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「ほうほう。それでは、これで問題は一つ解決されたのですな」
「笑い事じゃないけどね。なんだかイライラしちゃって……。たぶん、今回は残念な結果になってしまったからだと思うわ」
「ふむ。それは確かに残念でしたの。ですがまあ、そう急ぐ必要もないでしょう。正直なところ、トイセンで作業なされるのでしたら、煙や粉塵などの悪影響もあるかもしれませんからなあ」
「……それは考えていなかったわ。そうね……うん」
フレドリックに言われるまで気づかなかったが、シヤナのような器を作る作業をするのなら、実際に手を出さなくても近くで監督するのだから、煙や粉塵を吸ってしまう可能性はあるのだ。
そう考えると、今回はこれで良かったのかもしれない。
「……子作りより、国造りが先になるかも」
ぼそりと呟いたリリスの言葉に、フレドリックは声を出して笑った。
そんなフレドリックを睨みつけてから、リリスは書きかけの文書に集中する。
まだ下書きの段階だが、できるだけ早くジェスアルドに提出しなければと、朝からかかりきりになっているのだ。
ただ、どうしても上手くまとめられないのは、余計なことを考えてしまっているせいだと、自分でもわかっていた。
あの夢を見てから――コリーナ妃が妊娠していたのは本当だったと知ってしまってから、どうにも落ち着かない。
はあっと深くため息を吐いたリリスに、フレドリックは読んでいた資料から顔を上げて微笑んだ。
「リリス様、よろしければ少し庭を散策でもしませんかな? 私はまだここの庭を見ていないのですよ」
教師として厳しいフレドリックは、相談は受けても文書の内容を考えてはくれない。
ただ質問をすれば、アドバイスをくれるだけだ。
そんなフレドリックのこの提案は珍しいが、きっと気分転換を勧めてくれているのだろう。
「そうね。私もまだ全部は見ていないし、そうしましょうか。それで、どの庭にする?」
この皇宮にはいくつもの庭がある。
中央庭園、東西南北、他にも迷路庭園や、爵位を持った者しか入れない場所、皇族専用の庭など様々なのだ。
フレドリックはふむと考えて、貴族用の庭を希望した。
リリスと一緒でなければ入れず、この部屋からも比較的近いからだろう。
そうして、リリスとフレドリック、お付きのテーナと護衛二人の大所帯で庭に向かったが――。
「――やっぱり、ちょっと堅苦しい場所だったわね。ごめんなさい、フウ先生」
「いやいや、リリス様が謝罪なさる必要はございませんぞ。予想はしておりましたから。それに、色々と面白いこともわかりましたしな」
同じように散歩をしていた貴族たちがリリスを見つけては挨拶に来たのだが、当然フレドリックのことは完全無視。
結局、リリスは応対に忙しく、庭をのんびり眺めることもできず、頃合いを見て部屋へと引き上げることにした。
「まあ、確かにね。みんなにこやかに挨拶してくれたけれど、言葉の端々に本音が出ていることに気付かないのかしら。お茶会の時より露骨だったわ」
呆れたように呟いたリリスの言葉に、フレドリックが笑う。
気分転換を兼ねたこの散歩は、一種の課題でもあったようだ。
部屋に戻った途端、フレドリックはにやりとした笑みに変えて、リリスに問いかけた。
「それで、リリス様はどう感じられましたかな?」
「前途多難ね。はっきり言って、この国の歴史はまだ浅いわ。それなのに、貴族たちの頭はずいぶん固そうに思えたわね」
そこでいったん言葉を切り、テーナに散歩用の細々とした装飾品を渡すと、着替えることなく疲れたようにソファに座り、フレドリックに向かいの席を勧めた。
そこにレセが冷たいお茶を運んできてくれたので、喉を潤してから続ける。
「ここまでこの国が短期間で大きくなったのも、皇帝陛下だけでなく臣下のみんなが柔軟な考えを持っているからだと思っていたけれど、甘かったみたい。先日のお茶会でも感じたけど、昔からこの国を支えてきたって自負している古参の貴族の方たちと、ここ最近の功績で爵位を授かった新興貴族の方たちが反目し合っているのは間違いないわね。それに加えて、吸収合併されたとでもいうのかしら……その国の元王族――今は大公だの、何だのって方々のプライドとか、田舎娘の私に対する小馬鹿にした態度とか、男性陣からはすごく感じたわ。たった少しだけの会話で」
「そうですなあ。まあ、これだけ大きな国になりますと、歴史云々は関係なく、皇宮内は愛憎渦巻く精神的戦場となりますからなあ」
「やめて、脅さないで。そりゃ、私の考えは甘かったけれど、でも負けるつもりはないわ。私はフロイトの王女なんだから。田舎者と馬鹿にされて、部屋に籠って泣いてばかりいるような小娘じゃないもの」
「部屋に籠って眠ってばかりですがな」
「もう、茶化さないでよ。要するにフウ先生は、私がたとえトイセンでシヤナを焼き上げることができても、難題はまだまだあるって言いたいんでしょう? それなのに、こんなところでもたもたするなってことよね」
確信を持って問いかけたリリスの言葉に、フレドリックは穏やかに微笑んだ。
ひとまずは合格らしい。
本当にちっとも優しくない、厳しい教師だが、ここぞという時には頼りになるし、時々ヒントをくれる。
フレドリックはきっと、様々な噂や弟子からの報告、そして自分で目にしたことで、この皇宮内のだいたいの状況を把握したのだろう。
その上で、リリスに警告してくれているのだ。
「油断大敵。千思万考。居安思危。そして、一意専心。猪突猛進ね!」
「いやいや、リリス様。最後のほうがおかしいですぞ。特に最後が」
「そうかしら? 考えてダメな時は、実行あるのみよ。それでダメなら、また考えればいいのよ。少しは前に進んでいるはずなんだから」
「……後退しているかもとは考えないんですな」
リリスらしい宣言に突っ込みつつ、フレドリックは笑った。
本当に、この王女様と――今は妃殿下となってしまったが、出会ってから退屈になってしまっていた人生が楽しくて仕方ない。
不機嫌な顔しかしていなかった昔のフレドリックを知っている弟子は、今のフレドリックに逆に怯えつつ、老いはこうも人を変えるのかと感心していたりする。
もちろん一喝入れておいたが。
皇帝と皇太子がどこまで気づいているのかわからないが、この皇宮には間違いなく大きな闇がある。
その闇にリリスが飲み込まれないよう、しっかり見守らねばとフレドリックは強く思った。
(まあ、逆にリリス様がその明るさで、闇さえも照らしてしまわれるかもしれんがの……)
そう考えて、この急で強引な婚姻の意味がわかったような気がした。
フレドリックはまだ皇帝には会ったことがないので確信は持てないが、ひょっとして花嫁がリリスに決まることからここまで、全て皇帝は見通していたのではないかと思える。
(ふむ。ここまでこの国を大きくされた方だからの。裏切られて傷ついたお人好しのふりもお手の物ということか……。まあ、とにかく油断ならぬ方であるのは間違いないな)
一人納得したフレドリックは、再びジェスアルドへ提出する文書に取りかかったリリスへ、温かい目を向けた。
どんな思惑が渦巻いていようが、きっとこの方なら全て吹き飛ばして前に進んでいくのだろうなと思いながら。




