番外編:コンラード
不快な表現が多々ありますので、苦手な方はご注意ください。
「死ねばいいのに。死ね。死ね。死ね。死ねよ」
暗闇の中で土壁を削りながらコンラードはぶつぶつと呟いていた。
その声は固められた土が削れる音に混じり、地下倉庫に不気味に響いている。
しかし、その声を聞く者はいない。
コンラードがこの地下倉庫に閉じ込められて三日は経つが、その間に様子を見に来る者はおらず、時々堅いパンと冷めたスープが扉近くに置かれるだけ。
物心ついた頃からこうして地下倉庫に何度も閉じ込められているコンラードにとって、暗闇はまったく怖くなかった。
慣れれば不思議と置いてある物もぼんやり見える。
泣いても助けは来ないと悟った幼い頃は、ずっと膝を抱えて過ごしていた。
そしてたまに屋敷にやって来ては、部屋でおとなしくしているコンラードを摑み上げ、地下倉庫へと押し込む嫌な男が父親という存在なのだと知ったのは十歳を過ぎた頃だった。
父親はこの屋敷の主人でバーティン公爵というらしい。
このエアーラス帝国の偉大なる皇帝の弟として帝国の発展に尽力し、その温厚な人柄も相まって民にも慕われている。
その話を通いの家庭教師から聞かされたコンラードは笑いを堪えるのに必死だった。
暴力を振るわれるわけではない。
ただ公爵が屋敷に滞在する間は、目障りだと言わんばかりに地下室へと押し込められるのだ。
それならば、いっそのこと殺せばいいのにと何度も思った。
なぜそれをしないのか、理由を知ったのは使用人たちの噂話からだった。
コンラードは公爵の子ではなく、公爵夫人と愛人との間にできた不義の子なのだと。
そのため、公爵夫人――コンラードの母は公爵の怒りを恐れ、田舎に雲隠れしてしまっているそうだ。
そもそも公爵が夫人と結婚したのは、皇后が現皇太子を出産した時に体を壊したため、もう子供は望めないからだという。
公爵は皇后に恋をしていたが叶わず、皇家の血を残すために結婚を余儀なくされたが、相手は名家の子女ならだれでもよかったのだろう、と。
それがこのような結果になって公爵は気の毒だと、使用人たちは同情していた。
ただ一応はコンラードに公爵の――皇家の血が流れている可能性もあるため、公爵は手元に置いて育てざるを得ないらしい。
「死ねばいいのに……」
こぼれ落ちた言葉は心からのもの。
みんなみんな死ねばいい。
皇家も国も全て滅んでしまえばいい。
ようやく自分の願いに気付いたコンラードは、生まれて初めて声に出して笑った。
この日からコンラードは笑顔を見せるようになり、家庭教師をはじめとした使用人たちを驚かせた。
公爵が留守のときには勉学に励み、認められようと健気に努力する不遇の子を演じ、使用人たちの同情を誘う。
そして使用人を丸め込んで地下倉庫にランプや毛布などを運び込ませ、退屈しのぎに色々と探っている時に見つけたのだ。――古い棚の背板が外れることに。
調べてみれば、石壁に囲まれた地下倉庫の中で、そこだけ土壁だった。
それからは地下倉庫での穴掘りを楽しんだ。
この先に何かあると信じていたわけではないが、そう考えることで、怒りと退屈を紛らわせていた。
だからまさか、本当に地下通路が見つかるとは思ってもいなかったのだ。
穴を掘っていることを誰にも知られなかったのは幸いだろう。
秘密の通路はコンラードの地下倉庫での時間をさらに楽しいものにした。
とはいえ、怒りが消えたわけではない。
公爵への怒りも、皇家への憎しみも、帝国への怨嗟も日々強まっていた。
しかし、最近は嬉しい知らせがあり、コンラードは気分がよかった。
公爵がルータス王国との戦争回避のために進めていた交渉が決裂し、戦争が始まったのだ。
このまま戦争が終わらなければいい。
みんなみんな無駄に死んでいけばいい。
今までになく長い間留守にする公爵の訃報を待ちわびていたコンラードは、思いもよらない訪問者に驚かされた。
「まあ、あなたがコンラードね! やっと会えたわ!」
「……初めまして、皇后陛下。お会いできて光栄です」
「あら、そんな他人行儀な挨拶はいいのよ。義理とはいえ、私はあなたの伯母なんだから」
突然屋敷に訪ねてきた皇后を前に、コンラードは「ずいぶん身勝手な女だな」としか思わなかった。
だが、これがあの男が恋い焦がれた女なのかと思うと優越感を覚える。
そしてコンラードが緊張しているふりをしてはにかむと、皇后はぱっと顔を輝かせた。
