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(ジェドって……すごいよね……)


 柔らかに差し込む光に目を覚ましたリリスは、誰もいない隣を見てぼんやりと考えた。

 光の加減から、まだ朝も早い時間だとわかる。

 昨夜は一昨夜ほど遅くはなかったが、それでもジェスアルドが寝室にやって来たのは日付が変わろうとする少し前だった。

 それなのにおそらくジェスアルドはもう仕事に取りかかっているのだろう。


(うーん……体力の違いかなあ……。やっぱり私ももっと鍛えたほうがいいのかも)


 誘拐された時にも思ったが、護身術くらいは身に付けようと考える。

 体力も向上し、いざという時には少しくらい助けになるかもしれない。

 まずは縄抜けから試してみようと決意して、リリスはあくびした。

 どうにもまだ眠い。

 いつもならまだ寝ている時間のせいか、リリスは再び眠りに落ちていった。


 そして次に目が覚めた時には、身動きの取れない状態になっていた。

 真っ暗な中でとても狭い。

 一瞬、前回の誘拐のことを思い出してパニックに陥りかけたが、すぐにこれは夢だと気付いた。


 たまにあるのだ。

 ふわふわと好きな場所に行ける夢と違って、身動きが取れずによくわからない状態になってしまう夢。

 現実と夢との狭間のようなもので、こういう時はおとなしくして、本物の深い眠りに落ちるか、目が覚めるのを待つしかない。


 ちょっと退屈だがじっとしていると、ぼそぼそと人の話し声が聞こえてきた。

 こういう時の会話は知らない言語だったり、理解できないことが多いので、リリスは特に注意していなかった。

 そこに『コリーナ妃』と聞こえ、はっとする。

 声は低く遠くて、上手く聞き取れない。

 それでも必死にリリスは耳を傾けた。


『……で、どうするつもりなんだ?』

『まさか子を孕むとは……。あれほどに――を遠ざけていたのに、誤算だ――な』

『何を――に悩むのかわからないな。殺せばいい――か』

『赤子をか?』

『いや、――だよ。そう――ば子も消える。簡単なことだ』


 ところどころ聞き取れなかったが、内容はしっかりとわかってしまった。

 リリスは悲鳴を上げそうになったが、体を動かすこともできず、喉も動かないので呼吸さえままならない。

 なぜ自分が今、生きていられるのか不思議なくらいだった。


『だが、皇太子妃を――なれば、簡単には――だろう』

『心配するな。方法は――』


 リリスはとても苦しかった。

 それでもせめて、誰が話しているのかだけでも知ることができれば――。

 しかし、声はくぐもっていてよく聞き取れない上に、小さな箱に閉じ込められたような状態のリリスには、相手を見ることもできなかった。


 悔しい。苦しい。悲しい。

 ジェスアルドをあれほどに苦しめ、悲しませた犯人がすぐそこにいるのに、知ることができない。

 動くことはできず、息もできないのに、なぜか涙は流れている。


 そこでようやく目が覚め、まるで溺れていたかのようにリリスはもがいて起き上がった。

 とにかく苦しくて、はあはあと浅く息する自分を落ち着かせようと、リリスは意識して深呼吸を繰り返した。


 やはりコリーナ妃は殺されたのだ。

 必死に考えても、聞こえた声に心当たりはなく、誰かはわからない。――そもそも、あの声はくぐもっていて本当の声ではないのだろう。

 今夜、ジェスアルドに現実夢のことは打ち明けるつもりだったが、とてもではないが、このことは言えそうにない。

 どうすればいいかわからず、リリスは顔を覆って俯き、そこにテーナがそっと扉を開けてやってきた。


「まあ、リリス様……。まさか悪い夢をご覧になったのですか?」

「……うん。最悪の夢。でも、私にはもうどうすることもできないの……」


 リリスは悲しい夢を見ると、いつも自分のことのように嘆く。

 そんなリリスをテーナは愛おしそうに見つめ、その背を撫でた。


「リリス様はいつも私を――私たちを幸せにしてくださいます。そして、私たちにつらいことがあると、一緒に悲しんでくださいます。それだけで私は悲しい気持ちが軽くなるのです。今こうして私が生きていられるのも、リリス様のおかげですわ」

「……それは大げさよ」

「あら、そうでしょうか? 私がリリス様のお世話を任された頃、私は自分の苦しみに囚われていました。ですが、リリス様は落ち込んでいた私を元気づけようとなさってくださり、一緒に空を飛ぼうと誘ってくださいましたよね? 『空を飛べる夢を見たから、きっと現実よ』とおっしゃって……。窓から飛び出そうとなさった時には心臓が止まるかと思いました。また、『世の中にはバブルバスなるものがあるのよ』と、湯船に洗濯用石鹼をいくつもお入れになって、固まった石鹸で排水が大変なことになったりと……。毎日が忙しすぎて、自分の苦しみにかまけている暇もありませんでしたから」

