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ジェスアルドはリリスの決意を秘めた微笑みを目にして覚悟を決めた。
今まで誰にも打ち明けたことはないのだ。
存命している者でこの秘密を知っているのは、おそらくコリーナの元侍女の二人ともう一人。
父とアレッジオはどこまで真相を摑んでいるのかはわからない。
ジェスアルドはリリスに回した腕を解くと、一度大きく息を吐き出してから重たい口を開いた。
「以前、リリスが夢で見たように、コリーナは亡くなった当時、子を身籠っていた。しかし、その子は私の子ではない」
「そんな……」
リリスから思わず漏れ出た言葉は、ジェスアルドではなくコリーナへの抗議。
本来のジェスアルドは、このようなことで無責任な発言は絶対にしないと言い切れる。
先ほどの失言も、過去の経験が無意識に言わせたものなのだろう。
リリスはその気持ちが伝わるように、ジェスアルドの手を強く握り締めた。
すると、ジェスアルドはわずかにためらってから、リリスの手を握り返してくる。
「私は、コリーナに触れたことは一度もないんだ」
「……え?」
「結婚する前はもちろん、結婚してからも……。式のときに彼女は私の腕に手を添えていたが、酷く震えていて顔色も悪かった。それを花嫁の緊張だろうなどと甘く見ていたが、彼女は初夜の床で私を激しく拒絶した。あれだけ大声で泣き叫んでいたのだから、おそらく外にいた警備兵たちにも聞こえただろう。それがまた私の噂に信憑性を持たせたようだ」
ジェスアルドは低い声で笑ったが、その表情には苦しみしか浮かんでいない。
リリスは今までコリーナ妃に感じていた嫉妬と同情が、怒りに変わっていくのを感じていた。
すでに亡くなった人を悪く思いたくはない。
しかし、リリスはコリーナ妃が許せなかった。
「愚かな私は、コリーナは神経質になっているだけだと思っていた。しばらく時間を置けば、私の妃となったことに慣れるだろうと。結局、それも無理だと悟るのに時間はそれほどかからなかったが……。コリーナは私の幼馴染だったんだ。十代になってからはほとんど顔を合せることもなかったが、幼い頃は何度か遊んだこともある。だからまさか、噂を信じているとは思ってもいなかった」
「幼馴染? それなのに……」
新たに知った事実にリリスは驚きながらも、再び怒りが込み上げてきていた。
幼馴染ならなおさらジェスアルドがどれほどに優しい人か知っていたはずだろう。
そこでふと、レセから聞いた話を思い出す。
コリーナ妃はおかしかったと――心の病ではなかったのかという話だが、ひょっとして結婚前から病んでいたのかもしれない。
だとしても、子供の父親がいったい誰なのかという疑問は残る。
あれこれと考えるリリスの反応を注意深く窺いながら、ジェスアルドは続けた。
「コリーナはどうやらコンラードのことが好きだったらしい」
「コンラードを?」
「ああ。そのことに気付かなかった私も馬鹿だが、せめて結婚前に知っていればと何度も悔やんだ。そして私はコリーナと離縁するために準備を始めた。その頃にはもうコリーナは部屋に閉じ籠ったままで、色々な噂が流れていたから、離縁しても全て私の非になるはずだと。だが、その時になってコリーナの妊娠がわかったんだ」
「その、相手は?」
「……コンラードだ」
コリーナ妃がコンラードを好きだったと聞いてから、リリスも予想はしていた。
しかし、ジェスアルドの口から聞くと、やはりショックは大きい。
いったいコンラードはどういうつもりだったのか、今と変わらず人妻との逢瀬を楽しんだだけなのか。
それにしても、よく平気でジェスアルドと顔を合わせていられるものだと思う。
そこでリリスは、ジェスアルドもまたコンラードと普通に接していることに違和感を覚えた。
たくさんの疑問がさらにリリスの頭の中に浮かんだが、今はひとまず脇へと押しやる。
そして、ジェスアルドの視線を真っ直ぐに受け止めると、大丈夫だというように頷いた。
そんなリリスの強さを目にして、ジェスアルドはほっと息を吐き出した。
この告白でリリスが気分を悪くしたりしていないか、心配していたようだ。
「私は大きな過ちを犯した。コリーナの妊娠を知ったとき、コリーナではなくコンラードに問い質すべきだったんだ。そして、速やかに離縁するべきだった。それなのに、私は馬鹿なことを考えた。もしコンラードの子ならば、このまま私の子として生んでもらえばいいと。女児だとしてもかまわなかった。どちらにしろ、将来帝位を継ぐのはコンラードの子になるだろうからと」
話だけ聞くとかなり利己的に思えるが、それだけジェスアルドは追い詰められていたのだ。
もう二度と自分が結婚することはないと――自分を受け入れる女性はいないと思ってしまうほどに。
コリーナ妃と結婚してからのジェスアルドは、どれだけ傷つき苦しんだのだろう。
リリスは夢に見た、結婚式の日のジェスアルドの嬉しそうな表情を思い出し、泣きそうになってしまった。
「ジェドは優しい人です。とてもとても優しくて、だから自分を責めてしまうんですね。でもジェドはちっとも悪くありません」
