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「セブ! セブじゃないの! どうしてここに!?」

「お久しぶりです、リリス様。実はこのたび、使節団の一員に入れてもらったんです」


 昨日、オラスが言っていた驚かすこと――それがセブとの再会であり、リリスは心から喜んだ。

 フロイト王城内でもリリスの秘密を知る数少ない者たちの一人であるセブは、料理人見習いである。

 テーナもレセも、思いがけない人物の登場に驚いており、オラスたちの試みは成功したようだ。

 晩餐会の準備をすっかり整えたリリスに、セブは少々気後れしているようで、そばかすの散った顔をほんのり赤くして笑った。


「リリス様、驚きはこれだけではありませんぞ」

「まだあるの?」


 してやったりといった様子のセザールの言葉に、リリスは期待を込めて問いかけた。

 すると、セブが頷いて答える。


「ようやく俺――いえ、僕は師匠のジェフから一人前になったって認められたんです。それで、師匠がリリス様に完成した〝ぷりん〟を召し上がっていただくためにも、ぜひ同行しろと言ってくれたんです」

「プリンが完成したの!?」

「おそらく、リリス様がご覧になったのはこれだろうというものが完成しました。味も申し分なく、食感は新しくて、きっと人気のデザートになりますよ」


 屈託のない笑顔を浮かべるセブの言葉に、リリスは顔を輝かせた。

 ついにあのプリンが食べられるのだ。

 正直、本物かどうかはいい。

 リリスの無茶振りをいつもきちんと形にしてくれるジェフの料理が食べられるというだけで嬉しかった。

 しかも、懐かしいセブのこの笑顔を見ることもできたのだから、本当に嬉しい驚きである。


「それで俺――いや、僕はこのまま、ここに残れることになったんです」

「ここにって……この皇宮に?」

「はい。アルノー様とオラス様が皇帝陛下と皇太子殿下にこっそりお願いしてくださったんです。リリス様の秘密を知る料理人がいたほうがいいと。表向きは、フロイトの郷土料理を作るためってことにするそうですけどね」


 まだ驚くことはあった。

 リリスはセブの言葉に唖然とし、喜ぶよりも先に心配になる。


「セブは……本当にいいの? フロイトから遠く離れてしまって?」

「当たり前ですよ。僕は元々孤児でしたから、家族と呼べるのは師匠しかいません。ですが師匠だけでなく、フロイト王城では国王様や王妃様、リリス様やみんなが優しくしてくださって、とても幸せに暮らすことができました。そして師匠にようやく認められたばかりか、少しでもみなさんの――リリス様のお役に立てるなら、こんなに嬉しいことはないです」

「セブ……」

「リリス様、改めまして……ご結婚おめでとうございます。リリス様が皇太子殿下に秘密を打ち明けられるほどに信頼関係を築かれることができて、本当に嬉しいです。師匠もとても喜んでいました」


