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「なんだ、そんなことですか」

「そんなことじゃないわ、大切なことよ」

「ふむ。まあ、人それぞれですから、そうかもしれませんなあ」


 翌日の午後、リリスはフレドリックを呼んで、気になることをずばり訊いたのだ。

 すると返ってきたのは、気の抜けた言葉。

 リリスがちょっとむっとして答えると、フレドリックの表情はにやにや笑いに変わった。

 本当にこの人物があの〝賢人・グレゴリウス〟なのかと疑いたくなる顔だ。


「心配なさらなくても赤子は意外と強いものです。母親の腹の中でしっかり守られておりますからの。確かに、腹がぽっこりしてくるまでは慎重にされているべきでしょうが、寝たきりになる必要はありません。まあ、リリス様はよく寝たきりになりますがの」

「もう、茶化さないで。それはお母様だって普通に生活していたからわかるわ。お城にはお腹が大きくなっても働いている女性だっていたもの。その……それで、私が訊きたいのは……」

「ほうほう。そうでしたな。まあ、もし赤子ができていらしたなら、その時はきちんと産婆に相談されるべきだとは思いますがの。十人十色、妊婦もそれぞれですからなあ。ですが、まだわかりもしないのに夜の営みをやめてどうなさる。そんな呑気なことをしておられたら、おお、この場合はしないでおられたらか……とにかく、十年たっても赤子などできませんぞ」

「そっか……そうよね……」


 ほっと息を吐いたリリスを見て、フレドリックはにやりと笑う。

 そして付け加えた。


「まあ、そんなに心配でしたら、あまり激しくはなさらんことですな。妊婦に激しい運動はご法度ですからの」

「……激しく? いくら私でも、ベッドで激しい運動なんてしないわよ。そりゃベッドにダイブしたりはしたけど、もうしないって決めたし」


 リリスはフレドリックの言葉に眉を寄せた。

 途端に、フレドリックはあの「ふぉっふぉっふぉ」という笑いをしたのだ。

 ますます眉間にしわを寄せるリリスに、フレドリックはまるでひ孫を見るように目を細めた。


「いやいや、そうでしたの。リリス様のあけすけな物言いについ忘れてしまいますが、まだまだ新婚でしたの。どうやら思いのほか、殿下はお優しい方なのかもしれませんなあ。それともただ淡泊なだけか……ぶふっ! 紅の死神が淡泊……」


 急に噴き出して笑いながらぶつぶつ言うフレドリックを、リリスは訝しげに見た。

 たまにフレドリックはこうして一人ぶつぶつ呟きだすのだが、今回は何となく見過ごせない。


「フウ先生、何がそんなにおかしいの? 一人で笑うなんてずるいわ。ほんと、男性ってたまに集まってはヒソヒソゲラゲラ笑って感じ悪いのよね。お兄様に訊いても、男同士の話だからって教えてくれないの。今のフウ先生はそんなお兄様たちにそっくりよ」

「それは、すみませんでしたの。ですが、女性たちもよく集まってはヒソヒソクスクスしているではないですか」

「あら……それもそうね……」


 フレドリックに文句を言ったものの、言い返されてリリスは納得した。

 そういえば、女性たちもよくお茶会以外の場でもヒソヒソクスクスしているのだ。


「要するに、男と女は所詮、別の生き物ということですな。ですが、その垣根を越えることもできる。それが〝愛〟です! ……わし、今すごくいいこと言いましたぞ」

「はいはい。そうですね。愛って大事ね。でも、私たちは政略結婚だから。そのうち家族愛的なものは生まれるかもしれないけれど、それだけだわ。今の関係は、お互い妥協の結果なんだもの」

「ほーう。なるほど」


 自画自賛のフレドリックはよくあることなので、リリスはあっさり受け流した。

 愛と言われても、初めにジェスアルドに宣言され、リリスも宣言したのだ。

 二人の間に〝愛〟は存在しない。

 そんなリリスに、フレドリックは探るような視線を向けた。

 それが何だか居心地悪くて、リリスは話題を変える。


「ところで、今朝方の夢なんだけど――」

「おお! どんな夢でした? 違う世界の話ですかの?」


 リリスの夢の話になると、途端にフレドリックは子供のように顔を輝かせた。

 たった今までのことはすっかり忘れたらしい。


「ううん、はっきりとはわからないんだけど、おそらくシヤナ国なんじゃないかと思うの」

「シヤナですか?」

「ええ、そう。このティーカップのような白い器がずらりと並んだ窯元を見たわ。まあ、形は違ったけれどね」

「ほうほう。それは実に興味深いですな。もし、リリス様が再現できるようになれば、がっぽがっぽの金儲けができますぞ。馬鹿みたいにシヤナに熱狂している者たちに売りつければいいのですからのお」


