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「あっという間の七日だったわね……」
フロイト王国からの使節団を見送って部屋に戻ったリリスは、なぜか部屋が広く感じられてぽつりと呟いた。
彼らがこの部屋に滞在していたわけではないのに、不思議である。
どうやらテーナもレセも同じように感じているらしく、リリスの言葉に同意した。
「さようでございますね」
「何だか寂しく感じてしまいます」
「本当にね。でもくよくよしていられないわ。使節団のみんなはフロイト王国のために頑張ってくれているんだもの。私も頑張らないと!」
思わず落ち込みそうになったリリスだったが、自分を叱咤して元気よく声を上げた。
もうすぐトイセンの街から、新しく焼き上がったマリスが届くのだ。
その一部をフロイト王国へ送ることにしているので、リリスは楽しみだった。
しかも今回、使節団にはエアーラス帝国からの土産に、試作品として先に焼き上がっていたマリスの中から、特に優れたものを持たせている。
それをマチヌカンでさり気なく話題に出して披露してもらう予定なのだ。
商業都市マチヌカンでマリスを披露すれば、瞬く間に商人たちから世界中へと広がるだろう。
そうなれば注文が殺到することは予測でき、色々と忙しくなる。
また密偵たちの動きに警戒しなければならない。
そのため、最近はジェスアルドがリリスに対して過保護になっており、皇帝たちに逆効果だと注意されるほどだった。
実際、マリスについてはリリスの手を離れており、することはないのだ。
リリスは後援者としての立場で振る舞うくらいである。
それよりも、奉仕院の準備を進めなければならない。
奉仕院については、慈善事業としてリリスは堂々と活動できる。
ただ病弱設定のために直接動くことができないのが残念だった。
「それにしても、やっぱりプリンは美味しかったわよね……」
リリスは結っていた髪をほどいてもらいながら、うっとり呟いた。
昨晩は、フロイト使節団の皇宮滞在最後の夜ということで、晩餐はリリスとフレドリック、そしてアルノーやオラスたち使節団の者たちだけで食事をとることができたのだ。
そのときに供されたのがセブの作ったフロイトの郷土料理であり、デザートとしてプリンのお披露目となったのである。
ちなみに、アルノーは当初よりかなり落ち着いたようで、リリスは幼い頃の思い出話をして楽しむことができた。
フレドリックが言うには、オラスやセザールからどうにか及第点の判定が下りたようだ。
また、テーナやレセなどリリスの輿入れに従って来た者たちと使節団の従者たちも、別室で一緒にフロイトの郷土料理を食べながら郷里の話で盛り上がったらしい。
それどころか、フロイトの者たちだけで気兼ねなく過ごせるようにとのことから、ジェスアルドや皇帝は同席していなかったが、フロイトの郷土料理を食べたそうだ。
そこで皇帝がプリンに感激していたと、ジェスアルドが寝る前のひと時に笑いながら話してくれた。
「本当に〝ぷりん〟は美味しかったですねえ……。もちろん、セブの作ってくれたフロイトのお料理の数々も美味しくて、懐かしかったですけど」
レセもリリスの髪を丁寧に梳きながら、ほんわり微笑んで答えた。
すると、リリスのドレスを片づけていたテーナも頷く。
「さすがはジェフとセブですね。確かにお味はリリス様が以前お作りになったものとほとんど変わりませんでしたのに、あれほどに印象が違ったものになるなんて……」
「ええ? ちょっとテーナってば、酷くない? あのときのプリンだって、十分に美味しかったわよ」
「……さようでございましたね」
「絶対、さように思ってないでしょう?」
テーナの態度にリリスは笑いながら文句を言った。
これからはセブがフロイトの郷土料理を作ってくれるだけでなく、ジェフと同じようにリリスが夢で見た料理を再現するために頑張ってくれるのだ。
そう思うと楽しみで、リリスも頑張らなければと立ち上がった。
しかし、急に立ち上がったせいでめまいがする。
「リリス様!?」
慌ててレセが支えてくれたので倒れることはなく、すぐに意識もはっきりした。
それなのにレセは強引にリリスをまた鏡台の前の椅子に座らせ、テーナが急ぎ駆け寄ってリリスの額に手を当て、手首で脈を測る。
「大丈夫よ、テーナ。レセもありがとう。ちょっと立ちくらみがしただけ」
「……ここのところは、使節団の訪問でお忙しかったですし、やはり一度お休みになってはいかがですか?」
「テーナさんのおっしゃるとおりですよ。きっと……リリス様はお疲れなんです」
「うーん。確かにそうかも。最近、体がだるいのよね……」
「リリス様、ご自覚がございましたのなら、なぜおっしゃってくださらないのです」
「ただの睡眠不足よ。というわけで、やっぱり寝ることにするわ。面倒をかけてごめんね」
「またそのようなことを……。リリス様がお気になさる必要はないのです。私どもはお世話させていただいて嬉しいのですから」
使節団の見送りのために公式用のドレスから、普段のドレスに着替えたところだというのに、また夜衣に着替えなければならない。
そのため、リリスはテーナたちに手間をかけることを謝罪したのだが、テーナからは抗議されてしまった。
レセもテーナに同意するように大きく頷いている。
リリスは二人に微笑んで感謝の気持ちを伝え、レセが持ってきてくれたハーブ水を飲んだ。