 どこか照れくさそうに告げるセブの顔は先ほどよりも赤い。

 リリスはフロイト王国での色々なことを思い出し、込み上げるものがあったが、その気持ちを抑えて満面の笑みを浮かべた。


「……ありがとう、セブ。本当に嬉しいわ」

「本当は、師匠が来るって言い張って大変だったんですけどね。またぎっくり腰が再発して、泣く泣く諦めてました」

「まあ、またなのね。お気の毒に……。ぎっくり腰だけは、どの世界を見ても解決策がないみたいなのよね。安静にするくらいしか……。オラスは大丈夫なの?」

「リリス様、この年になると、自分の病とも上手く付き合えるようになるものですぞ」

「何を言うか、オラス。お前の持病とやらは、お前の都合の悪いときにしか発症せぬではないか」

「それはリリス様のおっしゃる〝すとれす〟のせいじゃ。お主のような繊細さの欠片もない者にはわからぬじゃろうがな」

「何を――」

「ご歓談中、お邪魔して申し訳ございませんが、そろそろお時間でございます」


 今日はセザールとオラスのケンカが始まりかけたところで、テーナの声がかかり、中断された。

 偏屈爺三人はいつも仲良くケンカする。

 そのせいか、テーナは言葉とは違ってまったく申し訳なさそうに見えない。

 リリスはまたセブに会うことを約束して、オラスとセザールとテーナの四人で部屋を出た。


 正餐の間の隣にある控え室では、すでにアルノーがいたが、帝国の政務官らしき人物と難しい顔で話をしている。

 夢中になるあまり、リリスの登場にも気付いていないようだ。

 その姿を見て、リリスは大きくため息を吐いた。


「まったく、どうして殿方はすぐにお仕事の話をされるのかしら。せっかくの美味しい食事の前だというのに」

「全ての男があのように無粋だとは思わないでほしい。私はアマリリスと過ごすためなら、息子に仕事を押しつけることも厭わないのだから」

「陛下……」


 背後から突然声をかけられても、リリスは驚くことなく笑顔で振り向いた。

 そして、正式な淑女の礼を取る。

 その耳に聞こえたのは大好きなジェスアルドの声。


「私の妃を口説かないでください、陛下。しかも、私に仕事を押しつけることは常日頃からなさっているではないですか」


 ため息交じりのジェスアルドの言葉に、皇帝はふんっと鼻を鳴らしただけで、その場の者たちに顔を上げるよう告げた。

 リリスも顔を上げると、ジェスアルドに笑みを向ける。

 昨夜のジェスアルドは遅かったらしく、リリスはうっかり寝落ちしてしまったのだ。

 そして朝もぐっすり眠ったため、顔を合わせるのは昨日の謁見のとき以来であった。


 気持ちとしては今すぐ抱きつきたいが、今は皇太子妃としてここにいるので我慢する。

 しかも今夜は、女主人として振る舞わなければならないため、席までエスコートしてくれるのはアルノーなのだ。

 以前のリリスなら跳び上がらんばかりに喜んだだろうが、今はジェスアルドではないことにがっかりしているのだから不思議な気分だった。


 こちらに向かってくるアルノーから視線をジェスアルドにちらりと向けると、ジェスアルドは軽く眉を上げた。

 少々不機嫌そうに見えるが、そうでないことがリリスにはもうわかる。

 ただわかるのはそこまでで、ひとまずリリスは安心させるように微笑んだ。


 今日はもうこの後に仕事はないはずなので、夜を一緒に過ごせるはずだ。

 オラスやセザール、セブのことなど話したいことがたくさんあり、リリスは始まる前から晩餐会が早く終わればいいのにと思いながら、アルノーに向き直った。


「久しぶりね、アルノー」

「お久しぶりでございます、妃殿下」


 相変わらず堅苦しいなと思ったが、昔と違って気にしていないことにリリスは気付いた。

 そのまま差し出された腕に手を添え、正餐の間に向かいながら穏やかに話しかける。


「今回は大役をご苦労様。でもあまり気を張りすぎてはダメよ。頼れる人たちはたくさんいるんだから」

「ありがとうございます、妃殿下。ですが、私はこの使節団の代表として、しっかりと役目を果たし、フロイト王国にとって十分な結果を持って戻らなければならないのです」

「そう……」


 言いたいことはたくさんあったが、自分の席に到着したので、リリスは相槌を打つだけにとどめた。

 アルノーのことを好きだったときは確かに理想化して見ていた部分もあるが、さすがに今の状態は普通ではない。

 これほど頑なではなかったし、もっとユーモアを持っていたはずだ。


(ひょっとして、ダリアからすでに何か告げられたのかもしれないわね……)


 ダリアは宰相に相談することなく、ひとまずアルノーに悩みを打ち明けたのかもしれない。

 そのためにアルノーは功を焦っている気がする。

 リリスは慰めや励ましの言葉をかけようとして、結局はやめた。

 テーナたちにも言われたように、これはダリアとアルノーの問題なのだ。

 使節団の代表としてはいささか心許ないが、オラスやセザールがいるので大丈夫だろう。

 バーティン公爵夫人をエスコートしたオラスにちらりと視線を向ければ、リリスの考えを見透かしたような笑みが返ってくる。


(……ああいうの何て言うんだっけ……。そうよ、タヌキ親父……タヌキ爺だわ!)


 意地悪なオラスに対して悔しくもあったが、ぴったりの言葉を思い出せたことでリリスは満足することにした。

 それにしても、とリリスは思う。

 ほんの数ヶ月前まで、リリスの心はフロイトの家族とアルノーと国民のことで占められていた。

 それが今は、ジェスアルドが大きく占有し、トイセンの街やブンミニの町、エアーラス帝国の人々のために何かしたいとの思いが強い。

 もちろんフロイト王国のことを忘れたわけでも、二番手になってしまったわけではない。

 ただリリスに大切なものが増えたのだ。


(愛は分け合うんじゃなくて、増えるんだってよく言うけど、本当にそのとおりだわ……)


 そんなことを考えているうちに乾杯が終わり、リリスはアルノーとあたりさわりのない会話を楽しんだ。

 そこでふと視線を感じて顔を向けたリリスは、ジェスアルドとばっちり目が合ってしまった。

 しかし、その紅の瞳は細められている。

 今度は遠くて、リリスにジェスアルドの心情は読み取れなかったが、気にはならなかった。

 二人の間には、確かな絆があるからだ。


 それからのリリスはバーティン公爵夫人を上手く立てながらも女主人として振る舞い、無事に晩餐会を終わらせることに成功した。 

 もちろん、相手が気心の知れたフロイト王国の者たちだったことも大きい。

 それでもリリスはエアーラス帝国の皇太子妃として、立派に役目を果たすことができたのだった。




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