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 リリスが馬車から降りた時、ジェスアルドが傍にいなかったことにはがっかりしてしまった。

 村の人々の歓迎に手を振って応えながらも、リリスはその視線だけでジェスアルドを捜す。

 だがジェスアルドは村長らしき人物と話をしており、邪魔をしてはダメだと判断して妃殿下らしくその場で振る舞っていた。


 その日から二日後の夜。

 リリスは与えられた部屋で食事をとりながら、小さく呟いた。


「殿下が足りない……」


 当然、その言葉を向かいに座っていた人物は聞き逃さなかった。

 一人で食事をするのもつまらないからと、同席を許されたフレドリックだ。


「おや、私が先ほど確かめさせていただいた時には、間違いなくお一人いらっしゃいましたが……。ひょっとしてこの国にはまだ他にも殿下がいらっしゃるのですか?」

「いないわよ! ま、まあ、この先、びっくりするくらいに大勢の殿下を産んでみせるけどね!」

「ほお、それはそれは頼もしいですな。それが先ほどのお言葉の理由ですかな?」


 わかっていて意地悪な問いをしてくるフレドリックを睨みつけ、リリスはパンを口に入れて答えることを拒否した。

 トイセンの街を出発するまではあんなに優しかったのに、今のジェスアルドはなぜかリリスを避けている。

 そして夜も一人寝が続いているのだ。


「ふふふ。だけど、私はこんなことでくじけたりはしないわ。なぜなら、こんなこと何度も経験済みだから!」


 パンを飲み下したリリスは、うっかり本音を漏らしていた。

 しかし、フレドリックは面白いので今度は口を挟まず黙っている。


「最初は旅も始まったばかりで、賊を警戒しているのかな? 疲れているのかな? って思っていたけど、それならそれで別に添い寝でいいのよ。疲れているところを襲ったりなんてしないんだから。ちょっとした触れ合いや心のこもった会話でいいのに。これじゃ、最初の旅と一緒じゃない。でも今日は逃がさないんだから。ふふふ」


