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 皇帝の後に続いて謁見の間に入ったリリスは、あまりの煌びやかさに一瞬目が眩んだ。

 ジェスアルドの力強い支えがなければ、足を止めていただろう。

 感謝の気持ちからジェスアルドを見上げて微笑むと、ちらりと見返してくれる。

 ジェスアルドをよく知らない者なら、その不機嫌とも取れる表情に震えたかもしれないが、リリスは紅い瞳に気遣いが浮かんでいることにもちろん気付いた。


 美形とは真剣な表情をしているだけで、怒っているように見えるのだから大変だなとも思いながら、リリスは壇上の玉座の前に立つ皇帝の横にジェスアルドとともに並んだ。

 その間、謁見の間の者たちは皆、深く頭を下げて、皇帝からの指示を待っている。

 リリスは一番手前で頭を下げる見知った人たちを見つけ、思わず顔をほころばせた。

 だが、その表情がすぐに困惑に変わる。


 赤みがかった薄茶色の髪にすらりとした立ち姿はアルノー、白髪がつんつんした短い髪型の体格のいい人物はセザールだ。

 しかし、リリスが困惑した表情になったのは、オラスを目にしたからだった。

 正確には、オラスの被った帽子を。

 実はあの帽子が、先日ジェスアルドに打ち明けた秘密なのだ。


 オラスには、かなり昔から大切にしていた丸い壺があった。

 執務室に飾られたそれは、幼いリリスもうっとりするほど美しい壺だったのだ。

 当時は知らなかったが、その壺はシヤナのものであり、透き通るような白い艶やかな表面に、一輪の異国の花が描かれていた。


 一度、その壺をどうしても触りたくて、幼いリリスは書棚に登って手を伸ばした。

 そこへ部屋に戻ってきたオラスに見つかり、それはもうきつく怒られてしまったのだ。

 あの時のリリスは、何てオラスはケチなんだと、触るくらいいいではないかと思ったのだが、最近になって、あの怒りはリリスが危ないことをしたためだったのだと気付いた。


 そこでリリスは以前から懸念していたことの対策を取ることにした。

 あの壺は底までかなり丸みを帯びており安定が悪い。

 いつか転がり落ちて割れないかという心配を払拭するために、底敷を作ることにしたのだ。


 リリスは刺繍は苦手だが、編み物はそれなりにできる。あくまでも、それなりに。

 羊毛の産地である国の王女としての意地である。

 そういうわけで、底敷は毛糸で編むことにしたのだが、デザインでリリスは悩んだ。


 伸縮性のある編み方にしようかとも考えたが、繊細な壺の表面を締め付けるのは気が引けた。

 それにフロイト産の毛糸はとても柔らかく、大きさの誤差はある程度補ってくれるだろう。

 色も美しい花の色と合わせて青色にしようかとも思ったが、ただの底敷が主張してはいけないと却下した。

 ここはやはり棚と同じ茶色がいい。

 それならば壺の繊細な白さを際立たせ、模様の花にも合う。


 結論を出したリリスはご機嫌で底敷を編んだ。

 茶色の中にも遊び心を加えて深い赤色の線を入れたものを一枚、黄土色の線を入れたものを一枚と作成した。

 壺の小さな底に当たる箇所は薄く、底を取り囲む部分は編み方を変えて厚くして安定性を持たせる。

 これで壺も少々のことではぐらつかないはずだ。


 リリスにしてはかなり上出来な底敷を二枚包むと、得意満面で持っていき、オラスへと贈った。

 するとオラスは包みを開けてとても喜び、なんとその場で底敷の一枚を頭に被ったのだ。

 リリスが説明する間も、止める間もなかった。


 実はオラスの頭髪はかなり薄く、そのためかどうかはわからないが、とある国の聖職者の話を遊学者に聞いてから、常に小さく丸い帽子を被っているのだ。

 これが私流の正装ですと主張してから、ずいぶん長い時間が経つらしい。

 そして不運なことに、壺とオラスの頭と大きさがぴったりだった。


 リリスはすぐに否定すればよかった。

 しかし、笑いを堪えるのに必死になっている間に、オラスは国王夫妻やセザールへと自慢しに――いや、披露しに行ってしまったのだ。


