9.
ソイビンの街で、最近人々の間をかけめぐる、奇妙なうわさ。
「なあ。もやしって知ってるか」
「ああ。なんでも不治の病が治る魔法の食材だろ」
「貴族が血まなこになって探しているらしいぜ」
そのうわさは、あらゆる場所を駆け巡る。
あるときは酒場の酒の肴として。
あるときは一攫千金を狙う悪人のたまり場で。
「なんでもこの近くのダンジョンにあるってうわさだ」
「だけど、あそこはメメヤード家が買い取ったんだろ」
「なに、夜中にこっそり入っちまえばバレねえよ」
「もし調査員の人間がいたらどうする?」
「そうだなぁ……。死人に口なしって言うよな」
もやしのうわさはふくれあがる。
人々の欲望を巻き込んで。
まっ黒い感情も巻き込んで。
□■□■□■
数日後。
レグーミネロはベッドの上でため息をついた。
もやしの売買の段取りは、順調に整いつつある。
明々後日にはヨランド子爵と会う約束も取り付けた。正確には、夫であるベンネルがヨランド子爵とお茶会をするのだ。もちろんお茶会は名目で、今話題のもやしの商談が目的である。
もやしは今「あらゆる病に効く万能薬」とまで噂されている。ちょっと盛られすぎた気はするが、それはそれ。
ヨランド子爵は食通で、食べ物にお金を惜しまない。
気前もいいので、あとから噂に尾ひれがついていたと知っても、笑って済ませてくれるだろう。
だけどレグーミネロの胸には夫の言葉がずっと引っかかっている。
客の希望を叶えているのか、という言葉が。
そのときだった。
「奥さま、大変です」
ドアをノックしたのは1人の使用人だ。うわさを流したり、市場の情勢を探るのに協力してくれている女性だった。
「どうしたの」
こんな時間に来るとは穏やかではない。
レグーミネロは寝巻きの上にガウンを羽織り、扉を開けた。
いつも落ち着いた使用人は、珍しく額に汗しながら早口で喋る。
「ご無礼をお許しください。実は、例のダンジョンをならず者たちが襲撃しようとしているようです」
「……え?」
ひゅ、と短く息を呑む。
頭の中が真っ白になり、全身の血の気が引いた。
「気づくのが遅くなって申し訳ありません。今すぐ傭兵たちを動かしますので」
すぐ近くにいる使用人の声が、とても遠くで聞こえる。
どうしてならず者たちが? と自問自答する。
答えはすぐに出た。彼らはもやしを貴重な金もうけの道具と判断した。他人のダンジョンに入り込むという危険をおかしてでも、手に入れる価値があると考えたのだ。
──自分が増長させたうわさのせいで。
既にファシェンの影響でうわさはふくれあがっていたし、レグーミネロがうわさを広めたかに関わらず、同じようなことは起こっていたかもしれない。
だが、それに気づくことすらできなかったという事実が、レグーミネロを責め立てる。
「マメのおじさまが……っ!」
「奥さま!?」
レグーミネロはいてもたってもいられず駆け出した。
だが、ドアから現れたベンネルに腕を掴んで止められてしまう。
「馬鹿者。お前が行ったところでなにができる」
「でも……!」
「おい、警備兵もいくらか貸してやる。行け」
使用人は、お辞儀をして足早に去っていく。
ベンネルはレグーミネロの腕を引っ張り、自室に放り込んだ。
扉を閉めながら、有無を言わせぬ口調で言い放つ。
「頭を冷やせ。そうしてよく考えろ。お前にこれからなにができるのか」
容赦ない言葉と共に、扉が閉まる。
レグーミネロは何も言い返せなかった。
へたり込み、拳を強く強く握りしめる。
自分の失態に打ちのめされながら、祈るように声を絞り出した。
「無事でいて、マメのおじさま……!」
□■□■□■
同時刻。
ダンジョン近くの森の中を、20人近い男たちが歩いていく。
全員ぶっそうな武器を手に持ち、それに見合う凶悪な面構えをしていた。
「こんなにたくさんで動いたら、メメヤード家に勘づかれないか?」
「はっ、お貴族さまのお抱えの調査団ごときに負けるかよ」
「とるものとったら、とっととズラかろうぜ」
男たちの目に、小さなダンジョンが見えてきた。
我先にとダンジョンへ走り出す男たち。だが、その足が少し手前で止まる。
洞窟の入り口に誰か座り込んでいるのだ。
男たちは各々武器を構えながら、座り込んだ何者かに慎重に近づいていく。
入口の前に座っていたのは、腰に広身の剣をぶら下げた冒険者の男。
調査団の人間には見えない。おそらく自分たちと同じようにもやしを狙う一味か。
ああして入口に座り込んでいるということは、見張りをやらされているのだろうか。
だがこの人数を見れば、尻尾を巻いて逃げ出すだろう。男たちはにやついて、座り込んだ冒険者に声をかける。
「よう。俺たちその後ろの洞窟に用があるんだよ。そこをどいてくれねえか」
見張らしき男は、自分に問いかける男たちを見上げた。
そうして大きく伸びをする。
「ああ。やっと来たっすね」
男たちは眉をひそめた。まるで自分たちを待っていたかのような口ぶりだ。
「俺も昔はバカやってたんで、あんたらみたいなのがうわさを聞けば、どう動くか想像できるって話っす」
よっこいしょと青年が立ち上がる。
長い一つ結びの髪が背中で揺れた。
「? いいからさっさとそこおごぁっ」
そこをどけ、と言おうとした男の言葉が途切れた。
一瞬のうちに間合いに入り込んだ青年、もといエルプセが、相手の顎にアッパーを叩き込んだのだ。
男はぐるりと白目をむき、地面にひっくり返る。
「て、てめえ、何者だ!」
「調査員に雇われた傭兵か!? 貴族の犬が、なめやがって」
男たちが殺気立つ。
それをものともせずに、エルプセはぐるりと周囲を見回した。
(さて。リーダー格の男は潰した、と)
これがただの喧嘩なら、リーダーを潰されることで戦意を失い逃げ出す者も多い。
が、彼らは金目当てのチンピラだ。
全員逃げることなく、殺気をただよわせながらずらりと武器を手に取った。
(あー。誰が脱落しても、分け前が増えたとしか思わないパターンっすね、これは)
エルプセは深々とため息をついた。
これがザオボーネくらい迫力のある人物なら、敵わないと悟って逃げ出したかもしれない。いいなあ、威厳。欲しいなあ。
勇者という肩書きがあっても、自分はまだまだなんだなぁとこういう時に思い知らされる。
「かかれえ!」
誰かの怒鳴り声を合図に、男たちが一斉にエルプセに飛びかかった。
エルプセは地面を蹴りあげた。木の幹に一瞬だけ着地して、そのまま幹を足場に飛ぶ。その勢いでごろつきを1人を蹴り飛ばし、その後ろにいたごろつきも巻き込んで地面に押し倒した。
「うらあっ!」
その背中に棍棒が振り下ろされる。
エルプセは振り向きざまに剣を抜き、棍棒の柄を両断した。
棍棒の柄だけを持った男が、反動でたたらを踏む。そのみぞおちを蹴り飛ばして地面に転がした。
エルプセの強さを理解した男たちが、いったん距離を取る。
剣で肩をとんとんと叩きながら、エルプセは言った。
「んじゃ、まあ。洞窟に入りたい人は、俺を倒してからどーぞ」




