5.
「うおっ!」
どん、と小さな揺れが起きて、豆太郎は慌てた。危うく手に持っていたもやし栽培キットを落とすところだった。
「はあ~、危ない、危ない。地震か?」
その揺れは自然現象によるものではなく、レンティルとファシェンという美女2人が激闘を繰り広げている音だった。
そんなこととはつゆ知らず、豆太郎はもやし栽培キットの水替えを続ける。
定番の緑豆の他に、4種類ほど新たな豆が増えている。
レグーミネロやエルプセから色々な豆をもらって、こつこつ新たなもやしを作っていたのだ。
今1番の注目株は「落花生もやし」だ。
正確に言えば「落花生みたいな異世界の豆からできたもやし」だが。
この種は、実が木になるのではなく、花が地中に潜って実をつける。その生態は、まさしく落花生だ。なので豆太郎は勝手に落花生と呼んでいる。
本日はその落花生もやしの収穫日。
まっすぐに伸びている緑豆や黒豆と異なり、落花生もやしはくるくるとうずを巻きながら育っていた。
「さーて、収穫、収穫。落花生もやしといえば、やっぱり『あれ』だよな!!」
何も知らない男豆太郎(32)は、らんらんと鼻歌を歌いながら落花生もやしの収穫を始めたのだった。
□■□■□■
ファシェンは限られた空間の中、最小限の動きで4頭の獣の攻撃を躱していく。
「しっ!」
獣たちの隙間を縫って放たれた鎖。その狙いは彼らを統率するレンティルだ。
獣たちが飛んでいく鎖に飛びつく。軌道が逸れた鎖は、レンティルのすぐそばの地面をえぐった。
(小競り合いでは埒があかないな)
ファシェンは大きく息を吸い、唇から言の葉を紡ぐ。
「あまねく大地にそよぐ祝福よ」
ダンジョンの中に風が生まれ、ファシェンの体を包み込んだ。
レンティルが獣たちを呼び寄せ警戒する。
「ある時は神の嘆き、ある時は幸運の手。我は敬意を持ってその名を──ッ!?」
だが、呪文の詠唱は途中で止まってしまう。
彼女は片手で顔を押さえて身体を曲げた。
(くそっ、なぜだ、いつもはもっと早く予兆があるのに!)
レンティルは彼女の姿を見て目を丸くした。そして納得したようにうなずいた。
「ああ、なるほど。魔人を感知するなんて変わった能力だと思っていましたが。混ざってるんですね、あなた」
「……くっ!」
ファシェンは鎖を自分の手元に戻し、再度振りかぶる。だが、動揺した攻撃は相手に簡単に避けられてしまう。
「多分ダンジョンの主の魔力に反応しているんでしょう。あまり激しく動かれないほうがよろしいかと。……中身が出てしまいますよ?」
レンティルの言葉に応えるように、彼女の体が脈打った。
顔からぶわりと生えたのは──羽。それはまたたくまにファシェンの全身をおおいつくしていく。
「────ッ!」
ファシェンは飛びすさり、風をまとって逃げていく。
レンティルは魔物たちと共に後を追った。
出口に向かうと思ったファシェンだが、一瞬迷ったあと別の通路へ向かって逃げていった。
あの姿でダンジョンの外に出るのをためらったのだろう。
そしてレンティルも彼女を追うのをやめた。
彼女が向かった別の通路の行先は、とある男の根城に通じているからだ。
ファシェンをみすみす逃すつもりはない。
けれど、彼女の進んだ先には、予想もつかない方向に物事を動かすびっくり箱のような男がいる。
(少し様子を見ましょうか)
もしかしたらまたあの男が、もやしと共にこの事態を変えてくれるのではないか。
そんな期待を胸にして。
□■□■□■
ダダダダ、と慌ただしい足音が聞こえてきた。
ソーハだろうか。それにしては激しい気もする。
落花生もやしを塩ゆでしていた豆太郎は、火を消してテーブルにそれを置いてから、通路の方を見つめる。
突然、通路からなにかが飛んできた。
空を飛ぶその姿を、ぽかんと口を開けて見上げる。
『……!? 人……っ』
しゃべったかと思うと、それは豆太郎の上に落下してきた。
「うわっ……!」
のしかかられ、思い切り体を地面に打ちつけた。相手の動きが止まって、ようやくその生き物の姿を認識する。
翡翠色の羽に覆われた、美しく巨大な鳥だった。
首は鶴のように長く、尾はコスタリカのように長い。その美しさに、思わず豆太郎は見惚れてしまう。だが翡翠の鳥は、はっとしたように自分を翼で覆い隠した。
『──見るな!』
豆太郎の上から飛びすさると、鳥は隅っこにうずくまって動かなくなる。
対抗心か、はたまた同族へのあいさつか、鶏が「コケッコケッ」と騒がしく鳴いた。
『見るな……、見ないでくれ』
「…………」
豆太郎は身を起こした。それからあちこちうろうろと視線をさまよわせて、自分が寝るときに使っている毛布をつかんだ。
そろそろと鳥に近づくと、そっと毛布をかけてやる。
鳥がぴくりと反応した。長い首をそろそろと動かし、自分にかけられた毛布を見る。
豆太郎は自分の目を手で覆い隠した。
「あ、あー。安心しろ、見えてないから。毛布使っていいぞ。ちょっと加齢臭がするかもしれんが、勘弁してくれ」
『…………』
大きな鳥は、視線を毛布から豆太郎に移した。
『大丈夫だ。今は嗅覚があまりないから、気にならない』
(くさそうとは思ってるのかな……)
そうして大きな鳥は、加齢臭の疑いがある毛布を頭に被ったまま、そっと羽をたたんだのだった。




