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16.もやしの9割は水分です

 ファシェン。

 誰もが忘れられなくなる美しい美貌を持った風の勇者。

 敵を倒していく様は一陣の風のごとく。弱い者を守るその姿は戦女神のごとく。

 そんな誰もが憧れる女勇者は、今1つのダンジョンに挑戦しようとしていた。

 

 「…………」


 ファシェンは真剣な面持ちでダンジョンを見つめた。やおら手鏡を取り出し身だしなみをチェックする。

 髪型よし、化粧よし。服装は冒険者らしくカジュアルに。装飾品で女性らしい華やかさをプラス。


「……よおしっ」


 気合を入れたファシェンは1歩踏み出した。

 目指すはダンジョンの奥、豆太郎の住処である。

 そう、彼女は本日難関なミッションに挑もうとしていた。

 初恋の相手に会いに行くという、超難関に。



 □■□■□■



「ちょっと太めの君が好き〜、ハイッ、落花生もやし〜。スリムな君も魅力的〜、ヘイッ、ソバもやし〜」


 適当な鼻歌を歌いながら、今日も今日とてもやしの栽培。

 人生を謳歌する豆太郎(32)の耳に、足音が聞こえてきた。

 おそらくこのダンジョンの主、ソーハだろう。


「よう。ソー……?」


 振り返った豆太郎は、見知らぬ人物に首を傾げた。

 そこにいたのはソーハではなかった。メガネの似合うとても理知的な女性だ。

 さらりとなびく長い髪は、高貴さを感じさせる紫。それは魔人の証でもあった。


(魔人、だよな。てことはソーハの……)


 2人目の魔人の登場に驚く豆太郎を見つめ、レンティルは穏やかに微笑んだ。


「初めまして、マメタロウ様。私、ソーハ様に仕えております、レンティルと申します」


 以後お見知りおきを、と、レンティルは優雅に一礼してみせたのだった。



 □■□■□■



 豆太郎から恒例のヤギミルクを差し出され、レンティルは一口飲んだ。


「あら、美味しい。ふふ、ソーハ様がいつも飲んでらっしゃるのは、こういう味なんですね」

「あいつ結構好きですよねー、これ」


 彼女と向かい合って座り、自分もヤギミルクを飲んだ。


「仕えてるっておっしゃってましたけど、ソーハってもしかしてお坊ちゃんなんですか」

「ええ、魔人の中では、かなり高位の方ですよ」

「なるほど」


 だからあんなに偉そうなんだな、と豆太郎は1人納得した。口には出さなかったが、レンティルにはバレていた。


「いつもソーハ様と遊んでくださり、ありがとうございます」

「いやいや、俺はなんにも。あの、勝手にもやし食べさせてたんですけど、夜ご飯食べられなくなってたりしませんか」

「ええ、大丈夫ですよ」


 豆太郎は胸を撫で下ろした。

 ソーハの知り合いと聞いた瞬間、てっきりその件で苦情を言われると思ったのだ。


(異世界だから気にしてなかったけど、冷静に考えたら、人の家のお子さんに勝手におやつとか食べさせたら怒られるよな。今度から気を付けよう)


 エルプセが知ったら「マメタローさんが気を付けるべきことはもっと他にあります」とつっこんだだろう。


「さて。本日はマメタロウさまにお願いがあってまいりました」


 レンティルがそっと豆太郎の隣に座った。麗しい美人がいきなり横に座ったので、豆太郎は動揺した。


「な、なんでしょうか」


 レンティルは至近距離で豆太郎をじっと見上げた。吸い込まれそうな紫色の瞳に、緊張した豆太郎は何度も瞬きを繰り返した。

 レンティルは唇を小さく開いて言葉を紡ぐ。


「私にもやし料理を教えていただけませんか」

「……はい?」



 □■□■□■



「もやし料理……、ですか?」

「ええ」


 復唱した豆太郎に、レンティルは大きく頷いた。


「豆太郎さんの料理はとてもバリエーション豊かだとソーハ様から聞いております」

「そ、そうですか?」


 美女から褒められて悪い気はしない。豆太郎は照れたように頬をかいた。


「ええ。本当に。……ソーハ様もとても気に入ってらっしゃるご様子」


 レンティルの声が若干低くなった。


「先日、晩ご飯はなにがいいですかとお尋ねしたら、『もや』と言いかけて、慌てて『レンティルの得意な火吹き花の(いた)めものが食べたいぞ』とおっしゃったんです。ああ、なんてお優しいソーハ様。私のような下々のもののプライドまでおもんぱかってくださるなんて」


 にっこりと笑って豆太郎に問いかける。


「ところでマメタロウさま。『もや』です。『もや』。ソーハ様はなんと言いかけたんでしょう。ねえ、マメタロウさま」


 だらだらと汗を流した豆太郎は、レンティルの笑顔から視線をそらした。


「……も、も、もやもやした気分を吹き飛ばすパンチの効いた料理が食べたいぜ! とかですかね」

「まあ、おもしろい、おほほ」


 レンティルは能面のような笑顔を貼り付け、口元に手を当て笑う。


(誰か助けてください)


 育田 豆太郎、異世界転移して初めて心から助けを求めた瞬間だった。


「……まあ、今のはほんの冗談として。私ももやし料理を作ってみたいと思ったんですよ」


 レンティルは一旦豆太郎から離れて、ヤギミルクをこくりと飲んだ。

 絶対冗談じゃなかった、と思ったが豆太郎は黙っていた。


「それはいいですけど……、じゃ、今からします?」

「まあ、嬉しい。ありがとうございます」


 豆太郎は話題が逸れたことに心底ほっとして、今手元にある材料からレシピを思案する。


「そうだなあ、じゃあ、もやしと川魚のつつみ焼きなんてどうっすか。ボリュームあるから、子どもに人気ですよ」

「ああ、知っています。この前ソーハ様が、ずっとそれの話をしていましたから……、おほほ」

(助けて)


 豆太郎32歳。

 異世界に来て初めて魔人の怖さを体験している。


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