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「……もったいない」

「何がだ?」

「この薪です」

「薪?」

「はい。これだけ質のいい薪なのに、売値が安すぎます。どう考えても、買い叩かれてますよ」


 坑道に置かれているたくさんの切り出された木材を前にして、リリスはジェスアルドに訴えた。

 ここの薪はほとんどトイセンへと卸されているらしいが、トイセンで調べた薪の仕入れ値とずいぶん違うのだ。

 薪は焼き物にとって絶対に欠かすことができない。

 そのため、必ずすべき確認事項の一つだったのだが、先ほど案内役の元坑夫に聞いた卸値に、リリスは驚いていた。

 そして薪となる木材を実際に目にし、驚きは怒りに変わった。

 ジェスアルドにも卸値を伝えると、眉を寄せる。


「確かに、それはおかしいな。トイセンで帳簿を調べた限り、適正価格で仕入れられていたが……」


 呟きながら、ジェスアルドは大きくため息を吐いた。

 財務担当者の不正なのか、仕入れ担当者の不正なのか、――おそらくそのどちらもだろうことに、リリスも頭が痛くなってくる。

 汚職はかなり浸食しているらしい。


 これをどう対処するのか、ジェスアルドや皇帝陛下の手腕に、リリスは期待しながらも何も言わなかった。

 そのあたりのことは任せておけばいいのだ。

 リリスがするべきことは、シヤナを再現できるか、なのだから。


「次は、鉱石を採掘するために掘り起こした岩石を見せて頂けますか?」

「へ、へい……」


 リリスは元坑夫にそう頼んで、岩石が天日にさらされて放置された場所へと足を向けた。

 途中までは馬で移動していたリリスたちも、今は馬から降りて歩いている。


「……あなたは、先ほどから足取りに迷いがないな。まるで以前、この地を訪れたことがあるようだ」

「え……?」


 隣を歩くジェスアルドの言葉に、リリスは息をのんだ。

 どう答えればいいのかと頭の中でぐるぐる考えているうちに、ジェスアルドはリリスの返答を待たずに続ける。


「この地に掘り起こされた岩石があることも、ここの者たちが今は薪を売って生計を立てていることも知っている。あなたの情報源はとても優秀なようだ」

「そ、それは……」

「別に責めているわけではない。あなたは隣国から嫁してきた王女として、当然のことをしているだけなのだから」


 淡々と告げるジェスアルドの気持ちがまったく読めない。

 怒っているのだろうか? それとも、本当にただ事実を述べているだけなのだろうか?

 リリスがちらりと窺っても、ジェスアルドは相変わらず無表情のまま。


「いや、やはり優秀なのは、情報源ではなくあなただな。あなたは自分の立場をよく理解している。政治に関わる必要もなければ、民のことなど考える必要もないと考える女性たちが多い中で、とても勉強熱心なようだ。あの教師も教えがいがあるのだろう」


 ジェスアルドの言い方では、今でもまだ〝よそ者〟だと思われているような気がする。

 そう思うと、リリスは先ほどまでの焦りも忘れて、悲しくなってきた。

 この国で自分ができることを精いっぱい頑張っていたつもりだが、その努力も何だったのだろうと。

 ジェスアルドにもずいぶん近づけたと思っていたのに、どうやら独りよがりの勘違いだったらしい。


「殿下は……私を疑っていらっしゃるのですか?」

「疑う?」

「私はこの国を乗っ取ろうとか、情報を売ろうなんて考えていません。フロイトと同じように、この国でもみんなが笑って暮らせるようになってほしいと……。せめて、住む場所も食べる物もなくて、つらい思いをする人が一人でもいなくなるようにしたいだけなんです。ですから決して邪な考えで――」

「もちろん、あなたが何か企んでいるなどとは思ってなどいない。今のはただの感想だ」

「……感想?」


 どうにかわかってほしくて訴えたリリスは、この言葉にカチンときた。

 リリスにとって傷ついた今の言葉が、ただの〝感想〟だなんて酷すぎる。

 途端に、リリスの悲しみは怒りに変わった。

 その気配を察して、すぐ近くに控えていたテーナが止めようと一歩前へ進み出たが、時すでに遅し。


「リリス様――」

「殿下って、ほんっとうに! 鈍感ですよね!?」

「鈍感?」

「はい。女心が全然わかっていません。感想って何ですか? 宿題か何かですか? 私は観察対象ではなく、あなたの妻です!」

「それはもちろん――」

「あと、何度も申しますが、私はもうフロイトの王女ではありません! この国の皇太子妃なんです! 皇太子妃として、この国のことを勉強しているんです!」


 ドスドスと怒りの地団太を踏む皇太子妃を、同行していた者たちは呆気に取られて見ていた。

 皇太子夫妻が何か会話をしていることはわかっても、その内容までは聞き取れなかったが、今の皇太子妃の言葉はしっかりと耳に届いていた。

 そして、思わず喝采を送りたくなる気持ちを抑えて、皇太子の反応を窺う。


 町の人たちは、今さら怯えたりはしないが、〝紅の死神〟の噂はしっかり知っていた。

 ただそれよりも、この町を救ってくれるならと、期待のほうが大きかったのだ。

 だが今は、町の行く末よりもこの顛末が気になる。

 また皇太子付きの者たちは、町の人たちよりも戦々恐々としていた。


 そんな皆の視線を浴びながら、ジェスアルドは困惑した気持ちを隠してリリスを見下ろした。

 何が原因でリリスが怒ったのかがわからないのだから、確かに鈍感なのだろう。

 そもそも今の会話のどこに〝女心〟を気遣う必要があったのか。

 ジェスアルドなりに事実を述べて褒めたつもりだったのに、なぜ今さら自分が妻だと主張するのか。


(謎だ……)


 眉を寄せてリリスを見つめるジェスアルドの顔は、怒っているようにしか見えない。

 リリスはというと、小さな体でジェスアルドを見上げて睨みつけたまま。


 皇太子が噂通りの人物ならば、皇太子妃は無事ではいられないはずだ。

 そう考えた周囲の者たちの間に緊張感が漂う。

 まさかこの場で皇太子が腰の剣を抜くとは思えないが、皆は皇太子妃が謝罪することを強く願った。

 今許しを乞えば、惨事は避けられると。


 そんな周囲の空気を察して、リリスは自分が何をしてしまったのかに気付いた。

 すると急速に頭が冷えて、冷や汗が背に伝う。

 別にジェスアルドが怖いわけではなく、皆の前で皇太子に逆らってしまったことが問題だった。

 ここは普通に謝罪するべきか、それとも〝紅の死神〟のイメージを壊さず恐れてみせるべきなのか。


「――殿下、生意気なことを申しました。すみません」


 結局、リリスは普通に謝罪することを選んだ。

 そもそもジェスアルドのイメージは酷い。

 常日頃から納得のいかなかったリリスは、〝緋色の星辰〟の二つ名とともに、皇太子は本当はいい人説を広めていこうと決意していたのだ。


「別に……かまわない」


 申し訳なさそうな表情に変わったリリスに、ジェスアルドはそれだけ答えた。

 やはりリリスの言動は不可解すぎる。

 そのため、理解することを諦めて、ジェスアルドは踵を返し、青ざめた顔で待っていた案内人に頷いてみせた。

 固唾を飲んで見守っていた皆も、ようやくほっと胸を撫で下ろす。

 それからは微妙な沈黙だけが残ったまま、一行はまた進み始めたのだった。




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