 今日の宿は運のいいことに、ジェスアルドの寝室と扉一つで続いているのだ。

 ジェスアルドと結婚してからのリリスの信条は『押し倒されないなら、押し倒せばいいじゃない』である。

 そんなリリスの怪しげな笑いを聞いて、食後のお茶を淹れていたテーナは動きを止め、控えの間で湯浴みの準備をしていたレセは気合を入れなければと決意していた。


「テーナ、私は食後のお茶は遠慮させてもらうぞ。リリス様はこの後もお忙しいようだからな」


 そう言ってフレドリックは立ち上がると、リリスに向かってにやりと笑った。


「私の生きているうちに大勢の殿下にお会いしたいものですなあ」

「あら、もちろんよ。だから、フウ先生もしっかり長生きしてくれないと困るわ」


 負けじと言い返したリリスに、フレドリックは声を出して笑い、お休みの挨拶をして去っていった。

 リリスはテーナの淹れてくれたお茶を早々に飲み干すと、勢いよく立ち上がる。


「今日はいつも以上に綺麗にしてね!」

「かしこまりました」


 皇太子の態度の急変に同じように戸惑っていたテーナも、今回ばかりは返事に力が入っていた。

 初めの頃ならリリスを止めたかもしれないが、今はそんな気にもなれない。

 むしろテーナ自身が皇太子に詰め寄りたいくらいだった。


 自分の大切な主人であるリリスを、何度も何度も期待させてはつき放す。

 もちろんわざとやっているとは思っていないが、どんな過去があろうともリリスを振り回すことは許せない。


 リリスはいつも元気いっぱいで気丈に振る舞ってはいるが、気付かれていないと思っている時には、深いため息を吐いたり、ぼんやり遠くを見ている。

 それは、アルノーの時よりもひどい。

 あの時はいったいどうしたのかと原因がわからず、ただ見守るしかなかったテーナだったが、のちにアルノーとダリア王女との婚約が正式に発表されてようやく理解した。

 リリスはおそらく二人のことを夢で知ってしまったのだろう。

 正式に決まったわけではないといえ、リリス様という存在がいながら何をしているのだと、テーナはアルノーに対して殺意に近い怒りが湧いたものだった。


 だからまた、リリスを期待させておきながら、今のような振舞いをする皇太子が腹立たしかった。

 本音を言えば、テーナも不安なのだ。

 皇宮に帰ってから実行されるだろうリリスから聞かされた作戦も、今現在の二人の仲だと上手くいくとは思えない。

 あの日聞いた作戦内容は、リリスらしいと言えばらしいのだが、正直なところ無茶苦茶である。


 どうかこの先、リリス様がまた傷つくことがありませんようにとの願いを込めて、テーナはレセとともに、リリスの寝支度を整えた。

 そして、レセとともに頭を下げて挨拶をすると、静かに寝室を下がったのだった。


「……さてと、殿下はもう寝室にいらっしゃるかしら?」


 二人が下がったあと、リリスは自分のベッドに入ることなく、寝室奥にあるドアをじっと見つめながら呟いた。

 気配に敏いジェスアルドのことだから、ドアに耳をつければ気付かれてしまう。

 それではすぐにドアを開けられて、何か理由をつけて追い返されてしまっては元も子もない。

 だから作戦はこうだ。


 一応はノックをするが返事を待たずにドアを開ける。

 もしジェスアルドがいれば、有無を言わせず部屋に押し入る。

 誰もいなかった場合は、ベッドに潜り込む。

 従僕か誰かがいた場合は、すぐさま下がらせてベッドに潜り込む。


「うん、完璧だわ!」


 リリスは自分の作戦に満足すると、さっそく実行に移した。

 ノックを左手でしながら、右手でドアを開ける。

 すると残念なことに、ジェスアルドはいなかった。――従僕も。

 だがこれもちゃんと予想通りである。

 背の高いベッドに踏み台を使ってよいしょと上ると、上掛けをはねのけてリリスは横になった。

 ちゃっかり真ん中に。

 それから上掛けを戻すと、どきどきする心臓を落ち着かせるためにも深呼吸を繰り返す。


 そこでふと気づいた。

 気配に敏いジェスアルドのことだから、寝室に誰かいると――この場合リリス以外に考えられないが、そうなるとこの部屋に来ないのではないかと。

 やはりベッドで待つより、隣の部屋に押しかけて強引に寝室に連れ込んだほうがいいのかもしれない。

 その方が確実ではないかと考え、そしてまた気付いた。


(ちょっと待って。私って一応元王女よね? 今は皇太子妃よね? いったい私は何をしているんだろう……)


 今さらな、本当に今さらなことに気付いたリリスは、なんだか自分が情けなくなってきた。

 間違ってもコリーナ妃はこんなことはしなかったはずだ。

 それがいけないのだろうか。

 リリスが積極的になればなるほど、ジェスアルドはコリーナ妃との違いにがっかりしてしまっているのかもしれない。

 夢で見た限りではあるが……噂でも少し聞いたが、コリーナ妃は今にも消えてしまいそうなほどに儚げで、深層の令嬢というよりも妖精のお姫様のような女性だった。

 リリスも噂でだけは負けていないが、現実はジェスアルドもよく知っている。


(……なんだか、虚しくなってきた。やっぱり戻ろうかな……)


 ジェスアルドの居間へと続くドアを見つめ、自分の寝室へのドアを見たリリスは、のそのそとベッドから起き上がった。

 そして踏み台に乗ったままベッドを整えると、自分の寝室側のドアを開けて部屋へと戻る。

 そのままドアに背を預けて深くため息を吐いた。

 きっと今ベッドに入っても考えて眠れないだろうと、リリスはカーテンを開けて月を探す。

 しかし、月はみつからずこの時間はもう山の向こうに隠れてしまったのかとがっかりして、またため息を吐いた。


(皇宮に帰ったら、どうしようかな……?)


 このままだと〝ジェスアルドに好きになってもらう作戦〟の変更もしなければならない。

 そもそも必要を感じない。

 なぜかいつもの元気が湧いてこず、リリスは途方に暮れた。


「――リリス」


 そこに予想外の声がかかり、リリスはびくりとして急ぎ振り向いた。

 思わず信じられなくて、目を瞠る。

 ひょっとしたら月明かりのない夜が見せている幻なのかもしれない。

 瞬時にそう思ったリリスは、幻が消えてしまわないようにそっとその名を呼んだ。


「ジェド……?」




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