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「〝殿下は本当はいい人作戦〟……ですか?」
「ええ、そうよ。だって、本当はいい人なんだもの。巷で流れているような冷酷非道な方じゃないって、広めていくのよ。だけどその前にまず、私と殿下が本当は仲良しだって広めようと思うの」
「仲良し……」
うきうきと語るリリスの話を聞いたレセは、微妙に困惑している。
そんなレセに同情の目を向けて、テーナはリリスに問いかけた。
「それで、具体的にはどのようになさるおつもりなのですか?」
「それはね……まだ決めてないの!」
「わー、久しぶりですね。その行き当たりばったり戦法」
「レセ!」
今度はテーナもレセの言葉に叱責の声を上げたが、当のリリスは気にしていない。――どころか、にっこり笑う。
「そうなの。久しぶりよね、この戦法。でも今までどうにかなったんだし、今度もどうにかなるわよ」
「……そうですね」
答えたテーナは遥か遠くを見ている。
リリス付きの侍女になって長いテーナには色々な思いがあるのだろう。
「まあとにかく、具体的なことはまた考えるとして、ひとまずは殿下に絵葉書を送ろうと思うの」
「絵葉書ですか?」
「ええ。この間、騎士の一人が奥様に絵葉書を送っていたじゃない? あれで思いついたの」
「そういえば、あれはホッター山脈の綺麗な山並みが描かれた葉書でしたね」
「葉書ってお手軽でいいですけど、何を書いているのか丸見えですから、普通は安否連絡くらいにしか使いませんのにねえ。ちらりと見えてしまいましたが、けっこう熱烈な文面で、さすが新婚さんだなと思いました」
リリスの説明にテーナが思い出すように答え、レセが呆れ半分、羨ましさ半分といった様子で言い添えたあとに、二人とも気付いたようだった。
はっとして顔を見合わせる。
「そうなのよ。私たちだって新婚だもの。それに、文面が丸見えって願ったり叶ったりじゃない? そこに、私が殿下への……愛はまあ大げさだから、何かこう……とにかく、殿下のことを怖がっていない、慕っているって感じの文面にすれば、多くの配達人と皇宮の書簡受取人にも読んでもらえるでしょう?」
「それは確かにいい考えだとは思いますが……一般の配達人をお使いになるおつもりですか? それはちょっと問題になるのでは?」
テーナの冷静な意見に、リリスはにっこり笑って見せた。
大きな街には、遠くに住む家族や友人などへ手紙を送るために、一般の人たちが利用できる配達所があるのだ。
ちなみに字が読み書きできない人のために代筆・代読業もやっている。
そして、かなり遠くに宛てる場合は、それぞれ配達所から配達所へと中継されるので、多くの配達人の手に渡ることになるのだった。
「確かに皇宮に検めを受けずに入れる誰かにお願いすればいいのはわかるわ。でもそこはほら、風情があっていいとか何とか、理由をつけるのよ」
「イタズラに思われないですかね?」
「あら、ちゃんと押印するわ。署名も入れるし、まずここの配達所に私が直接持っていけば、それからは言伝で配達人には伝わるでしょう?」
「逆にプレッシャーですよ、それは」
「でもほら、文面は丸見えなんだから、何が書かれているかって、悪い人が奪って読もうなんてことは考えないでしょう? 機密文書じゃないのは確かなんだから。というわけで、明日は絵葉書を買いに行こうと思うの」
「……では、護衛騎士たちには、そのように予定を伝えておきますね」
「お願いね、テーナ。できれば、あの新婚の彼にお願いしたいわ」
「かしこまりました」
テーナが答えて席を外す。
皇太子妃のリリスが行動する時は、やはり前もって予定を伝えておかなければ、警備が混乱するからだ。
もちろんお忍びの時も護衛はしっかりついている。
「そうだ! レセには明後日にでもお遣いを頼んでいい?」
「お遣いですか?」
「ええ、そう。明日は私が直接街へ出て絵葉書を何枚か購入するけど、明後日からはレセが街へ出てほしいの。そうね……刺繍糸とかを購入するのがいいわよね」
「え!? リリス様が刺繍をなさるんですか?」
「そこまで驚かなくてもいいじゃない。もちろん刺繍は苦手だけれど、ハンカチにイニシャルくらいは入れられるもの。だからほら、私はただこの部屋に閉じこもって泣いているんじゃなくて、ゆっくりしながら殿下に贈るための刺繍をしているって、みんなに思わせるのよ」
「なるほど……確かに、リリス様が刺繍を苦手にされていることは誰も知りませんものね。完成した作品を街の人たちにお見せになる必要はないわけですし……」
「レセ、納得してくれたのは嬉しいけれど、余計なことも言い過ぎよ」
「あ! 申し訳ございません!」
「まあ、事実だからいいけど。でも街では上手くやってね」
「それはもう、お任せください!」
どんと胸を叩いたレセを見て、リリスは笑った。
こういう仕事はレセの得意分野だ。
ひとまずこれで、皇太子妃が皇太子を恐れていないことはトイセンの街から広がっていくだろう。
行き当たりばったり戦法もやっぱり悪くない。
あとは、〝皇太子は本当はいい人作戦〟である。
(うーん。どうすれば〝暁の星辰〟って二つ名と一緒に広められるのかしらね。でも、問題は……)
今現在、ジェスアルドの悪評を国内外で利用していることを考えれば、たとえいい方法が見つかったとしても、あまり急速に広めるのはやめるべきだろう。
夢で見たジェスアルドの言葉を深読みすると、フォンタエ王国との関係はまだまだ微妙な状態なのだ。
(やっぱり、少しずつでないと……。これは長期戦になるわね。そもそも私の存在が——フロイト王国との同盟が、このエアーラス帝国とフォンタエ王国との関係を悪化させたと言ってもいいくらいだし……)
元はと言えば、フォンタエ王国がフロイト侵攻を企てていたからだが、その計画を阻止したことによって、フォンタエ側はさらに商業都市マチヌカンの利権に固執するようになったらしい。
(でも何かしら……? 何かしっくりこないのよね。小骨が喉に刺さってる気分だわ)
あれこれ考えているうちに、リリスは頭が痛くなってきた。
これ以上はもう諦めようと、顔を上げればレセまでいなくなっている。
いつも考えに没頭してしまうリリスに、テーナもレセも気を使ってそっと席を外すのだ。
きっと今は夕食の用意をしてくれているのだろう。
リリス一人なのでわざわざ着替えたりしないため面倒ではないが、この宿の最上級のこの部屋にはちゃんと食事室もある。
(でも一人で食事をするのも、いい加減に飽きてきたわよね……)
結婚してからはいつもではないが、ジェスアルドと食事を一緒にすることもあったし、他の夫人たちと共にすることもあった。
この視察旅行に出てからは最初の頃を除いてジェスアルドと常に一緒だったし、何よりフロイト王城ではいつも家族一緒だったのだ。
(そういえば、コート男爵から招待状が届いていたわね……)
コンラードの提案のように、男爵の屋敷に滞在するつもりはないが、一晩くらいは招待を受けてもいいかもしれない。
リリスはそんなことを考えながら、夕食の準備が整ったとテーナに声をかけられて、食事室に向かったのだった。




