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「今日は妃殿下にお願いがあって来たのですよ」
「何かしら?」
「簡単です。手紙を書いてほしいだけですから」
「手紙?」
「ジェス宛てにね」
にこやかに答えながらも、リリスは緊張していた。
そこに予想外のことを言われて、素直に驚きが顔に出る。
するとコンラードは楽しそうに笑った。
「何て書きましょう? やっぱり『助けて! 殺される!』っていうのがいいのかな?」
「いったい、何のために?」
「決まってるじゃないか。ジェスが苦しむためだよ」
「どうして……? 殿下のことが嫌いなの?」
「まさか! 大好きさ」
「そんなの……おかしいわ。大好きな人を苦しめたいなんて」
あまりコンラードを貶めるようなことは言わないほうがいい。
そう思っていたが、つい口から出てしまった。
だがコンラードはまったく気にしていないどころか、褒められたように嬉しそうだ。
「大好きだからこそだよ。言っただろう? ぞくぞくするって」
「ぞくぞく……」
「そう。ぞくぞくだよ。それでもね、ジェスと初めて会ったときは、なんて優しい人なんだって思ったんだよ。さすがあの方の息子なんだなって。僕は自分の容姿が嫌いだったけど、ジェスは自分の容姿をちっとも気にしていなかった。それでジェスが皇宮にいる間は、ずっと後ろをついて回ったんだ。僕も自信が持てる気がして」
懐かしそうに語るコンラードの言葉は意味がわかっても理解できなかった。
自分を屋敷から連れ出してくれた皇后に特別な感情を抱いているのだろうかとも思ったが、違う気がする。
さらにはジェスアルドに嫉妬しているようにも思えない。
ただ本当に、何の悪気もなく苦しめたいと言っているようなのだ。
「この感情を何て言うのかよくわからないけど、あの方が亡くなったときに気付いたんだ。国中が悲しんでいてね、僕も悲しかったけど、ジェスの悲しみようはそれはもう美しかった。ああいうのを耐え忍ぶって言うのかな? 涙を流すこともなくてさ。それが心優しい女性たちは気に食わなかったみたいだね。嬉々として噂を広め始めたんだよ。殿下はやはり呪われてるってね。そのたびに、ジェスはつらそうな顔をするんだ。最高だろ?」
「いいえ、最低よ。殿下はコリーナ妃のことであなたに裏切られたときだって、あなたを責めなかったわ。それどころか自分を責めていたのよ!」
「知ってるよ。僕がそう仕向けたんだから」
コリーナ妃の名前を出した途端にコンラードの顔から笑みが消え、リリスの背筋に冷たいものが下りる。
「コリーナを追い詰めるのも楽しかったな。どの言葉で彼女が死を選ぶか、一人で賭けをしたんだけど、初回で死んじゃったのは残念だったよ」
「コリーナ妃を簡単に殺すことができるって、そうすれば子も死ぬって……」
「あれ? 何で知ってるの?」
「そ、それは……」
現実夢で見たことを思わず口にしてしまったリリスは焦った。
失敗したと思ったが、コンラードは再び嬉しそうに笑った。
「ひょっとして、ジェスが言ってた? ずっと知ってたのかな? だとしたら嬉しいな」
当然だが別の結論を出したコンラードの言葉にほっとする。
しかし、それもつかの間――。
「あなたもさっさと逃げ出していればよかったのに。せっかく警告してあげたのにね?」
「今からでも遅くないわ。フロイトまで送ってくださらない?」
「残念ながらそれは無理だよ。あなたが生きている限り、ジェスは幸せなんだから」
本来なら嬉しい言葉なのに喜ぶことができない。
不穏な気配に、リリスは意を決して告げた。
「私を殺したとすれば、殿下はあなたを許さないわ」
「うん。楽しみだよね?」
「楽しみ?」
「僕があなたを殺せば、ジェスは僕を殺す。それで残ったジェスはまた苦しむんだ。心残りといえば、その姿を見ることができないことだね」
コンラードは狂っている。
生い立ちが彼を狂気へ導いたのだとして、どうして誰も気付かなかったのだろう。
きっと、この国は大きくなりすぎたのだ。
それでもなお理想の国家を目指して邁進するあまり、切り捨ててしまったものが大きく歪んでしまったのかもしれない。
(でもそれは、私も一緒だわ……)
リリスもずっと前しか見ていなかった。
そして急いで進んできた道に、見過ごしてしまったものもあるはずだ。
しかし、もう一度見返すことはできる。
そのためにもここで殺されるわけにはいかない。
リリスは小さく息を吐いて、気持ちを切り替えた。
