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「あの、殿下……」
ジェスアルドの執務室でいつもの業務をこなしていると、側近のフリオが声をかけてきた。
長年にわたって仕えているからか、ジェスアルドがひと段落ついたところだと察したらしい。
「何だ?」
「それが、その……お耳にお入れするべきかどうか、悩んだのですが……」
「だから何だ?」
珍しくはっきりしないフリオに、ジェスアルドは眉を寄せた。
その顔だけで他の者なら怯えて声をかけたことを後悔するだろうが、フリオはジェスアルドがただ単純に疑問に思っているだけだとわかっている。
そもそも言い出したのは自分なのだからと覚悟を決めて、フリオは続けた。
「実は今、皇宮内で賭けが行われているのをご存じかと思いまして……」
「賭け? たまに何かで行われているのは知っているが、今回の対象は何だ?」
誰が元締めなのかは知らないが、皇宮内に仕える者たちの間で、たまに賭けが行われていることは、ジェスアルドも知っていた。
参加できるのは従僕やメイド、行政官までで、大臣や長官、爵位を持った者などは参加できない。——というより、秘密裏に行われている——ことになっている。
なぜなら、賭けの対象者が彼ら貴族階級の者であるからだ。
しかし、名前を変えて参加している大臣などもいるらしい。
「……殿下と妃殿下です」
「内容は?」
「あの絵葉書にあるように、妃殿下は本当に殿下のことを慕っていらっしゃるのか……本当にお二人の仲は良いのかと。仲が良いのなら妃殿下が頬を染められることから〝バラ〟。そうでないのなら、妃殿下は俯いてしまわれるということで〝ユリ〟と、花に例えて賭けが行われております」
「……その内容だと、結果はどう判断するんだ?」
「それは、妃殿下がお戻りになった時に、お出迎えになった殿下とどのようなやり取りをされるかで判断されるようです」
ジェスアルドの純粋な疑問を聞いて、どうやら怒ってはいないらしいとわかり、フリオはほっとして答えた。
だが、ジェスアルドは顔をしかめる。
「それだと、私が出迎えないと判断できないではないか」
「え? お出迎えなさらないんですか?」
「……」
フリオはジェスアルドの言葉に焦った。
本当に想い合う夫婦ならば、久しぶりの再会を少しでも早く果たしたいのではないかと思っていたのだ。
もちろん元締めは、ジェスアルドが多忙であることから、他にも判断材料を設けてはいるが、それでは最近皇宮内に流れる〝実は妃殿下の片想い説〟が有力化してしまう。
フリオとしては、がっかり感が半端なかった。
「それで、お前はどちらにいくら賭けたんだ?」
「へい!? わ、私ですか!?」
消沈していたフリオは、突然予想外の質問を投げかけられて焦ってしまった。
返事もかなり怪しい。
それでもどうにか息を整えて答える。
「いえ、私は……関係者ですから、参加できませんでして……。いえ、そもそも私はそのような――」
「建前はいいから、正直に教えろ」
ジェスアルドの側近であるフリオと従僕のデニスは、今回参加できないことになっている。
さらにはリリスのメイドたちもできないのだが、今はトイセンにいるので関係ない。
しかし、そこは偽名を使ったり、友人を使ったりして参加する者も多いことを、ジェスアルドはしっかり見抜いているようだ。
そもそも、この話を持ち出したのも、こっそり本当のところを聞き出したかったからである。
「その……〝バラ〟に給金の半分を賭けさせていただきました」
「ひと月分のか?」
「はい」
「そうか」
諦めたフリオの答えに、ジェスアルドは納得したように頷いた。
フリオのひと月の給金の半分——それが、皇宮内で行われる賭けの上限なのだ。
「では、私もそれと同じだけの金を〝バラ〟に賭けよう」
「ええ!? それは無理ですよ! ご本人は参加できませんから!」
「お前だって偽名を使っているだろう。私も何か適当にあてがってくれ」
「で、では……やはりお出迎えなさるのですよね?」
「さあ? それはどうかな」
「ええ!?」
フリオは普段の冷静な姿からは想像できないほどに、うろたえている。
地方の地主の次男であったフリオとは、十年以上前の戦場で出会ったのだ。
その時に、ジェスアルドたちが立てた作戦に恐れもせず異を唱えたフリオの言い分は、地の利を知っている者だからこそのものだった。
そして、無事に勝利を得た戦のあとも、ジェスアルドはフリオを側に置いた。
フリオは武闘派ではなく頭脳派であったにもかかわらず、次男という立場から無理に騎士となっていたらしい。
ジェスアルドは冷静さを取り戻そうと深呼吸を繰り返しているフリオを執務室に残して、自室に向かった。
賭けに参加できないもう一人、デニスがおそらく部屋にいるはずだ。
だがきっと、偽名を使って賭けに参加しているであろうデニスに、ジェスアルドはちょっとした頼みごとをするつもりだった。
不正だろうが何だろうが、勝手に自分を賭けの対象にしている者たちを気遣う必要もないだろう。
皆を驚かせることを思って、ジェスアルドはにやりと笑みを浮かべた。
その表情に、すれ違う者たちが恐れ戦いていることは気にせず、色々と算段をつけていく。
間違いなく、皇帝である父は協力してくれるはずだ。
ジェスアルドはそこでふと、自分の変化に気付いて足を止めた。
こんなこと、リリスに出会うまでは絶対に考えもしなかっただろう。
そんな自分がおかしくもあり、少し悔しくもあり、ジェスアルドは小さく声に出して笑い、再び皆を恐怖に陥らせながら自室に戻ったのだった。




