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「それじゃあ、私たちは一度帝都に戻ることになるから、あとはお願いね? また必ず殿下と様子を見にくるわ」

「もちろんっす」

「あの、随時報告はしますんで、妃殿下はどうかお体を大事にして、無理をなさらないでくだせえ」

「……ありがとう、エドガー。大丈夫よ。ハンスも頼んだわね」


 そう言って、別れの挨拶を二人にすると、リリスはフレドリックに向き直った。


「フウ先生、出発は明後日だから、遅くても明日の夜には宿に戻ってきてね」

「はいはい、わかっておりますよ」


 帝都に帰る前に、もっとじっくり窯を見ておきたいと言うフレドリックを残して、リリスはレセとともに馬車に乗り込み、その場を後にした。

 初めて作ったにしては、出来は申し分なく、リリスの心は達成感でいっぱいだった。

 ただ少々夢中になりすぎて、帰りが遅くなってしまったのは失敗である。

 この分だと、宿に着く頃にはすっかり日も暮れているだろう。

 山の向こうに隠れてしまった太陽が残した弱々しい光を頼って、馬車は悪道を進んでいた。


「明日は、帝都に帰る準備に忙しくなるわね」

「さようでございますね。リリス様はおそらく街の人たちから、出発を惜しまれて大変なことになるのではないでしょうか」

「そんなことは……あるかも……」


 久しぶりに外に出ただけで、あの熱狂的な見送りだったことを思い出したリリスは、否定しかけたものの頷いた。

 トイセンの街での滞在は楽しかっただけに、出発には寂しさもある。

 だがまた訪れる機会はあるのだ。

 そう思うと、リリスの心はジェスアルドへと飛んだ。


「だけど、やっぱり帝都に帰りたい——っ! 何かしら?」


 突然、馬車が大きく揺れ、スピードを上げた。

 それどころか、護衛騎士たちの怒声が聞こえる。


「リリス様、座席の下で姿勢を低くなさって——」


 レセがいつもにはない強引さでリリスを座席から引きおろし、扉側へと前に進み出ながら言いかけた言葉は、勢いよく止まった車体のせいで途切れてしまった。

 それでもレセはすぐに体勢を立て直し、背中でリリスを庇い扉を睨みつける。

 車外では剣を交える甲高い金属音が響き、目にするまでもなく、一行が襲われていることは明らかだった。


 そしていきなり扉が開かれ、レセは相手を確かめもせず、いつの間にか握っていたナイフを突き出した。

 許可も得ずに扉を開けるなど、無法者であることは間違いなく、ナイフをかわした相手はレセの腕を掴んで乱暴に引き下ろす。


「レセ!」


 踏み台もなく地面に転がり落ちたレセを目にして、リリスは思わず悲鳴じみた声を上げた。

 出入り口を塞ぐほどに大きく鎧を纏った男は、のっそりと車内を覗き込み、その太い腕をリリスへと伸ばした。

 そこへ、護衛騎士の一人が男に体当たりして倒し、叫ぶ。


「——お逃げください!」


 再び伸ばされた腕は騎士のもので、リリスはその手を取ろうとした。——が、騎士は起き上がった男に切りつけられてしまった。

 護衛騎士から飛び散る血を見て、込み上げてくる悲鳴を必死に飲み込む。


(騒いではダメ。とにかく、逃げないと!)