「そうだわ! 誰かに似ていると思ったけれどラゼフ一世よ!」
「ラゼフ一世?」
「ええ、あなたはこの国を建国したラゼフ一世に似てるのよ。あの肖像画を見せてあげたいけど……体は大丈夫なの? 今さらだけど、横にならなくていいの?」
「はい。最近はとても調子がよく、こうして部屋からも出ることもできるようになりました」
「そう。それはよかったわ。きっとあなたのご両親も喜ぶでしょうね」
「――おそらく」
少し悲しげな顔で笑えば、皇后もまた悲しげに微笑む。
それが無性に腹立たしく、コンラードは何かに――目の前で安っぽい同情を見せる皇后に当たりたくて仕方なかった。
(死ねばいいのに)
その気持ちを隠してにっこり笑う。
「今日はとても嬉しい日ですね。皇后陛下が僕のことを気にかけてくださっていたのですから」
心で呪いの言葉を吐き出し、口からは相手が喜ぶ言葉を吐き出す。
だから皇后がラゼフ一世の肖像画を持って訪ねてきたときも、喜んだふりをした。
確かにラゼフ一世はコンラードに似ていたが、何の感情も湧かずどうでもよかった。
しかし、公爵が留守の間に皇宮へと上がったコンラードは、従兄である皇太子のジェスアルドに会い、衝撃を受けたのだ。
陽の光に当たって輝く赤い髪も、緋色の宝石のような瞳も、全てが繊細な作り物のようで美しく、触れてはいけない存在に思えた。
それなのにその紅い瞳にコンラードを映し、困ったような照れたような顔で笑う。
そんなジェスアルドの美しさを、周囲の者たちは不気味だと陰で噂しているのだから信じられない。――自分たちがどれだけ醜い顔になっているのかも気付かずに。
もちろんコンラードの顔も醜く歪んでいるだろう。
悲しみ苦しんでいるジェスアルドを見ると、心が昂ぶるのだから。
もっとあの綺麗な顔が苦痛に歪むところを見たい。
そんなコンラードの願いはすぐに叶うことになった。
ルータス王国との戦で活躍したジェスアルドは、敵兵から〝紅の死神〟などと呼ばれるようになったのだ。
その呼び名に、ジェスアルドは傷ついている。
コンラードはジェスアルドを慰めながら、陰で噂を広めて楽しんだ。
すると、さらに素晴らしいことが起きた。
皇后が亡くなり、ジェスアルドは誰にも知られないように嘆き悲しんでいたのだ。
ジェスアルドという存在を知る機会をくれた皇后が死んでしまったことで少しはコンラードも悲しかったが、それ以上にこの感情を与えてくれたことに感謝していた。
さらにはジェスアルドが呪われているために皇后は亡くなったのだとの噂が追い打ちをかけるようにジェスアルドを苦しめていた。
今なら兄である皇帝を崇拝している公爵の気持ちもわかる。
公爵は皇后に懸想していたのではなく、皇帝が選んだ相手だからこそ尊重していただけなのだろう。
(だが、私はこの男とは違う)
コンラードは目の前で食事をする公爵をちらりと見た。
公爵は皇后がコンラードに皇家の血が流れていることを認めた途端、それまでのことなどなかったかのように息子扱いを始め、食事も一緒にとるようになったのだ。
急に大切な息子のように扱う公爵の態度にも恐れることはなかったコンラードだったが、昨日耳にした話には酷く動揺していた。
ジェスアルドが婚約したらしい。
話を聞いたコンラードはすぐにジェスアルドに真意を確かめに行き、打ちのめされた。
照れくさそうに微笑みながら肯定するジェスアルドを見るはめになったのだから。
「……ジェスが、婚約したそうですね」
「ああ、お前も聞いたか。最近のジェスにはあまり芳しくない噂もあるが、相手は幼馴染のお嬢さんだから、大丈夫だろう」
「幼馴染?」
「そうだ。私も何度か会ったことがある。可愛らしいお嬢さんだぞ」
「そうですか……」
まるで自分が結婚するかのように浮かれて見える公爵に微笑んで答え、コンラードは食事を続けた。
しかし、その内心はジェスアルドの婚約者に対する憎悪でいっぱいだった。
自分の知らない子供の頃のジェスアルドを知っているなどと許せるものではない。
(死ねばいいのに。何だ、幼馴染って。馬鹿馬鹿しい。死ねばいいのに)
部屋に戻っても怒りが収まらなかったコンラードはそこで思いついた。
殺せばいいのだ。その女を。
そうすればまたジェスアルドは悲しむ。
そのときのことを想像すると、コンラードの胸は久しぶりに高鳴っていた。
翌日からはさっそく婚約者を殺すための準備に入った。