「だが私があのとき、コリーナに子の父親を問い質さなければ……離縁はしないと告げなければ、コリーナが追い詰められることもなかったんだ」
「それは違います。ジェドは間違っています」
「間違ってなど――」
否定しかけたジェスアルドの右頬を、リリスは空いていた左手で叩いた。
これにはジェスアルドも予想していなかったのか、唖然とする。
「私は暴力は嫌いです。でも今日はもう三回もジェドに暴力を振るってしまいました。……ごめんなさい」
「――いや、謝る必要はない。私はリリスに叩かれるだけのことを……」
謝罪したリリスをすぐに許したジェスアルドの言葉は途切れた。
リリスがこれ見よがしに左拳を再び振り上げたのだ。
「私は暴力は嫌いです。それなのに、この手をどうしてくれるんですか?」
「……すまない」
リリスが伝えようとしていることに気付いたジェスアルドはつい謝罪してしまい、また殴られることを覚悟した。
しかし、リリスの左手はジェスアルドの後頭部に回り、強引に引き寄せられたところで右頬にリリスの唇が触れる。
そして左頬にもキスをすると、リリスは驚き固まるジェスアルドの膝の上に座った。
「許します」
「リリス……?」
「私はジェドを許します。全部全部、許します。だから、ジェドもジェドを許してください」
「しかし――」
「それから、私を守ってください」
リリスの赦しの言葉はジェスアルドの胸に響いた。
それでもと、どうしても自分の過ちを受け入れられずにいたジェスアルドは、続いたリリスの言葉にようやく気付いた。
過去に囚われるあまり、未来を――リリスと、そのお腹にいるかもしれない自分の子との未来を台無しにしようとしていたのだ。
ジェスアルドはリリスのお腹を締めつけないように、改めて優しく抱きしめた。
「約束する。絶対に、私の命に代えてもリリスを、リリスと私との子を守ると」
「ジェド……」
リリスはジェスアルドの強い誓いの言葉を聞いて声を詰まらせた。
だが、ジェスアルドの肩に預けていた頭を起こし、真っ直ぐに紅の瞳を見つめて微笑んだ。
「ダメです」
「うん?」
「私を守るのに、ジェドの命は必要ありません。それに、私だってジェドのことを守ってみせますから!」
左手をぐっと握って構えたリリスを見たジェスアルドは、つい噴き出してしまった。
笑うと不思議と心が軽くなってくる。
過去を思い出しても、こんなふうに笑える日がくるとは思ってもいなかった。
ジェスアルドはリリスの左拳を包み込むと、引き寄せて指の一本一本にキスをしていく。
途端にリリスから悲鳴とも笑いともつかない声が上がった。
「にゃへっ! ジ、ジェド、やめっ、くすぐったいです!」
「……リリス」
「は、はい?」
「この拳は強力だったな」
リリスの緩んだ左拳から唇を離したジェスアルドは、それでもまだ左手を握ったまま、にやりと笑って告げた。
すると、リリスは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「本当ですか? アレッジオに教えてもらった成果ですね!」
「……なるほど」
最近、リリスがアレッジオから護身術を習っていることを思い出して、ジェスアルドは納得した。
だがすぐに心配になる。
「リリス、自分の身を守ることは必要だとは思う。だが――」
「大丈夫ですよ、ジェド。アレッジオから最初に、口を酸っぱく酸っぱくして言われたことはちゃんと守りますから」
「何と言われたんだ?」
「一に逃走、二に逃走、三、四も逃走、五に無抵抗! です」
「……その通りだな」
「はい。ただ逃走の仕方としての最終手段は教えてもらいました。それが先ほどの打撃です。頬を叩くよりも耳をばちんと叩いたほうが、相手は怯むそうです。その隙に逃げるか、場合によっては……足を蹴り上げるといいそうです。その次に、鳩尾を狙えと」
「……」
あの最低発言をしてさえ、リリスは気遣ってくれたらしい。
ジェスアルドは微妙な気持ちになりながらも、リリスがアレッジオの教えどおり、逃げ出すことなく立ち向かってきてくれたことに感謝した。
あのとき逃げ出されていたら――拒絶されていたら、ジェスアルドには追うことができなかっただろう。
「リリス」
「はい?」
「私を受け入れてくれて……許してくれて、ありがとう」
「はい!」
元気よくリリスは答えると、ジェスアルドに再びキスをした。
ジェスアルドは驚きつつもすぐにキスを返し、そのままリリスを抱き上げる。
「すまない、ずいぶん時間を取ってしまったな」
「大丈夫です。ジェドと過ごす時間は私にとって、元気の源ですから」
「それは、私もだ」
ジェスアルドはリリスの温かな言葉に微笑んで答え、ベッドまで運んだ。
そしてゆっくり下ろすと、その横にすべり込んで抱き寄せる。
途端に二人同時にほっと息を吐き、二人して笑った。
この幸せの時間を守りたい。
やがて聞こえてきたリリスの穏やかな寝息を聞きながら、ジェスアルドは改めて強く心に誓ったのだった。
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