 あれからリリスは本当は壺の底敷だと言い出せないまま、今に至る。

 今日のオラスが赤色の線が入った底敷を被っているのは、使節団として華やかさを演出しているのかもしれない。

 だがそれ以前に、今の季節に毛糸の帽子はおかしいのだ。

 なぜ誰も止めない! と思いつつ、リリスがジェスアルドをちらりと窺えば、同情の視線が返ってきた。


 どうやら、ジェスアルドもリリスの表情と毛糸の底敷――帽子から、あれが例の秘密だと気付いたらしい。

 諦めろとでも言うようにジェスアルドが小さく首を振ったとき、玉座に座った皇帝が威厳に満ちた声で皆に顔を上げるよう促した。


 誰も声を発することはなかったが、厳かな空間にさらりと衣擦れの音が響く。

 リリスは懐かしい顔ぶれを目にして、満面の笑みを浮かべそうになったが、慌てて気持ちを引き締め、妃殿下らしい穏やかな笑みに変える。

 しかし、オラスとセザールはそんなリリスに気付いているらしく、一瞬だけ視線を向けるとにやりと口元を引き上げた。


(相変わらず意地悪だわ。……でも、元気そうでよかった)


 セザールはその年齢に明らかに見合わない筋骨隆々の体格をしているが、オラスはその性格に見合わないひょろりとした神経質そうな姿をしている。

 ただどちらもリリスの輿入れ前と何も変わっていないように見えた。

 問題はアルノーで、本来ならこのような大任に意気揚々としているはずなのに、明らかに憔悴しているのだ。


(わかるわ。うん、すごくわかる。だって、偏屈爺二人と旅をしてきたんだものね。でもそれ以上に、この様子は……ダリアが早まったってことね……)


 結局、手紙は間に合わなかったらしい。

 ダリアから返事がないのは、使節団到着のほうが早かったのか、宰相に怒られて落ち込んでいるのか、逆に頑なになってしまっているのかだろう。

 後でアルノーに確かめつつ慰めようと考え、ふとテーナの言葉を思い出す。

 自分のことを一番に考えてください、と。


(でもねえ、あれだけ好きだと思ったアルノーを見ても、ときめかないどころか、もう弟を見ている気分になるんだもの。私って多情だったのかなあ……)


 十二歳の頃から好きだと思っていたアルノーに対して、自分の心変わりの早さに、リリスは少しショックを受けてしまった。

 だが、やはりあれは幼い恋だったのだと思う。

 今、隣にいるジェスアルドのことは、絶対誰にも――ダリア相手にだって身を引こうとは思わない。

 とことん戦ってみせると、この場にはまったく相応しくない決意を漲らせて見上げると、ジェスアルドは「どうした?」と心配するように軽く片眉を上げた。


(うん。やっぱり、ジェドが一番! しかも、かっこよくて、頼りになって、素敵すぎるんだもの!)


 もうその表情だけで悶えたくなったリリスだが、何でもないと笑顔を浮かべ、視線を感じてはっと向き直る。

 途端に、偏屈爺二人のにたにた笑いが見えた。

 もちろん二人ともすぐに表情を引き締めたが。


 ちなみに今はエアーラス帝国側の長口上が続いており、リリスを含めて三人とも聞いていない。

 おそらくこのやり取りを、三人をよく知る人物――エアム王子などが見ていれば「仕事しろよ」との突っ込みが入っただろう。

 ただアルノーだけは、緊張した面持ちで立っていた。

 次はフロイト側の代表者として、アルノーが挨拶をしなければならないからだ。


 そしていよいよアルノーの出番がやってきたとき、リリスはほとんど姉のような気分で応援してしまっていた。

 助ける気がまったくない偏屈爺二人と違って、なぜかリリスが手に汗握り、心の中で応援する。

 その様子にジェスアルドの不機嫌オーラが――いわゆる呪いが発散され、リリスや皇帝、偏屈爺などの一部の者を除いた謁見の間にいる者たちは凍りついていた。

 それでも、一度つかえただけのアルノーは上出来だろう。

 こうして呪いが発散されたためにぎこちない空気が漂ってはいたが、フロイト王国使節団の訪問の挨拶と皇帝への謁見はどうにか無事に終わったのだった。




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