「それで手紙だったわね」
「ああ、そうそう。ちゃんとインクも持ってきたんだ」
そう言いながら、コンラードは持っていた袋からペンや紙、インク壺を取り出した。
その姿は無邪気な子供のようだ。
「内容は?」
「ずいぶん素直だね? まあ、いいけど。そうだな、ジェスが苦しみそうなことを書いてよ」
急に従順になったリリスをコンラードは訝しんだが、深く追及はされなかった。
リリスはほっと息を吐いて少しでも時間を稼げないかと問いかける。
「どうやって届けるの?」
「――密偵にはね、三つのタイプいるんだよ」
「三つのタイプ?」
「味方はもちろん、ときには敵に露見してしまう陽動タイプ。敵味方に悟られることのない優秀なタイプ。きっかけがなければ普通に過ごし、一生密偵なんてせずに潜伏しているタイプ。アレッジオはとても優秀だからね。彼がいる間は皆動きたがらないんだ」
「そう……」
アレッジオを皇宮から離れさせるためにルータス王国の残党を動かし、トイセンでも暴動を起こしたのだろう。
さらにはマチヌカンとの交渉が必要な状況へ導いたのだ。
それらの黒幕がフォンタエ王国なのか、コンラードが全てを操っているのかはわからない。
だがリリスには後者に思えた。
しかもその動機はジェスアルドを苦しめたいだけ。
「でも、殿下はあなたのことを疑っているわ」
「そうなんだ。酷いよね? 先ほどマチヌカンから僕が抜け出したことが知らされたみたいで、さらに厳しく警戒しているよ。僕も簡単には歩けなくなったんだ。今までジェスはずっと僕に優しかったのに、僕よりも大切なものが現れた途端にこれだよ」
「か、書けたわ!」
コンラードの手が今にも伸びてきそうで、リリスは慌てて手紙を押し付けた。
机がなかったので文字は乱れているが、それでも読めるはずだ。
「……この『今こそ結婚式前日の約束を果たしたい』って何?」
コンラードは手紙の内容を検めて問いかけてきた。
手紙には『自分はきっと殺されるだろう』と嘆き、ジェスアルドに別れを告げた内容を書いたのだ。
そこに含まれるのがコンラードが読み上げた文章である。
きっとジェスアルドならわかってくれるはずと信じて書いたものだが、やはりコンラードの目にとまってしまった。
「し、式の前日に殿下と庭園を散策したの。そのときに殿下がおっしゃったのよ。『あなたが恐ろしいと思ったのなら、いつでもフロイトへ帰ればいい』と。でも政略結婚にそれは許されないわ。それでも殿下は譲ってくださらなかったから約束したのよ。もし耐えられなくなったら帰る、と」
「ああ、実にジェスらしいね」
コンラードは納得したらしく、手紙を折り始めた。
そこでようやくリリスは詰めていた息を吐き出した。
手紙がきちんと届けられたなら、ジェスアルドはすぐに助けにきてくれるだろう。
この一番古い尖塔は一番高い尖塔でもあるのだから。
ここは隠し部屋になっているようだが、尖塔のてっぺんであることは天窓があるのだから間違いない。
あとはそれまで生き延びるだけだった。
「この手紙を届けて、まだ生きていると喜ばせてから、死体が見つかるのが一番だよね?」
「生きたまま見つかるのが一番だと思うわ」
「ただ手紙を読んだときのジェスの反応を見られないのが残念だな。でもあなたの死体を発見するときは一緒にいるんだ。そして絶望して僕を殺せばいい」
リリスの言葉を無視して一人話すコンラードは異様でしかなかった。
もし今、襲いかかられたら握ったままのペンで精一杯抵抗しよう。
剣を抜こうとしたら、こちらから飛びかかろう。
そう考えていたリリスだったが、コンラードは手紙だけを持って立ち上がった。
その一挙手一投足を見逃さないように、リリスはじっと見守る。
「心配しなくても、もう少しだけ生かしていてあげるよ。それまで怯えていればいい」
コンラードは満面の笑みを浮かべてそう告げると、あっさり背を向けて出ていった。
途端にリリスの体から力が抜ける。
シーツの上に横になったリリスを励ますように、お腹の子がポコポコと蹴った。
「ありがとう、大丈夫よ。お母さんは負けないし、お父さんは絶対に助けてくれるから」
リリスはお腹を優しく撫でながら、力強く宣言した。
すると、応えるようにお腹の子はもう一度蹴る。
今度は声を出して笑ったリリスは、少しでも抵抗できるように作戦を練り始めたのだった。
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