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「この皇宮についてなのですが、古い棟の中にはすでに数百年は経過しているものもあるそうですね。しかも堀ができたのはその棟が建てられてからかなり後だとか……」
「うむ。そのとおりだ、アマリリス。それで、何か夢を見たのか?」
リリスの質問に答えたのは、今までずっと黙っていた皇帝だった。
心配するジェスアルドとは違って、皇帝はどこか楽しそうだ。
「その当時のことを夢に見たわけではありません。ただ、今回のことについてなのですが、ひょっとして陛下や殿下がご存じでない抜け道が存在するのではないかと思ったのです」
「我々の知らない抜け道?」
「はい。私が夢で見たポリーは……以前訪れたブンミニの町の坑道のような暗い場所を、誰かと歩いていました。そのときに、水の流れる音も聞こえたのです。ポリーが堀で発見されたと聞いて、あの場所は抜け道なのではないかと思ったのですが、違うとなると……長い月日の間にいつしか忘れられた道があるのではないでしょうか? 今はもう使えなくなった道が」
「しかし、私はこの皇宮を何年もかけて徹底的に調べております。過去に忘れられた道があったとしても、今現在は存在しないと断言できます」
リリスの言葉に反論したのはアレッジオだった。
そのきっぱりとした態度は自分の任務に対する自信に満ちている。
その姿は頼もしく、リリスも素直に頷いた。
「アレッジオの言葉は確かだと思います。この皇宮内に忘れられた道はないでしょう。ただ、堀の外側――脱出した後に遠くへと逃げるための道が残されているのではないかと思ったのです」
「堀の外側か……」
「ふむ。それならば、アレッジオが気付かない場合もあるかもしれないな」
「貴族の屋敷が立ち並ぶ周辺に、その脱出口があるとすればポリーがその近辺で姿を消した謎も解ける」
リリスの言葉にジェスアルドと皇帝は納得したように答え、フレドリックはいつもの如く何も言わずただ微笑んでいた。
しかし、アレッジオだけは気難しげな表情のままで、それを見た皇帝が逞しい肩を叩く。
「アレッジオ、お前に落度はないぞ。皇宮の守りに支障はないんだ。過去の遺物まで一つ一つ調べるわけにはいかぬだろう」
「ですが、その可能性が出たからには調査いたします。貴族たちの屋敷を一つ一つ調べることになっても」
「ああ、そうしてくれ」
アレッジオとしては、皇宮に侵入することはできなくても見過ごすことはできないのだろう。
ただ貴族の屋敷を一つ一つ調べるなど途方もない作業である。
しかもあの辺一帯というだけで、屋敷に限られたことではないのだ。
リリスは貴族たちの屋敷が立ち並ぶ区画にはまだ一度も行ったことがなく、地図でしか知らなかった。
そのため、夢の中に何か手掛かりになるようなものはないかと考えるのだが、暗闇の中でポリーたちに気を取られていたために何も思い出せない。
そこにフレドリックがのんびりと呟いた。
「問題は、屋敷の主自身がそのような抜け道に気付いていないかもしれないことですなあ」
ひとまずはコンラード派とされる者たちの屋敷から捜索が行われるだろうが、抜け道はまったく関係のない者の屋敷にある可能性もある。
地下室などは使用人の領域であり、犯人と通じた使用人の仕業かもしれないのだ。
要するに身分に関係なく誰が犯人かもわからない。
「可能性は無限大……」
思わず口から出てしまったリリスの言葉に、皇帝とフレドリックが噴き出した。
ジェスアルドとアレッジオも笑っており、リリスの顔が赤くなる。
昔、何かの夢で聞いた言葉であり、リリスのお気に入りでもあるのだが、今の状況にはそぐわない。
だが、ジェスアルドは紅い瞳を優しく細めてリリスを見つめた。
「ありがとう、リリス」
「え……?」
「何にしろ、可能性はいくらでもあるんだ。たとえばアレッジオが犯人だという可能性だってある」
「私を疑われるなど酷いですぞ、殿下」
お礼を言われて首を傾げたリリスに、ジェスアルドは説明した。
その内容に、アレッジオはわざとらしく傷ついたふりをして抗議する。
それをジェスアルドは鼻で笑い、戸惑うリリスの両手を握った。
「疑いだせばキリがない。誰でも犯人の可能性はある。だが、そちらの可能性ではなく別の可能性を探るべきなんだ」
「別の可能性?」
「ああ。私たちは早く犯人にたどり着きたいがために、入口から捜索しようとしていた。だが、たとえ遠回りになっても出口から入口へとたどり着けるだろう?」
「出口から……?」
どういう意味なのかと疑問でいっぱいになったリリスは、次いで理解した。
ジェスアルドの言葉は比喩であって、比喩でないのだ。
「堀に潜るんですか!?」
「アレッジオがな」
「はいはい、やりますよ。何でもやらせていただきます」
「ですが、息が……」
驚くリリスに、ジェスアルドがあっさり答えると、アレッジオが投げやりに返事をした。
普段なら笑えるそのやり取りも、リリスは心配でしかなかった。
おそらく上流から堀に流れ込む水脈の一つに、人が一人は通ることのできる大きさのものがあるのだろう。
だが今まで誰も気付かないほど、水中深くに沈んでいるのだ。
その水脈を辿るとなると、かなり命がけになる。
「幸い、私は泳ぎも得意で呼吸も長い間止めることもできます。しかし、無理はしません」
「絶対に?」
「はい、絶対に。ですから、ご心配には及びませんよ。また、私よりもさらに泳ぎが得意な者もおります。その者は残念ながら今は帝都を離れておりますので、急ぎ呼び寄せます。妃殿下は、水脈の流れがそこまで速くないことと、できるだけ距離が短いことを祈っていてください」
そう言ってにかっと笑うアレッジオから、リリスはジェスアルドに視線を移し、さらに皇帝をちらりと見て、深くため息を吐いた。
これ以上はもうリリスが口を出す話ではない。
リリスは大きく頷くと、ジェスアルドの手を一度強く握ってから離した。
そして守るように両手でお腹に触れ、深く息を吸う。
「それでは、次に私の妊娠と……毒殺未遂についてですが、よろしければ今日にでも公表してください」
いつもありがとうございます。
4月27日(金)に『紅の死神は眠り姫の寝起きに悩まされる』2巻が発売されます!
詳しくは活動報告にてお知らせしております。
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よろしくお願いします!