「テーナ、それはやっぱり大げさすぎない? 私、毎日なんて――」

「毎日です」

「はい」


 テーナの苦情だか思い出話だかに抗議しかけたリリスは、きっぱり断言されて素直に認めた。

 この慰めは微妙だが、気持ちはかなり軽くなっている。


「ありがとう、テーナ。今晩のこともあって、少し神経質になっていたみたいね」

「いいえ、お礼を言われるようなことではありませんわ。それよりも、あまり考えすぎないほうがよろしいですよ。リリス様は昔から、考えすぎると熱が出てしまうのですから」

「もう! それは小さい頃の話よ! 最近は熱もあまり出ないんだから!」


 幼いリリスには余る内容の夢を見た時など、よく熱を出して寝込んだのだ。

 それが病弱との噂に信憑性を持たせたのだが、さすがに知識をかなり得た今では熱を出すこともない。

 わざとらしく怒って、リリスはベッドから起き出した。


「おはようございます、リリス様」

「おはよう、レセ。といっても、もうお昼も近いみたいね」


 洗面具を持ってきてくれたレセに挨拶を返しながら、テーナがカーテンを開けた窓の外を見れば、すっかり太陽は高く昇っている。


「今日もお茶のお誘いや面会の申し込みが入っておりますが、いかがなさいますか?」

「うーん。やっぱり今日もやめておくわ。できれば夜に備えて無駄な体力は使いたくないし……。って、殿下との食事のことよ? 今夜、打ち明けるつもりなんだから!」

「私もレセも何も言っておりませんが?」

「ええ? なんだかテーナから冷たい視線を感じた気がする……」

「リリス様、それは濡れ衣です。私もさすがに傷つきました」

「ごめんって!」


 胸を押さえて顔を伏せるテーナに向かって、リリスは笑いながら謝った。

 テーナもレセも笑っている。

 それから遅めの朝食をとると、リリスはのんびりしながらじっくりと考えた。


 今まで、自分に関する夢を見たことはほとんどなかった。

 だからこそ、リリス誘拐に関する相談をしていたサウルたちの夢を見た時にはかなり驚いたのだ。


(でもひょっとして……)


 結局は誘拐されてしまったが、警告には十分になった。

 フォンタエ王が誰かにフロイトへ侵攻する計画を話していた夢も、リリスに対しての警告だろう。

 さらに考えれば、先にアルノーとダリアの密会現場を見てしまってはいたが、その後に見た二人の夢の翌日に、父王から再びアルノーとの婚約を打診されたのだ。


(あれもある意味、警告だったのだとしたら……)


 今朝の夢も、ただ過去を見せただけではなく警告なのかもしれない。

 もちろんジェスアルドの――エアーラス帝国皇太子の妃がどういう立場かはわかっていたつもりだった。

 しかし、まだまだ甘かったらしい。


 リリスは浴室へと続く扉をちらりと見た。

 おそらく、あそこでコリーナ妃は亡くなったのだ。

 あの夢では二人に気を取られてばかりで、あまり覚えていないが、内装は変わっていたと思う。


(ああ、どうしよう。今さら気付くなんて……)


 深いため息を吐いて、リリスは立ち上がると、窓辺へと近づいた。

 眼下に広がる小さな中庭には色とりどりの花が咲き誇っているが、それを愛でる者は少ない。

 この中庭は四方を建物に囲まれており、リリスがいる皇族専用の棟以外の建物は中庭側には窓がないのだ。

 唯一の出入り口には厳重な警備がなされて決まった庭師しか入れず、庭の中の目立たない場所には数人の警備兵がいる。

 ここは今から十数年前に建てられたらしいが、それでも安全ではなかったようだ。


(本当は、コリーナ妃のことも言うべきなのかもしれないけど……。ううん、近いうちにきっとジェドから話してくれる……よね?)


 もやもやした気持ちを抱えたまま、いよいよ夕刻になり、リリスはジェスアルドとの食事のために身支度を整えた。

 いつもよりリリスがおとなしいのは、秘密を打ち明ける緊張からだろうと考えているのか、テーナもレセも明るく振る舞って笑わせてくれる。

 リリスは二人に感謝しながら笑顔で応え、ジェスアルドの訪れを待ったのだった。




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