 どうやって逃げればいいのかはわからない。

 ただ自分が狙われていることだけは確かで、レセも騎士も自分を守るために傷ついているのだ。

 そう考えてすぐに、リリスは騎士にまだ気を取られている男の隙をついて、車外に飛び出した。

 踏み台のない馬車はとても高く、足が痺れる。

 それでも無我夢中で走りだしたリリスだったが、すぐに捕まってしまった。

 リリスにはもうなすすべもなく、荷物のように抱えられて馬へと乗せられる。

 パニックに陥ったリリスは、レセや騎士たちがどうなったかも確認できないままだった。


 それからしばらくは馬に激しく揺られ、強く押さえつけられているせいで、込み上げてくる吐き気を抑えるだけで精いっぱいだった。

 しかし、徐々に冷静になってきたリリスは周囲を観察した。

 この無法者集団は恐ろしく統率が取れている。

 人数はざっと見ただけでも十数人はおり、念のために増員していた護衛騎士たち七人を急襲で圧倒したのも当然だった。


 これは間違いなく計画的であり、首謀者はおそらくサウルだろう。

 宿を発ったとの報告から十日以上も経っていたため、リリスはすっかり油断していた。

 その間、サウルは再びリリスが窯へと出かけるのをじっと待ち続け、周到に準備していたのだ。

 そのような中で非力なリリスが逃げ出すことは不可能だった。


 しかし、フレドリックが噂通りのか弱い娘だと伝えてくれているのだから、きっと相手もいつかは油断するはずだ。

 それまではおとなしくしていればいい。

 人質としての価値が高いリリスを、手荒に扱うはずはないのだから。——今現在、かなり酷いが。


 集団は宵闇に包まれた森の中を、馬で難なく走らせている。

 やはり何度も下見をしたのだろう。

 リリスが暴れないと察したのか、拘束するように強く体に回されていた腕の力が弛んだ。

 ほっと息を吐いたリリスは、もっと真剣に現状を考え始めた。


 暗闇を背に、わずかな光に向かっているということは、森をこのまま抜けて、南に向かう街道に出るはずだ。

 頭の中でトイセン周辺の地図を思い浮かべる。

 街道のどの辺りに出るのかはわからないが、その頃にはすっかり暗闇に包まれ、こんなに怪しい集団でも人目につかないだろう。


 フォンタエに連れられるにしても、このままの状態ではないはずだ。

 どこかで馬車に乗り換えさせられるだろうし、何日もの旅になるだろうから、逃亡の機会は必ずある。


(それまでにも、みんなは追ってきてくれるはずだから、何か目印を残していけたら……)


 そう考えたものの、目印を残しても気付かれなければ意味はない。

 いったい何を、と悩んでいるうちに馬は速度を落とし、やがて止まった。

 どうやら森を抜ける手前らしい。


 リリスは抱え下ろされる間も、恐ろしさのあまり声も出せない、といった態度で怯えてみせた。

 男はずっと黙ったままだったが、それでもリリスの扱いは丁寧になっている。


 おとなしく運ばれていたリリスは、いきなり視界が開け、何度か瞬いた。

 すっかり日は暮れてしまったが、満月に近い月のお陰で森よりも街道は明るい。

 そして、目の前の街道が四つ辻になっていることに、リリスは気落ちした。

 これでは、どの道に進んだのか追跡の者は悩むだろう。


 だが、フレドリックならこれがフォンタエの仕業だとわかるだろうから、進む道は二本。——南東か南西か。

 急ぎフォンタエ王国に向かうのなら南東の道だろうが、予想は外れ、北西に伸びる道に馬車が止まっていた。

 しかし、よく見れば車輪に不具合でもあるのか、御者らしき人物が左後方の車輪の側に屈みこんでいる。

 その脇には馬車の護衛らしき人物が二人立っていた。


 どうやら、立ち往生してしまっただけの旅人らしい。

 リリスが大声を出せば、異変を知らせることはできるだろうが、彼らを巻き込むことはできない。

 そう判断したリリスは口を閉じていたのに、御者は立ち上がって振り向くとにっこり笑った。


「ああ、遅かったな。このまま俺はここで一夜を明かすのかと思ったぞ」


 御者の言葉を聞いて、リリスはショックを受けた。

 ただの旅人だと思っていたのに、仲間だったのだ。

 その事実に、今さらながら体中が震えだしたリリスを、男はさらに丁寧に抱え、御者が開けた扉へと向かった。

 まさか北西に進むなんて、追手は気づかないかもしれない。

 リリスは胸のあたりを両手でぎゅっと握り込み、震える息を吐きながら手を開いて力を抜き、されるがまま馬車へと乗せられたのだった。




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