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やがて唇を離したリリスは照れくさそうに笑ってジェスアルドの肩に顔をうずめた。
「私もずっと会いたかったんです。ずっとずっと。だから、正直に白状するなら、焼き物が上手く出来上がった時、これでジェドに会えるって、胸を張ってジェドの許に帰ることができるって思ったんです」
そこでリリスは一度大きく息を吐いた。
後悔しても仕方ないとはわかっているのに、どうしても考えてしまう。
「でもそのせいで気持ちが急いてしまって、油断してしまって――」
「何を言ってるんだ。今回のことはリリスのせいではない。油断も何も……いや、リリスから誘拐計画に関する手紙が届いた時、すぐに私が対策を取るべきだったんだ。誰かのせいだというなら私だろう。それなのに男爵を連れて帝都に戻るとの使者からの報告もあり、聴取や何だと引き止められて、当初の予定よりもトイセンに――リリスの許へ戻るのが遅れてしまった。もし、あと数刻でも遅れていたらと思うと……」
ジェスアルドは声を詰まらせ、リリスを強く抱きしめた。
その息苦しさをリリスは心地良く感じながら、同じように抱きしめる。
だがジェスアルドは自分の力の強さに気付いたのか、すぐに腕をゆるめた。
「……船員さんのジェドもとてもかっこよかったです。でも、どうして先回りできたんですか?」
「ああ、それは、ハンスのお陰だな。私は当初、あいつらがあの四つ辻で南東に進んで船で逃げるつもりなのだと思った。だが、北西に伸びる道に何本もの不自然に切り落とされた枝が突き刺さっていて、よく見れば真珠まで落ちていた。それは、リリスの機転らしいな」
「え? あ、でも、それくらいしかできなくて……ハンスが気付いてくれたから……」
「いや、恐ろしかっただろうに、よくやってくれた」
まるで子供にするように、ジェスアルドはリリスの頭を撫でた。
怒るべきなのかもしれないが、嬉しくて照れくさくて、リリスは顔を伏せる。
「念のために他の道にも兵を派遣はしたが、私たちは確信を持って急ぎコーナツの街へと向かった。しかし、大人数で押しかければ、やつらに知れてしまう。そこで一度足を止め、先に偵察を出そうとしたところに子供が二人現れ、ハンスからの伝言だと――街の入り口の手前には見張りがいると伝えてくれたんだ」
「そうだったんですね……」
「追手がかかることをわかっていながら、わざわざ宿に泊まるなど、考えられることは一つしかない。プレイコ河の港から船に乗って逃げるつもりだろうと、地理に明るいトイセンの警備兵を先に港へ遣いにやったんだ。そこにも見張りがいても困るからな。なるべく目立たないよう、港の責任者を訪ねれば、やはり荷船に乗せて欲しいとの依頼があると。本来なら夕刻に出航する予定だったが、トラブルが発生したために明朝早くになったのだと情報を得て戻ってきた。――まあ、できれば夜でも出してほしいと相手は粘ったらしいが、プレイコ河を夜に下るなど無謀だからな」
ジェスアルドの説明を聞いて、リリスはようやく全てがわかってほっとした。
焼き物に夢中になって帰りが遅くならなければ、それこそコーナツの街に泊まることもなく、その日のうちに船に乗って連れ去られていたのだ。
しかも、陽が沈んだ森を進むことを嫌ってトイセンから伸びる街道に追手が回ったのなら、あの四つ辻に当たるにはかなりの遠回りになる。
単純な者ならば、わざわざ北上して四つ辻に向かうよりも、何頭もの馬が急ぎ駆けた形跡がある南東へ向かう道をそのまま進んだろう。
もしジェスアルドがいなければ、こんなに素早く解決できなかったかもしれないと思うと、今さらながら怖くなった。
「問題は、リリスがやつらの手の内にいることだった。リリスを盾に取られては、私たちには手出しができないからな」
「はい……」
それはリリスも考えていたことだった。
縄抜けだけでなく、護身術もやはり習っておけば、いざという時に味方の役に立つくらいはできただろう。
「だからリリスがやつらの手を離れる瞬間を狙うしかなかった。それで渡し板を通常より細いものに変えてもらったんだ」
「ああ、それで! どうりで狭いと思いました。でも、船員さんたちは慣れているから平気なのかと……」
あの時の自棄になった自分を思い出して、リリスの声は次第にしぼんでいった。
もし本当に河に落ちていたなら、どうなっていたのだろうと思うと恐怖がこみ上げてくる。
そんなリリスの心情を察したのか、抱きしめるジェスアルドの腕が強くなった。
「あの時は、心臓が止まるかと思った。両腕を縛られた状態で河に飛び込もうなど、無謀にもほどがある」
「……ごめんなさい」
余裕があるように見せていたジェスアルドだったが、内心では吐き気がするほどだった。
もし自分がいなかったら、本当にリリスは河に落ちていたかもしれないのだ。
敵と相対するときに弱みを見せるわけにはいかない。
だから平静を装ってはいたが、自分の腕からリリスを離すことなどできず、背に庇うこともせずに剣で立ち回る間も、振り回して無理をさせてしまった。
そのせいでリリスは倒れたのだろうと、眠り続けるリリスを前にして、どれほどに後悔したか。
「謝る必要はない。リリスは今、生きてここにいる。それだけでいいんだ」
ジェスアルドの言葉は心から絞り出しているようで、リリスは嬉しいながらも、少しだけ寂しかった。
こんな時にコリーナ妃に嫉妬している場合ではないのだ。
「私はここにいます。ジェドの傍に。絶対にいなくなったりなんてしません」
「……リリス?」
リリスの言葉を聞いて、ジェスアルドはかすかに戸惑ったようだった。
それでもリリスは、今はまだ話すべきではないと判断して、ただ笑った。
今回の騒動が落ち着いたら、全てを打ち明けよう。
そう決意して、リリスは再びジェスアルドを強引に押し倒した。
「リリス!?」
「ジェドの傍にいるって決めたんです! ですから、今夜はもう離さないんですから!」
「いや、だが――」
「一緒にいてくれるだけでいいんです。何もしませんから。ね?」
「……」
色々と突っ込みたいことはあったが、ジェスアルドは何も言わなかった。
離れがたいのは――傍にいたいのは同じなのだ。
ジェスアルドはため息を呑み込むと、器用に上掛けを引き上げた。
途端にリリスの顔が嬉しそうにほころぶ。
この笑顔を見ることができたのだからそれでいい。
そう思ったジェスアルドだったが、リリスは安心したのかすぐに穏やかな寝息を立て始めた。
「……生殺しは私のほうだろ」
翌朝、ほとんど眠れなかったジェスアルドに対して、リリスは元気いっぱいだった。
そして、目覚めてからのリリスの言動に、ジェスアルドは驚くことになったのだった。