 冗談めかして言うフレドリックに、リリスは笑った。

 フレドリックもそれがどんなに無茶なことか、当然わかっているのだ。


「さすがに、保存食のようにはいかないわね。窯を一から作らなければならないし、他にも色々と大変だもの。想像してみて。エアーラス帝国の皇宮の片隅で、皇太子妃が煤で顔を真っ黒にして器を焼いているのよ?」


 そんなリリスの姿を唖然として見つめるジェスアルド、そして皇帝陛下や貴族たちのことを想像すると滑稽すぎる。

 二人はひとしきり笑って、お茶を一口飲み、そしてフレドリックがちらりと菓子皿に目を向けた。


「それで、トイセンですか?」

「その通りよ。もしトイセンでシヤナのような焼き物が作れるようになれば、素晴らしいと思わない?」


 そう言って、リリスは菓子皿から最後の菓子を摘まんで口に入れた。

 今日はわざわざトイセンの菓子皿にお菓子を用意してほしいと頼んでおいたのだ。


「正直なところ、実際にトイセンの窯を見て、話も聞いてみないと何とも言えないし、そもそも原料となる岩が適しているのかもわからないから……。要するに、試してみないとダメってこと。でも殿下にどう納得してもらうかが問題なのよね。フロイトならみんなすぐに協力してくれたんだけど……」


 はあっとため息を吐くリリスを横目に、フレドリックは菓子皿を持ち上げてじっくり眺めた。

 それから、「ふむ」と一つ頷くと、リリスに問いかける。


「わしにはトイセンのストーンウェアとシヤナとでは、まったく別物に思えますがな。本当にトイセンの窯でシヤナが作れるとお思いなのですか?」

「はっきり言うとね、できるわ」

「ほう?」


 片眉を上げて疑わしげに答えたフレドリックに、リリスは顔を近づけて内緒話をするように話し始めた。

 部屋には二人きりなのだが。


「フウ先生にだから打ち明けるわね。……私の見る夢はたいてい無作為だけど、最近気付いたの。悩みがある時に見る夢は、たいていその悩みに関連しているのよ。もちろん取捨選択は必要だけれど、ここのところ見る夢は、私の悩みを解決してくれるんじゃないかってものばかりなの。まあ、見たくないものも見ちゃうけど……」

「なるほど……」


 最後は愚痴のようになったリリスの説明に、今度はティーカップのソーサーを手に持ってじっくり眺めながら、フレドリックは答えた。

 そんな態度のフレドリックだが、しっかり聞いてくれているのはわかっているので、リリスは何も言わない。

 そしてリリスもカップを持ち上げ、光にかざした。


「……この透き通るようなシヤナのティーセットで、ブンミニの町の一年間の補助金が賄えるのよ。一昨日に招かれた公爵夫人のお茶会では、このシヤナのティーセットや菓子皿がいくつも使われていたわ。でもね、それは公爵夫人主催だからだそうよ。同じ皇宮のサロンを利用してのお茶会でも、主催者の身分によって使われる茶器が違うんですって。ストーンウェアや、他の陶器製のものに」

「ほう……」

「フロイトでも身分の差はあったけれど、やっぱりエアーラス帝国ともなると、すごく感じるわね」

「それで、リリス様はどうされたいのです?」

「どうしたいって……思うところは色々あるけれど、私はフロイトでも、この国でもすごく恵まれた立場にいるわ。そんな私が何を言えばいいのかわからない。ただ、私はこのカップを使うに見合うだけのことをしたい。私がこのティーカップで公爵夫人たちと優雅にお茶を飲んでいる間に、この国の人たちが苦しんでいないように。せめて、食べるものに困るようなことのないようにしたいの。それが私の国造りよ」


 リリスがカップを置いてまっすぐフレドリックを見ると、厳しいほどに真剣な表情になっていた。

 フレドリックにしては、とても珍しい顔つきだ。


「では、わしもリリス妃殿下の国造りに参加させてもらえることを期待しておりますぞ」

「もちろんよ。頼まれなくたって、お願いするわ」


 それからは、山積みの問題をどう解決するべきか、二人であれこれと話し合いを始めた。

 そしてテーナに、そろそろ夕食だと声をかけられるまで没頭していたのだった。




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