そして夜衣に着替えてベッドに横になると、瞬く間に眠りに落ちた。
それから十日経ってもリリスは疲れが取れず、日中のほとんどの時間を部屋で過ごしていた。
夜もジェスアルドが訪れると目覚めることもあれば、気付かずに眠ったままのこともあり、朝は当然起きない。
元々の病弱設定が功を奏して、皇宮の人たちに怪しまれることはなかったが、ただ使節団と接したことで里心がついたのではないかなどの噂は流れ始めていた。
「――ですから、ブンミニの町にも働き手が戻ってきているらしく、トイセンの街も仕事があるとの噂を聞きつけて、続々と人々が集まってきているようです。まあ、当面はストーンウェアの生産量を落としてでも、マリスのほうに人材を確保いたしますから、新しくやってきた者たちの育成を急ぐ必要はありません。きちんと身元を調査し、適正を調べてから、ストーンウェアの工場で訓練を……」
リリスは今、フレドリックからマリス関連の報告を受けているのだが、どうにも頭に入ってこなかった。
いつもならあれこれと質問攻めにするほどなのに、今ひとつ興味が湧かないのだ。
こんなことは今までになく、リリスはちょっとした不安を感じていた。
新しく届けられたマリスは素晴らしい出来上がりで、リリスも皆も満足したのだが、まだ正式な発表には至っていない。
その理由は、トイセンとブンミニの警備体制を万全にしたことにより、何かがあるらしいとの噂で人々が集まり始めているので混乱を避けるためだ。
また、フロイト王国の使節団が商業都市マチヌカンでマリスを披露することで、ひょっとしてこれがトイセンで作られているのだろうかと想像させ、皆の好奇心を煽るためでもあった。
要するに、もったいぶって付加価値をつけるのである。
「……リリス様、本日はここまでにしましょうかの」
「え? あ、ごめんなさい。ちょっとぼんやりしていたけど、ちゃんとやるわ」
「いえいえ、今はご無理をなさるべきではないでしょう。マリスについては我々でしっかりやれますし、奉仕院についてもリリス様が全ての責任を負われる必要はないのですぞ。ここには優秀な人材がたくさんおります。殿下にお願いなさって信用できる者に任されるべきではないですかな?」
「でも、私が言い出したことなのに、申し訳ないわ」
「……リリス様は国造りよりも大切なことに専念なさるべきですぞ」
「国造りよりも……?」
楽しげに笑いながら去っていくフレドリックを座ったまま見送ったリリスは、ぼうっとした頭で今の言葉を繰り返した。
最近は頭の回転まで遅くなったようで苛々してしまう。
そもそも苛々すること自体、リリスには慣れないことなのだ。
そこまで考えて、ようやくリリスは気付いてはっとした。
「テ、テーナ! レセ!」
「――いかがなさいました!?」
「リリス様!?」
常ならぬリリスの呼び声に、テーナもレセも慌てて控室から出てきた。
そしてリリスのひとまず無事な姿にほっとしながらも駆け寄る。
「リリス様、何かございましたか?」
「まさか、お体の具合が――お腹が痛むなどされますか!?」
「え? あ、ううん。そうじゃなくて、私の月のものっていつから来ていないかと……」
思わず興奮して二人を呼んでしまったが、余計な心配をかけてしまったことで、リリスは勢いをなくしていった。
そんなリリスの言葉に、テーナとレセは顔を見合わせて微笑む。
「リリス様の前回の月のものが終わられましてから六十三日でございます」
「そ、そんなに? ……というか、かなり詳細なのね」
「それはもう、リリス様がいつお訊ねになってもお答えできるよう、指折り数えておりましたから」
リリスは嬉しそうなテーナに告げられた日数に驚いた。
しかも即答したうえに、かなり細かい。
するとテーナはにこやかに理由を告げ、レセも隣で微笑んだままだった。
「どうして、教えてくれなかったの?」
「やはりご自分で気付かれるほうがよろしいかと思いまして、黙っておりました。ですが、なかなかおっしゃらないので、ひょっとして確実になるまで、リリス様は待っていらっしゃるのかと。お立場的にも慎重にならざるを得ませんので」
「もちろんお食事などには気をつけておりますので、ご安心くださいませ」
リリスの質問にはテーナが明確に答え、レセが付け足す。
二人の嬉しそうな顔を見ているうちに、信じられない思いでいたリリスは次第に実感が湧いてきた。
「私……妊娠しているのね」
もちろんまだはっきり診断されたわけではないのでわからない。
それでも、これだけ月のものが遅れており、体調もいつもより悪いのだ。
ただ吐き気などはなく、ひたすら眠いのは普段からあまり変わらなかったので、色々な忙しさに紛れてすっかり気付かなかった。
「ジェドに……殿下に今晩伝えるわ」
リリスがそっとお腹に手を当てて呟くと、テーナもレセもにっこり笑った。
今すぐ産婆を呼んで確認できないのは残念だったが、リリスはこの嬉しい知らせをジェスアルドに伝えるときのことを思い、幸せいっぱいの笑みを浮かべたのだった。
皆さま、いつもありがとうございます。
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表紙&特典情報を活動報告にて公開しておりますので、仏頂面ジェド&満面の笑みのリリスをぜひご覧ください!!
よろしくお願いいたします。




