーハはずんずんとリンゼに近づいていった。そして彼女の腕を掴んで思いきり睨みつけた。


「ふざけんなよ、お前」


 彼女が、ソーハの言葉の意味を理解するより早く。

 ソーハとリンゼの姿がふっとかき消えた。



 □■□■□■


 ソーハのダンジョン、入口付近。


「あれ、エルプセさん」

「あ、レグーミネロさん……」


 レグーミネロがベンネルを引っ張ってダンジョンに行くと、そこには先客がいた。

 ザオボーネ、ファシェン、エルプセの勇者ご一行だ。やけにどんよりしている。


「こんにちは。皆さま。今日はリンゼさんは一緒じゃないんですね」

「……ああ、まあ……、そうっすね」


 エルプセが暗い顔で視線を逸らした。

 実のところ、そのリンゼの手掛かりを探しに、3人はこのダンジョンへやってきたのだ。


 突然のパーティー脱退宣言。

 事情を聞こうと3人がリンゼを問いただしたが、彼女は「明日話す」と言ってその場を去り、そのまま行方をくらませたのだ。

 3人はあちこち探した。リンゼがよく行くお店、街はずれの泉、孤児院。

 しかしどこにも彼女はいなかった。あとの手掛かりはせいぜい、最近リンゼが夢中になって食べていた「もやし」くらいだった。

 なので、わずかな希望をかけて、もやしを育てている豆太郎の元へとやってきたのだ。


 暗い雰囲気の3人を見て「これは触れてはいけない話題だったのかな」とレグーミネロはちょっと焦った。


(なんだか深刻そうな雰囲気だし、今日は私たちは帰ったほうがいいかしら)


「急用を思い出した」とでも言って帰ろう。レグーミネロが口を開いたとき、ファシェンがはっとした様子でダンジョンの入り口を見つめ、走り出した。


「ファシェン!?」

「姐さん!?」

「えっえっ」

「おい馬鹿、着いていくな、危ないだろう!」


 弾かれたように走り出したファシェンのあとを追う勇者2人。

 反射的にレグーミネロは後を追おうとして、ベンネルに止められた。


「どうした、ファシェン!?」

「中で何か起きている!」


 ファシェンがそう言ったのには根拠がある。

 ファシェンは、常人には感じ取れない魔人の気配を感じ取れるのだ。

 それが今この瞬間、ダンジョンの外にいても感知できるほどに膨れ上がった。


(中で一体何が起きている、マメタロー!?)


 ダンジョンに住む男の安否を心配しながら、ファシェンは走り続けた。



 □■□■□■



 数週間前。

 とある孤児院での炊き出しにて。


 リンゼはスプーンを持ったまま固まっていた。

 スプーンを凝視する。そこにのっていた「もやし」という食べ物を口にした瞬間、自分の中の魔物が確かに弱体化するのを感じたのだ。


(この食べ物は一体……!?)


 動揺するリンゼに、給仕をしていた男が声をかけた。


「どうした? えーと、リンゼ?」


 リンゼははっと顔を上げた。

 彼は確かマメタローと呼ばれていた。

 事情はよく知らないが、エルプセが立ち直るきっかけとなった人だ。


「え、えと。もやしが思っていた以上に美味しかったので、驚いた」


 そう言うと、豆太郎は笑った。

 心の底から嬉しそうに。


「そっか。じゃあ、もっともっと食べろ」


 その笑顔を見て、リンゼは初めてザオボーネに会ったときを思い出した。

 お腹を空かせたリンゼにたくさんご飯を食べさせて、彼は「もっと食べて大きくなれよ」と笑った。


 リンゼの住んでいた村では、そんなことは言われたことがなかった。

 誰もが自分の食い扶持を守るのに必死で、隙があれば誰かの食べ物を奪おうと必死だった。


 なぜこのおじさんたちは、他人が食べるとこんなに嬉しそうにするのだろう。

 彼らの腹が満たされるわけでもないというのに。


 リンゼのその疑問は、ずっとずっと解けないままだった。



 □■□■□■



「ぐっ!」


 思いきり身体を地面に打ち付けて、リンゼは(うめ)いた。

 真っ暗な天井。日の光を一切通さない壁。


(ここは、先ほどのダンジョンの下層?)


 ダンジョンの下層に行くほど魔人の魔力濃度は高くなる。

 それに比例して、人間の身体への負荷も増大する。

 リンゼは慌てて加護の魔法を唱えようとしたが、思ったほど身体に負担がないことに気が付いた。


(誰かがすでに私に加護をつけている?)


「体に問題はないだろう。なにせ、俺の加護がついているからな」


 ぼっと明かりが灯り、声の主が闇の中から姿を現した。

 彼の紫色の目は、静かな怒りに揺れていた。


(この子は、どうしてこんなに怒ってるんだろう)


 水源を勝手に利用しようとしたから?

 魔物を殺そうとしているから?


 そのとき、リンゼは豆太郎を庇うように立っていたソーハの姿を思い出した。

 それに孤児院で見た豆太郎の笑顔が重なって、リンゼはようやく理解した。


(……ああ、そうか)


 豆太郎は、ザオボーネみたいな人だ。

 誰かが美味しそうに食べる顔を嬉しいと思える、優しい人。

 自分のことばかり考えていたリンゼは、気づこうともしなかった。


 リンゼがいなくなれば、誰かが気づくかもしれない。

 彼女に水の魔物が巣食っていたこと、ダンジョンの水を飲んで自死したこと。

 きっかけが、孤児院でもやしを食べたこと。

 もし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と知ったら、豆太郎はどう思うだろう。


「最低だねえ、私」


 彼女にとって、魔人は魔物の延長線上にいる生き物だ。

 だけどあの魔人の行動は、自分よりよほど人間らしかった。


 ソーハは、大事な人が傷つくのを見たくなかったから怒ったのだ。


 ソーハがゆっくりと近づいてくる。

 暗がりの中、無表情で近づいてくる彼の姿だけがはっきりと見えて、死神のようだった。

 自分は今から殺されるのだろうか。水ではなく、ソーハ自身の手で。


(せめて魔物ごと私を殺してくれればいいが、それは無理だろうか)


 抵抗も懇願も、今の彼女には許されない。 

 目の前にいるのは、ダンジョンの主なのだから。

 リンゼは諦め顔で笑った。


「ごめんね」


 勝手にいなくなってごめんなさい。

 利用しようとしてごめんなさい。

 傷つけて、黙っていてごめんなさい。


 後悔しても遅いけれど。

 たくさんの人と、目の前の魔人へ。短い謝罪の言葉を。


 そうしてリンゼは覚悟を決めて目を閉じた。

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