その段階でジェスアルドの婚約者であるコリーナに会い、最高の名案を思い付いたのだ。
噂を信じてジェスアルドを恐れ、自分に惹かれているらしい愚かなコリーナのための最高の死に舞台を。
とても長い時間がかかったが、その甲斐あって最高の苦しみをジェスアルドに与えることができた。
さらには悲しみだけでなく、コンラードがしばらく姿を消すことによって、自責の念を抱かせることができる。
その間、ジェスアルドの苦悶する姿を見ることができないのは残念だったが、報告者には事欠かない。
国務長官のアレッジオには悟られないように気をつけなければならないが、皆簡単にコンラードに騙されてくれる。
そうして徐々に徐々にジェスアルドを追い詰めていたというのに――。
* * *
まるで走馬灯のように過去のことを思い出し、我に返ったコンラードは慌てて力を緩めた。
危うく手に持った手紙を握り潰すところだったのだ。
コンラードは手紙を見つめて歪んだ笑みを浮かべた。
この手紙を読めば、またジェスアルドは苦しむだろう。
その姿を見ることができないのは残念だが、想像するだけでまた楽しめる。
しかも皇太子妃が行方不明になっていることで皇宮中が悲しみに沈んでおり、その空気を感じるだけで心地よかった。
最初から、あの女は気に入らなかったのだ。
噂通りの病弱でおとなしい姫ならよかったものを、何度警告しても国へ帰ろうとしない。
それどころかジェスアルドを笑わせる。
幸せそうなジェスアルドを見るたびに、コンラードは吐き気がしていた。
(最悪にむかつく女だ)
コンラードは怒りを抑え、手紙がジェスアルドに渡るように手配すると、使用人に紛れて働いた。
使用人に扮する遊びももう何年もしている。
普段のお高くとまったコンラードでは絶対に立ち入らない場所なので顔も知られていない。
むしろたまに手伝いに入る使用人として顔を覚えられているくらいである。
そして日が暮れるまで適当に働いていたコンラードはふと思い立った。
(やっぱり殺そう)
フォンタエ側は生きた皇太子妃を望んでいたが、もうあの国に利用価値はない。
先ほど本人に告げたように、あの女をジェスアルドの目の前で殺して、自分も死ねば最高に気持ちいいだろう。
上手くいけば自分はジェスアルドに殺される。
妻を二度も亡くした悲しみと、二人を殺した自分への憎しみのどちらがジェスアルドの心に残るのかと、コンラードは期待しながら尖塔に向かった。
しかし、その計画は狂ってしまった。
コンラードが隠し部屋への階段に繋がる扉を開けたとき、ジェスアルドが騎士を引き連れてやって来たのだ。
どうにか先に隠し部屋に辿り着き、皇太子妃を人質に取ったまではよかった。
ジェスアルドの剣が自分に致命傷を与えたこともよかった。
悔やまれるのは、皇太子妃を殺せなかったことだ。
「ちょっと! いい加減に我が儘はやめなさいよ! ジェドはね、優しいからあなたみたいな最低な人でも見捨てられないのよ!」
怒っているのに悲痛に聞こえる皇太子妃の声は、意識が遠のいていたコンラードを現実に引き戻した。
しかもその内容は自分のほうがジェスアルドをわかっていると言っているようで本当にむかつく。
こういう場合、女は泣くものだろう?
「……知ってるよ……ほんと…小さいのに、予想外の女だな……」
「体の大きさは関係ないでしょ!」
本当に予想外だった。
もし彼女にもっと早く出会えていたなら、自分も変われたかもしれない。
そんなことを考える自分が馬鹿馬鹿しく、コンラードは笑った。
「小さくても何でも、最高の女性だ」
「ば…か、らし……」
再び意識が遠のく中で聞こえたのは、悲しみに滲んだジェスアルドの声。
しかし、ずっと夢見ていたものとは違う。
きっとジェスアルドはコンラードのことを忘れて幸せになるだろう。
――気がつけばいつもの地下倉庫にコンラードは一人で立っていた。
だが不思議と安心する。
やはり自分は死を前にして恐怖を感じているのだろう。
だからきっとこんな夢を見ているのだ。
コンラードは真っ暗な闇の中を迷いない足取りで進んで定位置に腰を下ろした。
そしてほっと息を吐くと、冷たい石床の上で膝を抱え目を閉じたのだった。
いつもありがとうございます。
今週末8月31日(金)に完結巻である『紅の死神は眠り姫の寝起きに悩まされる3』が発売されます!
詳しくは活動報告をご覧ください。
よろしくお願いします!




